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彼らを苦しめている者の正体
気温が低下しつつあります。今年もまた、被害者たちの悲痛な叫びが繰り返されます。ひとシーズンごとに被害者は増え、何家族もが絶望の煤煙地獄に落とされる冬を迎えます。
薪ストーブや野焼きによる煙害に苦しむ被害者たちは、長年にわたりSNSやブログでその声を上げ続けてきました。彼らの言葉は時にかなり常軌を逸して感情的に見えます。
しかし、それは至極当然のことです。長年にわたり健康を害され、生活を脅かされ、それでも社会から徹底的に無視排除され続けてきたのですから。激しい怒りの声を上げないほうがむしろおかしいはずです。よく黙っていられるね、とさえ思います。叫んで当然のことなのです。
問題なのは、被害者たちが「感情的だ」「科学的根拠がない」と門前払い的に首長、議員、行政府から切り捨てられ、長い間ずっと誰の支援支持も得られずに苦しみの中で孤立させられてきた現実です。
なぜ彼らがその証明のために自ら測定器を購入し、データを解析し、研究者の代わりに市民科学を担わねばならないのでしょうか。本来、それは行政府、研究機関、そして報道機関の責任であるはずです。私だってこんな面白くもない空気質測定機器など買うことになるなど思ってもいませんでしたから。
現実にはどうでしょうか。
薪ストーブ業界は「カーボンニュートラル」や「エコ」を装い、被害者たちの悲痛な声を一切無視し、メディアまで制圧し意図的に徹底的に炭素中立を錦の御旗にして気候変動対策を叫びつつ煙害を隠蔽してきました。まさにグリーンウォッシュの最悪な典型例です。そこには一切の血も涙もありません。
自治体や行政は、被害の訴えを「単なる臭気」として矮小化し、未だに欧米諸国の知見や規制事情を完全に無視したまま、規制どころか推進の立場をとり続けています。これは一体何ですか?西側先進国でこの逆行状況は現在では日本だけです。
そして一部の研究者は業界の資金や影響を受け、煙害を軽視し矮小化する薄っぺらい結果ありきの「御用実験」を発表し、被害の実態を執拗なまでに覆い隠してきました。そして報道機関は広告主との関係を優先し、この問題を未だに真正面から報じようとしません。
こうした加害の構造は、完全に悪意ある意図的なものです。業界は利益のために、行政は責任回避のために、一部の研究者は立場維持のために、報道は広告費のために、それぞれが直接あるいは間接的に「加担者」となり、社会構造全体で被害者を徹底的に無視し黙殺してきたのです。
その冷酷さと反社会性に倫理観、エシカルの片鱗さえも見られず、被害者の感情的な言葉よりもはるかに深刻で、破壊的です。
一方で、欧米諸国では市民科学の取り組みが制度的に支えられ、市民の測定データが政策に反映される仕組みが確立しています。
つまり、日本でそれが進まないのは「文化の違い」ではなく、あからさまな責任放棄と加害者の利権保護のためです。
だから私は言います。
被害者は悪くない。
悪いのは、加害者と、それに加担する者たちです。
煙害被害者を孤立させ、侮辱し、見捨て続けてきた社会構造こそが、最大の環境犯罪者なのです。
被害者たちの怒りの声は、今日もまたどこかで上がっているはずです。聞こえませんか?
編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2025年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。






