
総合経済対策の会見をする高市首相
首相官邸HPより
高市内閣で初となる総合経済対策がついに閣議決定された(2025年11月21日)。
令和7年11月21日 総合経済対策等についての会見(首相官邸ホームページ))
確かに、前政権とは違う姿勢と施策があり、トータルではプラス評価である。どう違うかといえば「国民の声に応えようとした各施策」の存在である。実際に読売新聞による世論調査でも一定程度の評価を得ている。
高市首相が掲げる「責任ある積極財政」評価74%、政府の経済対策評価63%…読売世論調査
「21兆円超の経済対策を「評価する」は63%で、「評価しない」は30%だった。(中略)一方、物価高に対する政府の対応について、「評価する」は33%、「評価しない」は52%だった。」
しかし誠に残念ながら、筆者が心から落胆した点がある。物価高対策には朝三暮四的弥縫策しかなく、本質的打開策であるはずの「賃金上昇策」が片手落ちかつ具体策に欠けていた点である。最低賃金1,500円を実現する具体策がなく、多様な働き方といいながら「働いて働いて働きたい」意欲的な労働者の要望実現には配慮がない。
今回の経済対策では円安水準(傾向)にある現在の日本で「(実質的な)手取りが増える」見通しは全く立てられない。もっとも肝心な「労働市場改革」が「空杯」だったからである。一例を抜粋する。
建設業・物流業の持続的成長、業界における価格転嫁の円滑化及び賃上げ原資の確保に向け、第三次・担い手法・改正物流法を着実に施行し、その内容の周知広報を徹底する。重層下請構造の適正化に向けた実態調査、適正な見積りの普及、建設Gメンやトラック・物流Gメンを活用した事業者間の取引に係る調査・改善指導を強化することによって、取引適正化やそれらの業界の労働者の処遇改善を進める。自動車整備業における賃金状況の実態調査を行う。
(令和7年総合経済対策より)
文章は立派だが内容は「今までの施策を一生懸命頑張って推進します。」という情緒的な美辞麗句に過ぎない。
ではどうして「労働者改革」が本命なのか。筆者の考えを述べる。
「働き方改革」が奪った個人増収の途
「働かせ過ぎ(≒働き過ぎ)から労働者を守る」という趣旨には賛成である。
しかし、過度の縛り(働き方“改革”)によって「健康で沢山働きたい労働者」が「十分な仕事量」を確保できない結果を招いている。一例を挙げる。
残業時間規制による収入減少
働き方改革の一環として残業時間に上限が定められ、原則月間30時間以上は残業できないことになった。
時間外労働の上限規制とは
残業時間の上限は、原則として月45時間・年360時間とし、臨時的な特別の事情がなければこれを超えることはできません。施行 大企業:2019年4月〜/中小企業:2020年4月〜
時間外労働の上限規制 | 働き方改革特設サイト | 厚生労働省
上限を1日に換算すると1.5時間である。(年360時間≒月30時間≒日1.5時間:20日間出勤の場合)
平均1.5時間の時間外労働とは「9:00~18:00で働く人は19:30までしか働けない」ということである。勤怠管理上「本当に実質を表しているのだろうか」という疑問はさて置き、子育て世代を除いて更に1時間くらい時間外労働をこなしても「過労」にはならない人も多いのではないだろうか。
また企業側も人手不足の中、労働者確保のコストをかけて労働者数を増やすよりも教育コストもかからない熟練労働者に働いてもらう方がメリットは大きいだろう。
事実、主たる職場の休日に別の仕事(アルバイト)を副業とする(せざるを得ない)労働者は、一定数存在している。その場合、企業側が法を遵守してリスクオフしているとしても、その分個人が自らリスクテイクしながらダブルワークをしているというのは、法の趣旨に鑑みるなら何と皮肉なパラドックスであろうか。
円安・物価上昇による手取りの相対的低下
今経済対策は「積極財政」との評価がなされるのであろうが、市場には円安方向にシフトを促す内容のようである(もちろん今後の動きを見なければ簡単に判断するわけにはいかない)。この影響は甚大である。
経済や為替を深く論じる資質は筆者にはないので妄言をお許し頂きたいが、輸入するエネルギーや自動車等コモディティ商品の国際市場価格上昇を通じて、個人にとってのコストは上昇する一方である。例えば円安はガソリン価格上昇に直結し、暫定税率廃止の効果等はあっという間に帳消しとなるだろう。
一方個人の“売上”たる所得の価値は円安によって相対的に下がる。その分日本に仕事が回ってくるとしても差益は企業に内部留保され個人には降りてこない。なぜなら賃金上昇が全く追いつかないからである。
