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学外の委員会・審議会委員
大学に勤務して43年間、教育と研究が日常生活の両輪ではあったが、それらに付随した学内会議、札幌市と北海道庁からの少子化、高齢化、児童虐待、社会福祉、地域福祉などの委員会・審議会は、北大に移った直後から委員を委嘱されてきた。
5年ほど後になると、文部科学省の大学入試センター委員、専門の近さから厚生労働省では少子化や高齢化の委員会、国土交通省ではまちづくり関連の委員会、北海道開発庁からは北海道開発委員会、テレビ朝日系の北海道テレビでの番組審議会委員長、民間の長寿社会開発センター委員長なども務めてきた。
それらの会議には時間をかなり割くことになったが、学内の関係以外の人脈として文字通り多方面の方々との面識が得られ、そこからの交友関係も続いている。
新聞エッセイと雑誌短編集
さらに専門の「少子化する高齢社会」や「地方創生」並びに「児童虐待」論では、時代が直面する問題でもあったので、新聞各社の記者との付き合いや紙面への寄稿も北大定年まではかなりな数に上った。
それらを集めた本書『「成熟社会」を解読する』(2014年3月)は文字通り北海道大学を退職する際の記念版として、半年間準備をして刊行したエッセイ集である。このような表現をするのは、論文や著書は長編であることを前提としてきたからで、新聞エッセイに象徴されるように800字から1500字程度の短編を選んで、全体の8割程度収録した作品集だからでもある。

40年間の時代の記録
本書は、その時折の社会学の研究論文や著書のエッセンスを明らかにして、時代の記録の一助にするために、久留米大学と北海道大学で合わせて37年の勤務のなかで、マスコミとりわけ新聞と雑誌に寄せた原稿をテーマ別かつほぼ年代順に並べたものである。内容としては、
第Ⅰ部 都市社会の診断(12篇)
第Ⅱ部 高齢社会の隘路(11篇)
第Ⅲ部 地域福祉の可能性(10篇)
第Ⅳ部 少子社会の克服(10篇)
第Ⅴ部 環境問題のジレンマ(8篇)
第Ⅵ部 音楽とマスコミ(7篇)
第Ⅶ部 碩学の姿(5篇)
とした。
初出媒体の内訳
初出媒体は以下の通りであり、合計で60篇になり、新聞エッセイが70%を占める。
- 新聞:『西日本新聞』19篇、『北海道新聞』14篇、『朝日新聞』3篇、『読売新聞』1篇、その他の新聞5篇で合計42篇
- 専門誌・学会誌:8篇
- 一般誌・週刊誌:7篇
- 単行本:3篇
- 書下ろし:3篇
『西日本新聞』と『北海道新聞』
『西日本新聞』は福岡県佐賀県をカバーするブロック紙であり、『北海道新聞』は道新として道内では圧倒的な販売力をもっている。前者は九大出身者だけではなく、私の先輩後輩になる社会学講座出身者もいた関係で、寄稿を求められることが多かった。
後者の道新は北大出身者も多く、数名は社会学講座での教え子ということもあり、ときには研究室にブラっと立ち寄り、1時間ほど雑談する中で、新しいテーマを見つけて、談話を出したり、寄稿を求められたりした。
専門誌・学会誌では私の自主的な投稿であるが、一般誌・週刊誌の場合は寄稿を求められたエッセイが多い。
「成熟社会」
さて、本書タイトルに用いた「成熟社会」はかつてガボールによって書かれた同名の著書によっており、講談社からその翻訳が出版されたのは15年間続いた日本の高度成長が終焉した1973年であった。ガ
ボールによる「成熟社会」の定義は、「人口および物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を成長させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和かつ人類(homo sapiens)の性質と両立しうる世界である」(ガボール、1972=12973:5)というものであった。
「成熟社会」への道筋
大学院修士課程で社会学を学び始めたばかりの私は、この本に触れて以来「成熟」(maturity)や「成熟社会」(mature society)についても考えるようになった。
ただし、「野放図に爆発的にすすむ成長をやめ、成熟社会へ向けて有機的に発展するように少しずつ成長の方向を転換させる、そのために最善の努力をする」(同上:6)ことは容易ではなく、40年後に大学定年を迎えた後も、生活の質、成熟社会、経済成長の三者の関連を統一的に把握できていない。
