12月9日発売の谷本真由美『世界のニュースを 日本人は何も知らない7 フェイクだらけの時代に揺らぐ常識』(ワニブックスPLUS新書)を読むと、私たちは長いあいだ「世界の出来事は日本とは別の物語で起きている」という前提で暮らしてきたのだと実感する。本書に並ぶ事例は、どれも日本の外側で進んでいるように見えながら、実は私たちの日常のすぐ背後で静かに影を落としている。
フェンタニルの問題はその典型だ。アメリカで社会基盤を揺るがすほどの被害を与え、年間7万人もの命を奪っているにもかかわらず、日本では「薬物依存の問題」として片づけられる。しかし著者が強調するのは、薬物ではなく「国家を静かに衰弱させる仕組み」のほうだ。物流、移民政策、犯罪組織、国境管理、社会保障が複雑に絡み合い、一つの薬物が国家の中枢を揺るがす。こられは直接的な軍事衝突ではないが、それに近い力学に基づいて行われている。
さらに厄介なのは、その流通の一部に日本が組み込まれていた可能性だ。経営管理ビザの緩さは、これまで「日本は安全で、悪意ある者が制度を悪用することは少ない」という暗黙の了解の上に成り立ってきた。しかし世界の力学が変われば、安全神話を前提として作った制度は、たちまち抜け穴だらけになる。日本が「人びとが無垢であることを前提にした制度」をどこまで維持できるのか、という問いは避けられなくなる。
太陽光パネルやインバーターも同じ構図にある。私たちは再生可能エネルギーを「環境に良いもの」として語り、その背後にある供給網や通信機能にほとんど注意を払ってこなかった。しかし、電力網は社会そのものの生命線であり、そこに他国の思惑が入り込む可能性があるなら、それは「エネルギーの話」ではなく「安全保障の話」に直結する。著者の指摘の核心は、この「気づくべきだった脆弱性」を穏やかな筆致で、しかし鋭く示すところにある。
大学についての論点も非常に示唆的だ。そこでは中国の「国防七子」と呼ばれる先端軍事技術の研究開発を担う7つの理工系大学が、国家戦略の中心に位置づけられ、軍事技術を担っている現実が描かれる。しかし日本では、大学は国家から距離を置く独立した知の共同体であるという理想が根強い。だが世界は、すでに大学を安全保障の重要な拠点とみなしている。学問の自由という理念は大切だが、それが国家戦略の現実とどう折り合うのかを論じなければ、理念だけが取り残される。
ロシアや中国が展開するハイブリッド戦争も、本書で取り上げられる重要なテーマだ。偽情報、資金供与、政治勢力の浸透、サイバー攻撃……これらは、軍事衝突のように劇的ではないが、社会の信頼構造を少しずつ壊し、人々の判断能力を曇らせる。現代の脅威は「見えにくい」ことによって、より深く根を張る。だからこそ、日本がその実態を十分共有できていないこと自体が、すでに一つのリスクになっている。
こうしたばらばらに見える現象を「ひとつの構造」として提示する点に本書の特徴がある。薬物、インフラ、大学、移民、スパイ、SNS、国際政治――互いに無関係に見える事象も、世界の勢力図の中では一本の線につながっている。私たちはその線を見ずに、断片だけを眺めて安全を過信してきたのではないか。
本書は、安全保障の話に限らず、世界の輪郭を見失いかけている日本人に、もう一度「世界の見え方」を取り戻させようとする試みのように読める。世界は危険に満ち満ちているという話ではなく、「自分の立ち位置をきちんと確認しなければ、どんな社会でも自分を守れない」という当たり前のことを思い出させてくれる。
著者の語り口は軽やかだが、その背後にある問題意識は重い。日本が「知らされていない」のではなく、「知らなくてもよいと思い込んできた」だけなのではないか。そう問いかけられているように感じる。
そして、その問いに答えるために、この本はちょうどよい長さと温度を持っている。世界を理解するための準備運動のような一冊だ。
プーチン大統領と習近平国家主席(2024年5月北京で、クレムリン公式サイトから)
【目次】
はじめに
第1章 世界の「最新ニュース」を日本人は何も知らない
第2章 世界の「〝あのニュース〟のその後」を日本人は何も知らない
第3章 世界の「イギリスの移民政策の失敗」を日本人は何も知らない
第4章 世界の「地味なローカルニュース」を日本人は何も知らない
第5章 世界の「お笑いニュース」を日本人は何も知らない
第6章 世界の「役立つニュース」を日本人は何も知らない
第7章 世界の「最新エンタメ事情」を日本人は何も知らない
第8章 世界の「重大ニュース」を知る方法
おわりに