やはり、令和人文主義の正体は "キャンセルカルチャー2.0" だった。

まるで80年前の日本のような焼け野原に終わった「令和人文主義」の炎上だったが、”戦争の反省” と同様、追及を中途半端にしてはならない。そこにはこの数年間の、人文学をダメにした潮流が詰まっているからだ。

第一にコロナ以降の混乱では、「人文学は高尚な趣味なんで」と世の中に何も言わないくせに、平時に戻り自分の本が売れるや、「俺ら社会に影響力持ってるんすよぉ!」と誇り出す厚かましさだ。そんなダブスタの指摘が、炎上を加速させた。

「令和人文主義」に異議あり! その歴史的意義と問題点|文学+WEB版
【評論】小峰ひずみ 〇「令和人文主義」とは?  「令和人文主義」という言葉が最近、注目を浴びています。哲学者の谷川嘉浩さんが提唱された言葉だそうです。谷川さんは朝日新聞に「深井龍之介、三宅香帆…新世代が再定義する教養「令和人文主義」とは」という関連記事を寄稿されてもいます。この「令和人文主義」は「読書・出版界とビ...

第二に、実は炎上の発端はこちらなのだが、「ぼくらはどんな観客でもウェルカムで、対立を持ちこまずに語ります」と称する彼らが、その実、裏ではキャンセルに手を染めていたのでは? とする疑いだ。これについては、すでに報告している。

「令和人文主義」はなぜ炎上したのか: 日本でも反転した "キャンセル" の潮流|與那覇潤の論説Bistro
アツい! いま、令和人文主義がアツい。 …といっても、まともに働く会社員の人はわからないと思うが、先月末から令和人文主義なる概念が、「そんなの要らねぇ!」という悪い意味で大バズりしてるのだ。いわゆる炎上で、その熱気が地獄の業火のようにアツい。 たとえばYahoo!の機能でXを解析してもらうと、「令和人文主義」の印象...

で、このたび、やはり令和人文主義なるものが、コロナ禍を機に顕著になった社会の不寛容、とりわけ論壇や出版における陰湿なキャンセルカルチャーと一体だったことが実証されたので、ぜひ広く “オープン” にしたい。

新たな事実を知るきっかけは、12/3の年間読書人氏のnoteだった。以下のXが、引用されていた。

投稿した松井健人氏は東洋大学助教で、ドイツ図書館史の研究者。文中で非難される「カール・レーフラー捏造を行った人物」とは、2018〜19年に研究不正で社会を騒がせた、深井智朗氏を指す。

深井智朗 – Wikipedia

自著で存在しない史料を “典拠” に用いた深井氏が、糾弾されたのはあたりまえで、大学を解雇されたのも妥当な処分だろう。その一方で、松井氏のこのツイートにも、明らかな問題がある。

① 今年の2/6の出版社による「見本が届きました」のツイートを、翌日に松井氏は非難している。つまり刊行前の書籍に対し、現物を見ずに “不適切なもの” だと印象づけている(発売日は2/14)

② クレームの文面で、松井氏は「本質問文および頂いたご回答は…公開する場合もございます」と通告している。が、①のとおり、実際には回答を待たず即座に質問状をXに投稿し、ネットの世論で版元に圧力をかけている。

③ 出版社は2/12に返答をツイートし、同書の訳者あとがきでは「深井氏本人が…深く後悔し、強く反省して」いる旨を明記したことを明かした。謝罪を表明する場でもあった訳書について、松井氏は(刊行を待たず)企画自体を非難していた。

いかに深井氏が最重度の研究不正の当事者であれ、問題を感じた書物は “世に出させるな。未読でも、出る前から評判を落とせ!” とする松井氏のふるまいは、定義どおりの「キャンセルカルチャー」と呼ぶ他はあるまい。

では、今年2月にそんなキャンセルを仕掛けた松井氏が、どこで「令和人文主義」と関わるのか。

この松井氏は今年の8/1に、『大正教養主義の成立と末路』を出している。「結論としては「教養はいらない!」ということになりました」とする本人のツイートに映る、同書の帯はこんな感じだ。

たくさん読み、たくさん考え、差別する
(中 略)
リハビリテーション不可能なありさまを描き切った、教養主義の死亡診断書、発行!