「社会資本主義」の提唱
せいぜい、直近の『社会資本主義』(2023)で「社会資本主義」とは、既存の資本主義の課題を克服し、より持続可能で公正な社会を目指す新しい経済システムを指す概念と位置づけたくらいである。
具体的には、「社会的共通資本」「社会関係資本」「人間文化資本」の3つの資本を融合させ、世代間の協力や社会移動が可能な開放型社会を目指すとまとめてみた。
団塊世代のライフヒストリーにも重なり合う
しかしともかく「成熟」は、私も含む団塊世代のライフヒストリーにも重なり合う意味合いを持っており、時代の中の明るさも暗さも兼ね備え、同時に活気も沈滞も取り込んだ不思議な概念として学問のなかに取り込まれてきた。その意味で「成熟社会」は、豊かさの中の「緩やかな脇道への動き」を含みながら私の中で膨らんでいった。
この「成熟社会」は、社会的にも個人的にも豊かさを「生活の質」の向上を通して達成して、多くの分野でこの種の多様性がみられるようになり、社会システム全体で多面的な可能性を予感させるものであった。
時代の調子が狂っている
ただし、多様性は時代の調子を狂わせることもある。
『ハムレット』の台詞は味読に値するものが多いが、その第一幕第五場一八九行に有名な台詞 “The time is out of joint.”(時代の調子が狂っている)がある。個性あふれる名訳揃いの台詞を21世紀の「成熟した日本社会」に置き換えてみると、社会システムや日本国民の動向に予測できない揺れ(volatility)が大きくなったと解読してもよさそうである。
マクロ社会学に志向
「全体社会」のあり方と行く末に関心が強かった私は、学問的には「マクロ社会学」に志向しながら、中範囲の都市調査を続けてきた。
高度成長期は私の青春時代であり、それはまた自らの肉体も精神もともに「成熟期への胎動」であった。この経験による「社会現状認識」が都市化であり、その処方箋をコミュニティづくりに求めるという問題意識を育てた。
そのパラダイムで約10年間の都市調査研究を行い、調査を進める過程で対象者の高齢化に直面した。そのために次の「現状認識」が高齢化になり、その対応を地域福祉社会システムとみなした。都市高齢化の調査・研究も10年くらい継続したが、このなかで高齢化の促進要因が少子化だと気がついた。
「少子化する高齢社会」という時代認識に到達
そこでこれらを合成して「少子化する高齢社会」という時代認識を確定して、現在まで20年以上使ってきた。
もちろん少子化対策や子育て支援は、「全体社会」のあり方としても行く末としても大きな課題なので、オリジナルの調査データを分析した現状認識を基盤にして札幌市の都市政策にも複数の分野で関与してきた。
いくつかの造語によるオリジナルな概念
本書の前半はそのような研究史から紡ぎだされた「自助、互助、共助、商助、公助」、「義捐・微助人活動」、「子育て共同参画社会」、「子育てフリーラーダー」、「子育て基金」、「ストリングスとストレングス」、「近所姑」(キンジョジュウト)などのオリジナルな概念も含めての内容から構成されている。
本書収録の短編のほとんどは、「成熟した日本社会」各地における調査経験から生み出されたものであり、都市化、高齢化、少子化、環境問題などを考えるたびに、時代の理解と診断の難しさをかみしめてきた。
ゾラの『時代を読む』も参考にした
たまたま2002年にフランスの作家ゾラのセレクション(藤原書店)が刊行され、その第10巻が『時代を読む 1870-1900』となっていた。それは30年間にわたる『フィガロ』紙、『ヨーロッパ通報』誌、短編集の「序文」、『オーロール』紙などへのゾラの寄稿文を集めて、「女性」、「教育」、「ジャーナリズム」、「文学」、「宗教」、「パリ」、「風俗と社会」などのテーマ別に再編集した構成であった。
時代も内容も分量も全く違うが、定年10年前ほど前にそれを読んでからは、いずれこのようなマスコミ寄稿論集だけを集めて、私も「時代を読む」という記録を残したいという思いが強くなった。そして北海道大学を離れる時にそれが本書で実現したことは、ミネルヴァ書房との縁であり、運でもあった。
実践してきた方法
私が実践してきた社会学は、研究対象とする社会的事実や社会事象を見て、その分野に関する先学の研究成果を学び、関連する統計資料を読み、関係者の話を聞き、それらを総合しながら全体像を構築しようとするものであった。
