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「着る服がない」……そう言いながら、また服を買う。
おかしい。絶対におかしい。クローゼットには服が溢れている。衣裳部屋なんて作った。なのに「着る服がない」。
『人生がきらめく スモールフィット片づけ~ペン1本から始める部屋と心が整う習慣』(阿部静子著)アルソス
「必要だから」という言い訳
フリーアナウンサーになって、服が爆発的に増えた。司会の仕事にはスーツが必要。落ち着いた色、明るめの色。それぞれ何着も。リポーターは毎日違う服。コートも何枚も。
「仕事柄、服がたくさん必要だよね」
周りからそう言われるたびに、私は安心した。ほら、正当な理由がある。買っていいんだ、私は。でも冷静に考えたら(今なら言える)、それは単なる言い訳だった。
確かに必要ではある。でも、「必要」と「買いすぎ」は別の話だ。結婚して、新居に引っ越したとき。私は「衣裳部屋」を作った。かっこいいと思った。「私、衣裳部屋あるの」って言えるのが。
でも実際は? ただの物置。カオス。地獄絵図。買った服がどこにあるかわからない。タグがついたままの服がゴロゴロ。まったく着てない服が山ほど。
それなのに。それなのに、だ。
「着る服がない」……また買う。もう、意味がわからない。今思い出しても腹が立つ。自分に。
買わなきゃ損の罠
話を戻すと——いや、戻らないか。関係あるから。結婚後、物が増え続けた。インテリア。キッチン用品。休みの日はショッピング。取材で店に行くと、必ず何か買う。
なぜか。
「せっかく来たのに、何も買わないと損。もったいない」
この思考、ヤバい。今ならわかる。でも当時は本気でそう思ってた。店に行く目的って、本来「必要なものを買う」はずだ。でも気づいたら、「何か買うことが目的」になってる。
順番が逆なんだ。で、家には使わない物が溢れる。素敵な飾り物は、ぎゅうぎゅうの棚でほこりをかぶる。食器は増える一方で、使ってるのは同じものだけ。キッチンの調理台は物に占領されて、料理するスペースすらない。
バカじゃないか、と思う。当時の自分に言いたい。子どもが生まれて、さらにカオス。子どもが生まれると、おもちゃとか服とか、もう止まらない。で、片づけられない。
「他の人の子は片づけできてるのに、うちはできない。私が片づけられないから……」
落ち込んだ。毎日探し物。「ああ、自分ってダメだな」って。散らかった部屋を見るたびに、どっと疲れる。そのストレスに、常に苛まれる。
物が増える理由
なぜ、こんなに物を増やしたのか。今ならわかる。心の空白を埋めようとしてたんだ、きっと。新しい物を買う瞬間って、満足感がある。でも一瞬。すぐに消える。だからまた買う。
物が増えると、本当に必要なものが見えなくなる。探し物に時間を使い、自己嫌悪に陥る。
今、思うことは、片づけを学んでから、私は物を買う前に必ず聞く。自分に。
「これ、本当に必要?」
「これ使って、どんな暮らしがしたい?」
物を持つことは悪くない。でも「なんとなく」「せっかくだから」「損したくないから」——そういう曖昧な理由で持つ物は、やがて自分を苦しめる。ある参加者が言った。
「物にも人にも執着がなくなった」って。片づけって、物理的な空間だけじゃなく、心の空間も整理してくれる。だから今、私は言える。
持ってる服の中から、お気に入りを選ぶ。それでいい。まあ、たまに「あ、やっぱ新しいの欲しいな」って思うけど(人間だもの)。でも、買う前に考える。本当に必要か、って。
それだけで、人生変わるよ。マジで。
※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムの形で編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)