強調箇所も原文に倣った

いやはや、煽りタイトルでは人後に落ちない私も(苦笑)、正直ビビるくらいのスゴい帯である。で、そんな松井氏の8月の新刊に、すかさず喰いつき自説の論拠に使う学者がいた。

『中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史』與那覇潤 | 文春文庫
與那覇先生の日本史名講義! 文庫版附録・宇野常寛氏との特別対談! 中国が既に千年も前に辿りついた境地に、日本は抗いつつも近づいている。まったく新しい枠組みによって描かれる、新日本史!『中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史』與那覇潤

すでにその経緯を紹介したとおり、9/11のネットコラムで「令和人文主義」を自称し始め、10月・11月と雑誌連載でも連チャンで同じ趣旨を連呼し続けた、哲学者の谷川嘉浩氏だ。

11/6に出た『Voice』12月号の記事では、のっけから松井氏の著書を「とんでもない名著だ」と絶賛する。大正教養主義が「何の実体ももたない虚像」だとジッショーされたというのだが、谷川氏が援用する論旨はこんな感じだ。

Voice 時代が求める政治指導者 | 雑誌 | PHP研究所
2025年12月号。自民党総裁選とそれに続く連立協議を経て、高市早苗政権が発足し、参議院選挙以降の政治的空白にようやく終止符が打たれた。積年の課題に真正面から取り組む安定政治を実現できるのか、引き続き停滞と混乱に甘んじるのか、高市首相の手腕が問われ

誰も理解できないがすごそうな話を展開する〔東京帝大の〕ケーベルに対して、当時の知識階層がとった態度は、「なんかとにかくすごい」「いやもう教養人と言えば彼だ」「人格者なんだよ」と褒め称えることだったと思われることが示される。

加えて、ケーベルのハラスメント実態を明らかにし、人格者とも言えないことまで暴露されるのだからもう大変だ。

32頁(強調と改行を付与)

……はぁ(笑)。あのさ、キミは学者なの? スキャンダル記者なの?

ケーベルはその講義が東京帝大の学生に影響を与え、大正教養主義の礎になったとされる美学者だが、彼が(今日の基準で)ハラスメントをしていたらどうだというのか。そんなことで、大正期の教養は全否定できるのか。

そもそも大正教養主義じたい、今日 “絶賛” する人などまずいない。むしろ、昭和の戦争への歩みを止められなかった「ひよわな思想」として、批判的に回顧されるのが戦後の通例だった。

近現代文化の諸問題 第5回 教養とは何か~唐木順三『現代史への試み』~|八阪廉次郎
 第4回では、自然主義作家・田山花袋の視点から、明治末から大正期の首都を舞台に、江戸~東京への移り変わりの視点を振り返ってきました。  近代文学の誕生は、これまでの韻文による物語の世界から、散文による新しい〝小説〟という分野を生み出しました。  「自然主義」というリアリズムの視点があったからこそ、花袋は江戸から東京への...

もし哲学者として、大正教養主義に新たな批判を加えるというなら、たとえば和辻哲郎ヘッダー写真)の思想のどこがまちがっていて、虚妄なのか、具体的に指摘すればよい話だ。

なにも、岩波文庫で4巻分の倫理学の本を書けというのではない。和辻と重なるテーマを選び、「今日の水準では、ぼくの分析の方が妥当だ!」という腕前を見せればいい。平成前半には、そんなのはあたりまえだった。

日本思想という問題/酒井 直樹|人文・社会科学書 - 岩波書店
異種混交的な現実を否認してきた国民主義の諸制度を解体し,新しい社会性にむけて試みられる理論的跳躍. 酒井 直樹 著

