オーストリア国営放送(ORF)が10日報じたところによると、アドルフ・ヒトラー(1889年4月20日~1945年4月30日)の生家の改修工事が年内に完了する。オーバーエスターライヒ州西北部のブラウナウ・アム・インにある3階建ての建物の一室にヒトラーは1889年4月20日に生まれ、3歳までそこに住んでいた。オーストリアは2019年11月、「ヒトラーの生家」を警察の建物として使用するために改修することを決めた。同時に、ブラウナウ・アム・インは将来、ナチス迫害の犠牲者を追悼し、ナチス政権での戦争犯罪の実態を啓蒙する場所を設置する予定だ。

ヒトラーの生家とその前に設置された石碑。 石碑には「ファシズムを繰り返すな」と刻まれている。Wikipediaより
「ヒトラーの生家」を警察署に改築する案は最初からあったわけではない。「ヒトラーの生家」は戦後、障害者施設とその作業場として久しく使用されてきた。同施設が2011年に退去して以来、同建物をどのように利用するかが大きな問題となった。そして「ヒトラーの生家」を家主から強制収用できる法案が審査された時も国民の間で激しい議論が飛び出し、最終決着がつくまで数年が経過した。
オーストリアは「ヒトラーの生家」がネオナチなどの過激な右派グループの巡礼地となることを恐れてきた。当方は1990年代初め、ブラウナウを初めて訪問した。駅に降りて近くのタバコ屋さんの主人にヒトラーの生家の場所を聞いたが、彼は「知らない」と言う。道行く人に聞いても「知らない」という返事しか戻ってこなかったが、実際はブラウナウ・アム・イン駅から数分歩いたところに「ヒトラーの生家」があった。
ブラウナウの人々は「ヒトラーの生家」がどこにあるかを知っている。だが、外から来た人、特に外国人に「ヒトラーの生家」の場所を聞かれる時、何故か教えたくないようだった。オーストリア国民の中には、ヒトラーの生家を「悪魔のハウス」と呼ぶ人もいる。
オーストリアは戦後、ヒトラーと関連する建物、歴史的遺産などを出来るだけ外国からのゲストの目に見えないよう腐心してきた。ヒトラーと関連する事例には平静に対応できないのだ。
「ヒトラーの生家」だけではない。生家の周辺のストリート名がナチス時代を想起させるということから、周辺の通りが改名される予定だ。ただし、通り名を変えることで、土地登記簿や遺言書などの書類を変更する必要が出てくるから、通り名の変更は大変だ。それでも、改名するのだ。
音楽の都ウィーン市の中心部に「英雄広場」(Heldenplatz)がある。「英雄広場」には、2人の歴史的英雄の騎馬像がある。対トルコ戦の英雄である「オイゲン公」像とナポレオンを破った「カール大公」の像だ。2人の英雄を讃える意味で「英雄広場」と呼ばれるようになったが、ヒトラーが1938年、その英雄広場で母国に凱旋して有名な演説をしたことから、ヒトラーと英雄広場がリンクされるようになった。そこで「英雄広場」を「共和国広場」とか何か新しい名称に改名すべきだ、という提案が出てきたわけだ。
「英雄広場」の改名を支持する知識人は「ヒトラーは明らかにわが国の英雄ではない。英雄広場からヒトラーの亡霊を断つべきだ」と主張する。一方、改名に反対する歴史家たちは「歴史には明暗がある。喜ばしい時代もそうではない時代も歴史だ。その歴史的名称を現代人の目から判断して歴史を曲げることは良くない」という立場だ。
また、ウィーン市の文化評議会は2012年4月、市内1区、議会から大学までのストリートをDr.-Karl-Lueger-Ring(ドクター・カール・ルエガー・リンク)からUniversitaetsring(大学リンク)に改名した。ルエガー(1844年~1910年)は1897年から1910年までウィーン市長を務めた政治家だが、反ユダヤ主義者としても有名だった。彼は当時、「ウィーン市から全てのユダヤ人が出て行けば幸せだ」と発言した。反ユダヤ主義者の名前を付けた通り名は誤解を生む、ということで改名となった経緯がある。
ちなみに、戦後オーストリアは、「モスクワ宣言」を拠り所として久しくヒトラーの戦争犯罪の被害国だと主張してきた。1943年の「モスクワ宣言」には、「ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある」と明記されている。オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのはフラニツキー政権が誕生してからだ。同首相(任期1986年6月~96年3月)がイスラエルを訪問し、「ナチス・ドイツ軍の戦争犯罪はオーストリアにも責任があった」と初めて正式に認めた。同国がそこまで到達するのに半世紀余りの歳月を要した。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年10月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。