学術的には長編の著書を主体としてきたが、新聞や雑誌の短編であってもその原則を守り、可能な限り社会学的な水準を維持できるように努めた。たとえば、漱石の長編と芥川の短編を完成度の面で比較することはできないと考えて、短編なりに工夫したところがある。
複数の判断軸を活用
ただ社会的事実や社会事象はたくさんの複合要因をもつので、特定の視点または一本の切り口ないしは一元的な基準を用いるよりも、欲張りながらも複数の判断軸を活用したほうが生産的であると判断して、微力ながら本書でもその方法を踏襲している。
それらは、男女(gender)、世代(generation)、都市部と非都市部(community)、階層(haves とhave-nots)の4軸である。長編でも短編でも、起稿の際にはこの4者のどれを優先してまとめるかを考えることにしてきた。
4通りの視点
これらの視点における男女(gender)は、文化的な差異をもつ性(sex)から構成される。世代(generation)は高齢者(old)と中年(middle)と若年(young)に大別される。コミュニティ分類の基本はurbanとruralだが、「少子化する高齢社会」では、定住人口数を用いて過密都市(over-population)と過疎地(under-population)が分かりやすい場合も増えてくる。
また、階層論でも「持てる人々」(haves) と「持たざる人々」(have-nots)の二分法と同時に、別の表現である裕福者(rich)と貧困者(poor)を使うこともあった。
いずれにしても、調査結果の解析に有効な基準は、世代、男女、コミュニティ、階層の4基準であるという方針を堅持した。
マジョリティとマイノリティの区分
これらの主要な判断基準から、現代日本でマジョリティないしはマイノリティとして認められる社会的事実に対して自分なりの得意な切り口を選択し、正確な認識に向けてデータを分析する。学術的な個性とはそういうところからしか出てこない。世代でもコミュニティでもかまわないが、得意な判断基準に特化するほうが設定したテーマをまとめやすい。
先人が見逃したものを見る
絵画でも黄色を好む画家もいれば、青を得意とする画家もいる。ここには和辻哲郎の次の言葉がふさわしい。
「美術に進歩をもたらそうとすれば、先のものが見のこした新しい美を見いだし、それに新しい形づけをしなくてはならない」(和辻、1980:47)。これが個性ないしは独自性を育てる方法である。
音楽社会学でも実践
音楽でいうと、7月27日『吉田正』の際に詳しく述べたように、ヨナ抜き五音階が好みの作曲家、和声短音階が得意な作曲家、長音階が得意な作曲家などがいるし、ファに♯を使う人、ファとソに♯を使う人など、得意な方法は各人で異なる。またリズムで勝負する作曲家とメロディー優先の作曲家などがいるが、基本的にはどれがいいという議論にはならない。それは時代ないしは国民大衆が決めるからである。
吉田正の楽曲を点検した「音楽社会学」の経験からいえば、和辻のいう「伝統の異なる他の様式が、しばしば天啓的な示唆を与える」(傍点原文、同上:57)は真実である。古賀政男、万城目正、古関裕而、服部良一などの異なる伝統の様式が、吉田正の「都会派歌謡曲」を生み育てたということになる。
複数の調査データを活用
都市化、高齢化、少子化にしても、いずれも当該分野の先行研究から実証的な社会分析の方法論と成果を学んだうえで、課題の解明のために地方都市で500人規模の訪問面接調査を行い、収集したデータを計量的に分析したり、インタビューを軸とした質的調査を併用してきた。
統計資料や歴史的資料を読み解く一方で、量的・質的調査結果を駆使したオリジナルな一次資料から論文や著書をまとめながら、不十分とはいえ簡単な学説史と理論社会学の成果も学んだので、そこでの諸概念を選択した具体的なテーマに応用しながら、使いこなす努力をした。その過程で自然に道具箱が増えて、社会的事実の豊かさに気がついた。
現代社会学の祖としてのコント、トックビル、マルクス、ヴェーバー、パーソンズ
現代社会学の祖を、かりにコント、トックビル、マルクス、ヴェーバー、パーソンズとすれば、コントのいう社会秩序を維持するには、ヴェーバーのいう合理性による思考を重ね、マルクスが必然とみた対立を緩和し、パーソンズが強調した共有価値を担い、トックビルが見抜いた平等な関係を新しく創造するという大きな課題に到達する。
