黒坂岳央です。
ネットやSNSが情報流通の主役となったことで、一部の人たちは従来の4大マスメディア(新聞、テレビ、出版、ラジオ)を「オールド」と呼んで見下す風潮がある。
「オールドメディアは時代遅れ」「マスゴミは信用できない」といった批判は、一部のSNS界隈での「共通言語」のようになっている。
だが、こうした批判的な表現を聞くたび、筆者はあまり良い感情ではなくなる。その言葉の背後に、他者のプロフェッショナルな仕事に対するリスペクトの欠如と、それ以上に情報の本質に対する重大な誤解があるように思えるからだ。

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ネット情報の多くは二次情報
「オールドメディアはダメ、ネットやSNSこそ正義!」
このように考える人たちが崇拝するネットやSNS、インフルエンサーからの情報の多くは「二次情報」である。というのも、彼らの発信内容の多くは新聞記事や報道発表、専門家コメントなど、一次取材をもとにした情報を再解釈して届けているにすぎないからだ。
では一次情報は何かというと、彼らが「オールド」と切り捨てたメディアが、莫大なコストと時間をかけて現地で取材し、専門家の裏付けを取り、生み出したものである。
大企業の不祥事、政治家の疑惑、科学的な大発見といったニュースの深掘りや詳細な調査報道は従来メディアが担っている。
ネットメディアやインフルエンサーは、これらの情報に対し、引用や切り抜きをする立場であることも多い(もちろん、独自取材をするメディアも多くある。ここでいうのはあくまで比率と傾向の話だ)。
筆者自身、ビジネス記事を書かせてもらっている立場ではあるが、新聞やテレビの報道、書籍や雑誌などのメディアをよく引用させてもらっている。大変ありがたいことだ。
この構造を理解せず、「ネット情報こそ正義」と断じる姿勢は、情報リテラシーの欠如そのものである。現地に赴き、取材のために汗をかく一次情報の生産者へのリスペクトを欠き、その努力を軽視する態度は、情報を受け取るビジネスパーソンとしても未熟と言わざるを得ない。
厳しい言い方をすると、「オールドメディア」と嘲笑する人たちはメタ認知力に欠け、他者を落として自分たちは先進的だと勘違いする人たち、という印象がある。
取材の苦労を舐めてはいけない
筆者はこれまで、4大メディアのすべてに出演・協力した経験があるが、その立場から言わせてもらうと、取材の現場は想像以上に厳格である。SNSでは「テレビや新聞は大したことがない」といった意見もあるが、実際に現場では魂を込めた取材が行われている場面も少なくない。
記事や番組を制作する際、必ずリサーチ担当者がつく。彼らは、筆者の提供する意見やデータ一つひとつについて、その妥当性を徹底的に検証する。時には、事実関係や専門的な見解について、発言の元となる関係者や別の専門家に直接確認を取る「ファクトチェック」を実施する。筆者が書いた記事の裏取りのために省庁へ確認を取ったり、飛行機で現地取材をして確認に行くこともあった。「そこまで厳格な確認をするのか」と驚かされたことは何度もあった。
筆者がテレビ番組に出演した時は、夜中3時まで粘り強く根拠を集めるためにロケバスに乗っていたこともあった。その時の番組ディレクターの執念と取材へのプライドは本気であり、すさまじいものを感じた。とてもネットで言われているような「オールドメディアはいい加減」などと言えない。
個人の発信者がスマホ一つで撮影し、裏取りもなく発信する「一億総ジャーナリスト」時代の情報と、この組織的な検証プロセスを経た情報とでは、信頼性の「コスト」も「重み」も全く異なる。
仮に世の中から4大メディアが消え、個人ジャーナリストのみになったらAIも手伝ってフェイクニュースが増え、ファクトチェックをするために参照すべき情報源に困るのではないだろうか。
従来のメディアは、その社会的責任を果たすために、信頼性という見えないコストを支払っているのだ。そこにリスペクトを忘れるべきではないだろう。そもそも他者の仕事に対して軽い気持ちで「上から目線」でバカにする姿勢自体、良くないと思っている。
いいものも悪いものもある
もちろん、従来のメディアにも批判の余地がないわけではない。ネットのバズネタを安易に取り上げてコメントするだけの番組や、特定の意見に偏った報道があることも事実だ。
しかし、一部の安易な姿勢だけを見て、業界すべてを否定するのは違うのではないだろうか。現場で真剣に、そして厳格に仕事をしている記者、編集者、ディレクター全体の努力と、彼らが担う「社会共通の認識を形成する」という重要な役割を否定するのは視野狭窄で短絡的に思える。
ネット上もフェイクニュースや煽り、胸糞悪いニュースばかり発信する有害なものもあれば、新たな視点、信頼性の高い発信をする有益なものもあるはずだ。それらを含めての「ネット情報」である。
従来メディアも同じだ。いいものもそうでないものもある。十把一絡げに全体論的な否定だけでは能が無い。建設的批判とは、より具体的にリスペクトの感じられる生産的なものであるべきだ。
◇
以上の理由から、新しく覚えた言葉を積極的に使いたがる子供のように、何かあればすぐに「オールドメディア」とレッテル貼りをする人に疑問を感じるのである。
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