なんども書いてるように、忙しいからもう関わりたくないのだが、定期的にネットで問題を起こす人文学者の集団がいる。一般には「オープンレターズ」の名で知られるのがそれだ。
で、ぼくはもう学者やめてるので、本来ならスルーして小説でも読んでたいのだが、学者どうしがカルテルのような庇いあいの連合を結び、問題を起こしても握りつぶす例があまりに多い。
かつ、そんな現状を放置すると、有事にしゃしゃり出て “専門家” の肩書で国の政策を誤らせた挙句、失敗しても言い逃げしてお仲間に匿ってもらう、無責任な学者が生まれてしまう。
本来は学者どうしの相互批判によって、そうした事態を反省し、未来の糧とすべきなのだが、彼らがサボってやらないから、代わりに「戦後批評の正嫡」がやっているのだ。マジで、請求書を送りつけたいくらいである。
この度11/27に “やらかした” のは、中部大学教授の玉田敦子氏。オープンレターに署名しているのはもとより、なんと歴史学者と来ている(出身は仏文学だが、歴史学専攻の教員)。
これだと「元同業者」としての責任感で(苦笑)、時間を割かざるを得ないわけだが、もうめんどくさいので、まずはまとめサイトを読んでください。それも手間な人のために、1枚でわかる引用ツイートも貼っておきます。
11.28
(赤線は與那覇)
要するに、Wikipediaに項が立つくらい有名な事件で、なんと名誉毀損を「した方とされた方」を逆にして認識し、裁判での勝敗まで事実とは正反対にツイートしたのだ。ここまでの “大誤報” は、めったに見ない。
さすがにまずいと思ったのか、本人も翌日に撤回してはいる。が、それで済むほど、令和のネットは甘くない。
なにせ玉田氏には、①鍵のかかった見えない場所で、②単なる価値判断としての悪口を言っていた学者を、③被害者に謝罪した後でも連名で糾弾した過去がある。で、その因果が返ってきた。
11.28
同時代の著名な事件が、現代日本語で報道されても事実と逆に読み取る学者が、近世フランスの古文書から正しい史実なんてジッショーできるの? と思うでしょ? たぶんできてないだろうけど、そんなことはどうでもいい。
ポイントは、”実証” を旨とするはずの歴史学の世界で、なぜこんなまちがいを犯す人間がやっていけるのかだ。そこには、理由がある。
マルクス史学の失敗が有名だけど、①研究する側に強いバイアス(見方の偏り)があり、かつ②その偏りが業界ぐるみで共有されていると、「生の史料に触れている!」とか言ってても、みんなして③先入見にあわせて誤読することが起きうる。
この玉田氏がきわめて “思い込み” の強い人なことは、オープンレターのきっかけとなった事件を扱う動画(2021.3.27)でわかる。ひさびさに歴史学の手法に倣って(笑)、「翻刻」もつけておこう。
玉田敦子(31:17~)
「被害者のあなたに問題があるのよ」っていう風に言われてしまって、それでまったくそのハラッサーという風にあっちこっちから認識されている人には、ひと言も懲戒・訓戒どころかなにも言われないっていう状況だっていうのが、まぁ各大学で発生していることで…(32:28~)
訴えたらもうそこで喧嘩両成敗っていう感じになる。喧嘩両成敗になったらもうラッキーですよ、なんかもう一方的にこっち〔自分を指して〕が頭おかしい・虚偽の申告をしている・妄想だっていう風に言われる、書かれる。(49:37~)
女性のこと人間だと思ってないですよ、彼ら、はっきり言って。もーっとこう、いじめる対象というか、サンドバックかなんかだと。
強調は引用者
彼女の主張を信じると、日本の大学には「両成敗」以上の判定はなく、男がセクハラし放題みたいだが、それこそまさに虚偽である。ぼくはこの人の近所の大学で教えていたが、隣の学部で教員間のセクハラがあり、男性の加害者は処分された。
こうした人にとっては、草津の冤罪事件のように、ほんとうに「頭おかしく・虚偽で・妄想な」女性が、男性側を誣告した場合も、そうしたファクトの指摘自体が “女性差別” であるかのように、脳内で変換される。
翻刻した部分だけでも、激しいバイアスのあるヤバい人どうしが頷きあっていたことがわかるが、驚くのは配信後、当人が誇ってまとめサイトまで作っていたことだ。こんな思い込みでも、人文学者の世界では “共同幻想” になるわけである。
なお動画で玉田氏の左に映るのは、やはり草津冤罪についての “謝ったら死ぬ病” で有名な隠岐さや香氏(東京大学)だ。彼女は出演後、オープンレターの発起人になるのだが、番組の中で、
隠岐さや香(1:12:58~)
すいません、〔日本は〕法律があんまりはっきりしない国だから、基本的に物事はリンチ的に行われるんですよ。
と明言しており、ネットリンチで社会を動かす “自覚” があったこともまた、実証できる(震笑)。
この玉田氏についてはもう一件、”やらかし” を知っているのだが、そちらはまた今度にしよう。
むしろいま警戒すべきは、次のことだ。
このnoteでなんども警鐘を鳴らしてきたように、学者だから言うことが正しいとはかぎらない。旬のニュースに便乗し、名乗った者勝ちの “専門家” として荒稼ぎするビジネスも、コロナやウクライナで底が割れてしまった。
こうしたことは社会への関心が高く、この “専門家” って信用できるのかな? と、自ら考えてきた人ほど気づきやすい。要は “目の肥えた” お客さんほど、大学やガクモンの看板では釣りにくい時代が、令和に入って始まった。
とはいえ、ぼくにも覚えがあるが(汗笑)、人生の貴重な時間をガクモンなぞに投じてしまうと、手ぶらで帰れない。なのでそうした人たちが、別のところに市場を求め始めている。
コロナにもウクライナにも真剣には接せず、いまもなんとなく「大学教授ならエラいんじゃない?」くらいの認識の人を相手に、とうに失効ずみの “ガクモンの権威” を売りつける例が増えた。いわゆる情弱ビジネスである。
上の記事で触れた、「令和人文主義」なるラベルがいまは目印で、拙稿の公開からひと月が過ぎた現在、むしろ批判される対象になっているようだ。
自称 “専門家” のバブルが崩壊し、実学寄りの学者の株が暴落したので、最初から役立たずな分、傷の浅かったガクモンを落穂拾いし、現実への関心が薄い層に売り込みたい――という以外にどうも、中身はないように思える。
2021年4月に出され、大炎上を起こし1年で消えたオープンレターの主力もまた、玉田氏や隠岐氏のような人文学者だった。彼女たちが “意識高く” 社会に関心を向けた結果の惨敗を見て、「いやいや。人文の価値は個人のオシャレっすよ」くらいのノリが、次は主流になったのかもしれない。
玉田氏もオシャレ路線に転身?
2023年3月の同じチャンネルより
もちろんそれは、ただの誤学習だ。
人文学の価値を今後も守りたいなら、なぜ、目の前で公然と事実誤認やネットリンチを繰り広げる同業者を止めない? それ抜きで、学問の凋落に気づかぬ “意識低い” 層ならいまもブルーオーシャンっすよ! と振るまう偽善者の群れが、敬意を得ることなどあってはならない。
重要なのは、そうしたごまかしを読者が許さず、学問と社会の関係を正道に戻すことだ。そのためにもオープンレターという、令和の人文学の “負の金字塔” を、語り継ぐ試みにご協力を賜りたい。まずは、記事の拡散から。
参考記事:
(ヘッダーは今年4/9、『赤旗』での玉田敦子氏)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年11月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。