本書の短編でも、道具箱が増えた分だけ、明示的ではないにせよ全体としては意識してまとめている。
環境問題だけは知識社会学の手法
ただし、本書第Ⅴ部に登場した「環境問題」は対象の多くが自然現象であるために、知識社会学の手法に依拠することになった。社会学では直接的に二酸化炭素を実験室で扱えないが、その濃度が増加して地球温暖化が進むという言説には、この手法が有効である。その意味で社会学でも、自然科学の成果を二次資料として解読することは可能である。
特に「3.11」以降に登場した反原発運動は、被災地の復興のためのインフラ整備や地域社会づくりを後回しにしたうえに、電力料金を引き上げるという顕在的逆機能を発揮した。さらにその運動は電力料金の継続的な高騰に拍車をかけるようになった。
日本における土地の制約を完全に無視したうえに、火力発電や原子力発電とは代替性に乏しい太陽光発電や風力発電などの自然再生エネルギーに寄せられる過度の期待からは、強い社会的ジレンマも感じ取れる。
被災地の復興には膨大な二酸化炭素の排出が不可避
なぜなら、被災地の復興のための本格的インフラ整備を行うには膨大な二酸化炭素の排出が不可避であり、それはこの20年間の地球温暖化論とは衝突してしまうからである。同時に復興にも大量の電力の安定供給が望まれるが、予定されている程度の自然再生エネルギーではそれは全くの期待薄でしかないからである。
この両者を合わせて「環境史観」と命名したのは、「少子化する高齢社会」がいわば「人口史観」に立脚しており、21世紀の先進国ではこの両史観は共存せざるをえない運命にあると考えたからである。
建設的理論のみが危機を終息させる
社会学の祖であるコントの言葉、「建設的理論のみが、社会全体を新組織への道に導くことによって、危機を終息させる」(コント、1822=1895=1980:60)は令和の今日でも真理である。
コントから190年後のプラマーもまた、「現代は、我々の生きる世界の仕組みに関する息の長い、真剣な分析をたしかに必要としている」(プラマー、2016:378)とみた。
最後に本書の中で一番論議を呼んだエッセイ「選挙制度の改革」をそのまま再録して、これからの政治を考える素材の一つにしていただけたらと願うものである。
選挙制度の改革
1998年3月の住民基本台帳をもとにした「朝日新聞」の再集計によると、全国300の小選挙区間の人口格差は最大で2.31に拡大し、選挙区間の人口格差で2倍を超えるところが52区になると推定され、「ひずみ」が大きくなったと指摘されている。
しかし、当初からこの問題に関心をもってきた私には、そもそも「2倍の基準」自体もあまり根拠があるとは思えない。ましてや、地区間の人口移動は宿命なのだから、小数点以下のポイントの増減で、「1票の格差」についての正確な論議が可能だろうか。政界やマスコミを含めて、小選挙区制問題の取り扱いについて私には大きな不満がある。
政治家の質が変わらない
結論からいえば、この小選挙区制でも、国民が期待する政治改革はほとんど実現されていない。なぜなら、出馬した政治家の質が変わらないからである。せっかく科学的な「計画行政」研究を行っても、政治と政治家の質がそのままではやり切れなさが残るのである。
私の根本的な疑問は、なぜ政治家は地区代表者として選出されなければならないのかという一点にある。地区代表者であれば、人情として、地元に新幹線、大型公共施設、港湾整備計画などを誘致したい気持ちになっても仕方がない。しかし、21世紀に向けて、国政に携わる政治家にますます求められる資質は優先順位の決定能力と国際的視点なのである。
今の地区代表としての政治家の大半は、選挙区地盤まわりや地元からの陳情攻勢などで、このような優先順位の決定能力を身につけたり、国際的な重要課題をまともに勉強する時間がないのではないか。
比例代表制を廃止し、世代代表制を取り入れよう
そこで私の抜本的政治改革案は、本格的な選挙制度改革として、問題が多い比例代表制を廃止し、代わりに世代代表制を取り入れ、地区代表制と組み合わせる方式である。なぜなら、社会は、ヨコの組立てとしての地域社会、タテの組立てとして社会階層によって、重ね合わせて構成されているからである。
したがって、真に革新的といえる選挙制度改革とは、地区社会代表と社会階層代表が同時に同じ権限をもつ存在として、国民に選ばれる制度をめざすものとなる。
シミュレーション結果