確かに統計上の数値は上昇しているが、実際の職場では「最低賃金」での重労働が続いている企業も少なくない。筆者の住む神奈川県における最低賃金は1,225円/1時間であるが、流通・小売業の最前線では大企業の系列でさえ、この金額で募集と雇用が展開されている実例が複数ある。況や中小企業をや。
地域別最低賃金(令和7年10月4日改正)
最低賃金の件名 : 神奈川県最低賃金
効力発生年月日 : 令和7年10月4日(令和7年10月3日までの神奈川県最低賃金は1時間 1,162円になります)
今回の経済対策においても最低賃金に関する言及はあった。1500円を2020年代中に目指すということであったが「どうやって実現するのか」という具体的な部分が何もない。話し合いで実現するのだろうか。
(1)最低賃金の引上げ
2024年度の改定後の最低賃金額は全国加重平均で1,055円、引上げ幅51円は2021年以降連続して過去最高額となった。適切な価格転嫁と生産性向上支援によって、最低賃金の引上げを後押しし、2020年代に全国平均1,500円という高い目標の達成に向け、たゆまぬ努力を継続する。
(令和7年総合経済対策より抜粋)
賃金上昇が思わしくない原因が何なのか、調査・把握と対策を打つべきであろう。ヒントは30年前の金融機関の危機の際に政府がとった金融システム保護優先・一般企業放置の経験にあると筆者は考える。
現在経営層を担う世代は若き日の教訓として「危機に際して頼れるのは自前のキャッシュ」という経験を積んでおり心に刻んでいることであろう。「積極投資せよ・賃金を上げよ」と推奨されてもそこは「笛吹けども踊らず」である。
単価×時間=収入、日本には上限がある
単純化して計算すると、現下の最低ラインの上限は年収およそ280万円となる(※)。
(※)1時間あたり1,225円、1日8時間、月20日働くと年収235万円。上限の年間360時間時間外労働で44万円の増収。最低賃金は神奈川県の場合。
簡単に言うと、資格等何らかのアドバンテージを持たない場合、
「法的・社会的な制約のために、しっかり働いても年収300万円はなかなか得られない」
「単価1,500円に上がったと仮定しても年収342万円であり年間増収は63万円止まり」
ということである。
結論として何が言いたいのかというと、今回の経済対策に関して「多くの個人にとって、このままでは手取りは頭打ちで出費は嵩む」ということである。単価の目標は掲げたが具体策が見えず、時間的な面(総量)の実質改善がないので効果は限定的だからである。
コロナ騒動の際の“エッセンシャルワーカー”への感謝とは一体何だったのだろうか。
年収280万円で見る夢とは
年収280万円。夫婦ともに働いて世帯年収560万円。仮に賃金が1,500円となっても342万円と684万円。
果たしてこれで若者が夢を見れるのか。家族を持てるか。家を持てるのか。車を持てるのか。子供を大学にやれるのか。
実質的に不可能である。
国民が高齢化し、国際環境は激変した。国内外の前提条件が憲法制定時とは大きく異なる現在、控えめに言っても日本国憲法第二十五条の理念について、改めて議論すべき時ではないか。
第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
まとめ
現代社会においても依然として目に見えない階層の壁は存在しており、日本社会を分断するその壁は日本の成長の足枷であり続けている。自民党支持層が薄くなり、極端な政策を掲げる新勢力の支持が増加する背景にあるものとは何か。この“ナニカ”の姿を政府と与党には直視して頂きたいと願う。
世界的な生存競争にさらされている中、日本だけ温暖な労働市場を維持できるというのは幻想である。もちろん「労働者保護」と「意欲的労働者に報いる労働環境」の間には多くの相反する要素が存在するが、そのバランス取りこそ、現在最も肝要な物価高対策であり国民も潜在意識下で求めているものと考える。社会の末端の現実を知って頂きたいと願う。
昔ある総理は在任中、報告を鵜吞みにせず「国民は何を食べているのか」を知るために密かに一般家庭のゴミを自ら検分していたという。総理を取り巻く人々には想像しにくい壮絶な現実が現代日本にもある。総理に見えているのだろうか。
その昔、始皇帝は「韓非子」の「孤憤」・「五蠹」両篇に感激したというが、現代の日本にも「五蠹」が巣食っていないか。こう表現しても、最早わかる人も殆どいないのかもしれないが。






