
Caramel/iStock
結論から言おう。文章力なんて、本を読んだところで簡単に身につくもんじゃないww
でも昨日書いた記事が妙に評判だった。特にマニア(?)に。笑
まあいい、続編を書く。

本を読め、というが
ビジネス書? 語彙は増える。確かに。「シナジー」だの「レバレッジ」だの、カタカナ言葉は覚えられる。で? それだけだ。
小説は違う。比喩が学べる、と言いたいところだが――待てよ、昨日コンビニで立ち読みしてた高校生の会話を思い出した。「マジやばくね?」「それな」。これで会話が成立している。比喩なんか要らないじゃないか。
いや、話を戻そう。
比喩は大事だ。でも使いすぎると村上春樹になる。「やれやれ」と僕は言った、みたいな(春樹ファンの方、すみません)。
作家の文体を真似るとどうなるか。同じ会話を2人の作家風に書き直してみた。
<原文>
女:どんな料理が好きですか?日本料理習ってるんです
男:日本食は芸術です。目で味わうものです
女:目で、ですか?
男:器との調和、椀の感触も重要でして…
女:椀の感触…?
男:唇が離れる瞬間の心地よさ、絶妙なバランスが必要で
女:はあ…で、何がお好きですか?卵料理とか好きなんですけど
男:卵料理も芸術でして、なんたらかんたら…
女:(無言)
午後2時17分、僕は仙台駅前のカフェで、まさに最後列の席を整えていた。「料理って、芸術だと思う?」 僕が唐突に訊いた。
「さあね」と相手の黒田。
「少なくとも、目で味わうものじゃないよな」 「椀の感触は?」
「は?」 黒田は真剣だった。 まさか、これが後の珍事件に繋がるとは。
午後2時20分、「今日は卵料理です」 と黒田が説明を始めた。
僕は熱心にメモを取っていた。 『温度65度:白身凝固開始』 『70度:黄身固化』 まるで暗号みたいだった。
隣の席に座っていた五十嵐は『この人、料理したことないんじゃ?』と思った。
午後2時31分、僕は「器との調和が重要でして」 と切り出した。
黒田の卵焼きは、見た目だけは完璧だった。 糖度も理想値。 でも、誰も味見をしようとしない。なぜ?
「完璧な焼き色ですね」 「ありがとうございます」 「でも、味は?」 「わかりません」
一瞬の沈黙。 それから僕が言った。 「私もです」
二人の味覚障害者が、料理教室で出会った。 確率にして0.0009%。
でも、起きるときは起きる。僕は、ビートルズの「Come Together」を思い出した。
バラバラなものが、一つになる。
【伊坂幸太郎構文の特徴】
時刻を執拗に書く。午後2時17分、2時20分、2時31分。なぜか知らんが、伊坂はいつもこうだ。
仙台が舞台。これも鉄板。登場人物は黒田と五十嵐。名前に意味はない、たぶん。で、オチ。二人とも味覚障害だった。確率0.0009%。ビートルズの引用。「Come Together」。でもこれが伊坂節。ファンは「おお!」となる。私は「うーん」となる。
好みの問題だ。
午前11時23分、新宿のカフェで奇妙な会話が交わされた。「どんな料理が好きですか?」 女性の田中が聞いた。 「日本食は芸術です。目で味わうものです」 男性の山崎が答えた。
この時点で、田中は違和感を覚えていた。 料理を語るのに、味について一切触れない。 統計的に、料理好きの93%は味から語り始める。
午後0時15分、実習が始まった。 卵料理の基礎。 温度管理が重要だ。 65度で白身が固まり始め、70度で黄身が固化する。
「椀の感触も重要でして」 山崎はまた的外れなことを言った。 「唇が離れる瞬間の心地よさ、絶妙なバランスが」
午後0時47分、田中は確信した。 この男は、料理を食べたことがない。
味覚障害。 先天性無味症の可能性が高い。 日本人の約0.3%が該当する。 味を感じないため、視覚や触覚で料理を判断する。
だが、料理は化学反応だ。 メイラード反応、カラメル化、ゲル化。 すべて温度と時間の関数で表せる。 理論を完璧に理解すれば、味覚なしでも料理は作れる。
午後2時18分、お見合い終了。
山崎の笑顔に、悲しみがにじんでいた。
人間の五感のうち、一つが欠けても人は生きていける。 だが、その一つの欠落が、人生をどれほど変えるか。 それは、当事者にしかわからない。
【東野圭吾構文の特徴】
こっちはもっと理系。温度管理がどうの、メイラード反応がこうのとか。
午前11時23分(また時刻だ)、新宿のカフェ。統計を持ち出す。料理好きの93%は味から語る、とか。誰が調べたんだ、そんなこと。
東野は数字が好きだ。というか、数字を出せば説得力が増すと思ってる。実際、増す。騙される読者は多い。私もだ。最後は感傷的に締める。「人間の五感のうち、一つが欠けても」云々。泣かせようとしている。あざとい。でも売れる。
結局、何が言いたいか
比喩力? 文体模写? どうでもいい。
ただ、こうやって他人の文体を真似てみると、自分の文章のクセが見えてくる。私の場合、やたらと「でも」「ただ」を使う。文が短い。体言止め多すぎ。皮肉っぽい。
昨日、編集者に言われた。「もっと優しく書けません?」
無理だ。性格が出る。
とにかく、本を読め。でも読んだだけじゃダメ。真似してみろ。恥ずかしくても書いてみろ。そのうち自分の文体が見つかる。見つからなくても、まあ、それはそれで。
続編? 反応次第。でも期待するな。私は飽きっぽい。
尾藤 克之(コラムニスト・著述家)
■
22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)