その結果はどうなるか。人口データはやや古いが、1990年の国勢調査結果を利用すると、被選挙権があるのは、25歳以上の国民約66%である。この内訳は、25歳~29歳までが7%、30歳代が14%、40歳代が16%、50歳代が13%、そして60歳代以上が18%になる。
とりあえず、ここに比例代表の200人を割り当てるのである。そうすると、25歳~29歳までの国会議員が19人、以下30歳代が41人、40歳代が48人、50歳代が39人、60歳代以上が53人となる。
選挙の方法
全国区のなかで、たとえば20歳の有権者は25~29歳の候補者に、48歳の有権者は40歳代の候補者に、75歳ならば60歳代の候補者に世代の心情を託してそれぞれ投票する。もちろん政治家の定年制を導入し、立候補時点で70歳末満とすれば、「老害」の心配もない。
最終的には世代代表が参議院で地区代表が衆議院
この世代代表の200人が、地区代表としての政治家300人と、衆議院のなかで政策の優先順位をめぐって国際的視点のなかで論戦するシーンには夢がある。
そして、10年ごとの大規模国勢調査で小選挙区の区割りと世代代表の定員も見直し、ともに250人ずつの完全なタテヨコ対等の代表選挙にすれば、21世紀初頭には、国民の声が届きにくい政治の世界も大幅に変化するのではないだろうか。
そして最終的には、衆参両議院を改革して、衆議院を地区代表議院、参議院を世代代表議院にすることが根底的な政治改革になると考えるが、いかがであろうか。
(初出 日本計画行政学会北海道支部News Letter No.8,1997.3 再録に際しては少し加筆修正した)
この「選挙制度の改革」を経由した「政治改革案」には、いろいろな意見をいただいた記憶があるが、結局初出から30年近くたっても何も変わらなかった。コントに倣って「建設的理論」を提示してみたが、時代がそれに追いつかなかった。今はどうだろうか。
世代代表の今日的試論
参考までに世代代表に関して、2025年8月1日現在の「人口推計」(概算値)を使うと、表1が得られる。

表1 世代選挙人の割合と世代代表の議員数
ちなみに、2021年の第49回の衆議院選挙での当選者の平均年齢は55.5歳であり、2025年7月の参議院選挙当選者の平均年齢も55.2歳であった。
表1では25歳から29歳までの議員が30人、30歳から39歳までの議員も31人になるので、現行の地域代表制度からの議員に比べると、多くの若者代表が国会に登院することは可能になる。ただこれにもまた異論は出てくるであろう。
21世紀後半の「未来シナリオ」のために
2050年に向けて、国民総数が2000万人減少することは避けられない。それは仕方がないが、21世紀後半の「未来シナリオ」を本気で作成するためにも、国政への若い世代の参入が求められる。
議員の世襲が三代続くことを防ぐためにも、抜本的な選挙制度改革案として、世代代表制と地区代表制を併存させる方式の導入を提唱しておきたい。
【参照文献】
- Comte.A.,1822=1895,“Plan des travaux scientifiques nécessaries pour réorganizer la société.”Système de politique positive.Ⅳ. Société Positive, Paris,Appendice Général.(=1980 霧生和夫訳 「社会再組織に必要な科学的作業プラン」清水幾太郎編集『コント スペンサー』中央公論社):51-139.
- Gabor,D.,1972, The Mature Society, Secker & Warburg Ltd.(=1973 林雄二郎訳『成熟社会』講談社).
- 金子勇,2014,『「成熟社会」を解読する』ミネルヴァ書房.
- Plummer,K.,2016,Sociology: The Basics, Second Edition, Routledge.(=2021 赤川学監訳 『21世紀を生きるための社会学の教科書』筑摩書房).
- 和辻哲郎,1980,『埋もれた日本』新潮社.
- Zola,É, 1872-1899、Chroniques et Polémiques,1870-1900.(=2002 小倉孝誠・菅野賢治編訳『時代を読む 1870-1900』藤原書店).
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