フェイスブックが流行り始めた頃、FBの友達が何人いるか、しきりに自慢する人が廻りに結構いたのを覚えていますでしょうか?自分に興味を持ってくれる人が何人いるか、数が多いほど「人気者指数」が高いと考え、鼻高々になったりするのでしょう。
ではその人たちは本当にお友達かといえばそうではなく、その人の発信するごく一部の内容に共感できるかどうかの判断でした。今のSNSの傾向はほとんどすべてその流れで、ある個人のごく一部について評価することが多いと言えます。お気に入りのユーチューバーの配信ではその人が毎回報じる特定の内容、例えば旅行記とかグルメ記、スポーツ解説記、経済解説に歴史の深堀…といった具合で能力や特徴、セールスポイントの一部だけに興味を持ち、評価していると言えます。
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友達にもいろいろ定義はあります。単なる知人は友達と呼ばないと思いますが、他人の前で知人を紹介するとき、「私の友達の〇〇です」と便宜的にいう時があったりしませんか?飲み友とか買い物に付き合う人、コンサートや旅行に誘える人といった1対1の関係を一定時間過ごせる相手は友達のカテゴリーに入ります。それらは物理的に接点を持ち、時間をシェアする発想だと考えています。
では親友とは何でしょうか?仮に年に1-2度しか会わなくても双方が個々の長年のヒストリーや時間経過に伴う様々な人生の喜怒哀楽を共有し、双方にわだかまりがない関係ということでしょうか?時として家族には言えなくても親友には相談できる話もあったりします。
親友のカテゴリーになるには相当長い年月をかけて心のシェアをし続けたかどうかが判断ポイントになると私は思います。
「あなたに親友いますか?」と聞かれるとウっと詰まる人は最近特に増えたと思います。個人主義が進んでいるからです。悩み相談も親友がいなくても相談する方法はいくらでもあります。いわゆる「悩み相談所」のようなところは後腐れなくてよいと考える人もいるでしょう。ネットで調べれば様々な悩み相談の解決方法が示されます。確かにそれらは手っ取り早いですが、残念ながら個々人が持つ特性、性格、環境、考え方を知り尽くしたうえでの回答にはならないでしょう。
私は独立して経営者になった瞬間、真の孤独を感じました。他人に仕事の相談は出来ないし、それ以外の相談があっても「あいつはうまく独立しやがって!」と私に対する嫉妬心が邪魔することもあったからです。(男は嫉妬心が大きい!)私は独立してから性格が少し変わったと思います。それは人間関係が淡白になり、自分の問題は自分で解決するしかないと自覚したのです。
サラリーマン時代は肩書の違いこそあれど「同じ釜の飯」という仲間意識は強く、同僚とは「自分の過去の大暴露大会」をしながら連帯を強めたものです。そう、会社の同僚は親友ではないけれど家族より長い時間を共に過ごすという意味で会社の仕事を超えてプライベートの世界まで双方がかなり立ち入ることでしっかりしたグリップを作り上げていたのです。今の考え方である仕事とプライベートは別、というのと真逆であります。
台湾のTSMCが社内運動会を開催したという報がありました。しかもそこにゲストとしてエヌビディアのファンCEOが参加したのです。これは極めて珍しいケースですが、タイパ、効率化ばかりの世界において社内運動会、そして世界一注目されTSMCにとってなくてはならない男が参加するという仕掛けは素晴らしいと企画だったと思います。
大阪万博。私も開催前は懐疑的だったのですが、開催は大成功だったと思います。私が見たその意義とは世界がぎすぎすする関係の中で未来に向かって夢を語るというテーマで様々な国が一定の連携をし、競争し、切磋琢磨し、約半年という長丁場を乗り切ったという事実であります。
つまりこれは私が言う友達の定義にすっぽり入るのです。世界の国々が友達になれる古典的なやり方の一つですが、スポーツの国際大会や国際博覧会はかつてなく重要な意味合いを持っているのではないかと思うのです。
世界の国々はかつてなく自国中心主義になっています。つまり国家間の友達がいるようでいないのです。経済連携やEUのような大きな枠組みがあるじゃないか、とおっしゃるかもしれませんが、あれはち密な計算と打算と得られる便益の天秤の上で成り立っています。どの国も今では自国を守るのに精いっぱいになってきた中で日本のお友達は誰、といえばアメリカとは答えらえるけれど「他には?」と聞かれると「うッ」となりそうです。
現代社会は個人も会社も国家も親友を求めていないのでしょうか?個人生活にしても家族の関係がより薄弱になり、サザエさん一家のような団らんは少なくなりました。もしかすると家族を感じることができる時は定年退職後に残された夫婦が仮面夫婦でない限り、最も支えあう関係なのかもしれません。会社では仕事オンリー。プライベートのことを聞けばコンプラやら〇〇ハラスメントだと訴えられ、隣の席の人のことは何も知らず、という世界を社会が「管理上」望んでいるのです。よく考えればおかしいけれどプライバシーという壁がどんどん厚くなり個々人の顔が見えなくなってきています。
昭和に生まれ育った私からすれば人間関係が薄弱になったよな、と思います。私は今だからこそ、限られた人との付き合いは大事にしていく時なのかなと考えています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年11月30日の記事より転載させていただきました。