学者や学風を “否定” する際に、真正面からその業績に取り組んで、克服することはしない。むしろ周辺のゴシップを蒐集し、「アイツ、いまで言えばハラスメントなんだよ。進んだボクらは、もう無視でよくね?」と安易なレッテルを貼る。

そんな態度がキャンセルカルチャーに通じ、かつ最もチープな反知性主義に他ならないことは、いまや自明すぎて、繰り返すまでもないだろう。

反知性主義の勝利: 50年後に日本を呑み込んだ「見えない全共闘」|與那覇潤の論説Bistro
むむむ、と唸るnoteを読んでしまった。出てくる学者の固有名詞には知ってる人もいるので、そうした個別の評価は留保するとして、なかなかグサッと来ることを言ってると思うのだ。 著者のヤマダヒフミ氏は、なんか最近、人文書に見える "学者と社会の関係" がおかしくなってないか? と問う。特に疑問なのは、こんなノリの本が増えた...

そうした「令和人文主義」の姿勢は、近年の日本を席巻した “令和キャンセルカルチャー” を代表する事例とも、実際につながっている。

そもそも松井健人氏のX投稿を教えてくれた、年間読書人氏のnoteとは、ずばり次のものだ。

石打ち好きのキリスト教「律法主義者」・小林えみの原罪|年間読書人
小林えみは、「よはく舎」という個人出版社の社主であり、「マルジナリア書房」という書店の経営者だ。 『nyx』という雑誌も刊行しているらしい。 その小林えみが、プロテスタント神学者・深井智朗が講談社学術文庫から宗教改革者ジャン・カルヴァンの著書の翻訳書『キリスト教綱要 初版』を出したことに対して、講談社に対する(講談社...

小林えみ氏は、2021年4月にオープンレターで呼びかけ人を務め、23年12月にはトランスジェンダー関連書籍の “刊行前抗議によるキャンセル” にも、出版人の代表として関与した人だ。私自身、かねてその経緯を詳論している。

オープンレター秘録⑤ 日本のトランスジェンダリズムはこうして崩壊した|與那覇潤の論説Bistro
2020年代の日本でTRA(Trans Rights Activists)、すなわち「トランスジェンダー女性は100%の女性であり、女性スペースの利用や女子スポーツへの参加は当然で、違和を唱える行為は差別だ」とする主張が猛威を振るったことは、後世、理解不能な珍事と見なされるだろう。なぜなら海外ではすでに、「ブーム」は退...

しかし、それでも今回の年間読書人氏の指摘は、衝撃だった。

さすがにキャンセルへの批判が高まり、トランスジェンダーのブームが下火になったいま、小林氏はキリスト教に入信したことを根拠に、自分の主張は “当事者の声” だとする論法で、松井健人氏と並んで深井智朗氏の訳書への排斥を、今年も仕掛けていたというのだ。

引用される資料(小林氏自身のブログ)によれば、小林氏は深井氏にはなお “勤めている職がある” ことをわざわざ名指しで指摘し、要は、

クリスチャンの小林えみは、講談社の「寛容」は誤りだと、批判しているのである。言い換えれば、

一一そのくらい徹底的に痛めつけられないかぎり、犯罪者は許されるべきではない。許してもならない。「普通の人」と同じように、仕事が与えられてもならない。ましてや、学者ヅラを許して、訳書なんかを刊行させるべきではない。最低限、「公開謝罪文」を出さないかぎり、あらゆる出版社は、深井智朗を使うべきではなく、キャンセルすべきである。その点で、講談社は(金儲け優先なのか)、犯罪者に対して甘すぎる

一一と、そう小林えみは、主張しているのだ。

年間読書人氏note、2025.12.3
(段落をまとめ誤字を修正)

という次第なのだ(笑えない)。

端的にまとめると、こういう構図である。

マスクをしない人、ワクチンに疑念を持つ人、鍵アカが口汚い学者、ロシアに甘そうな人…といった「敵」を名指し、こいつらを叩けっ! と叫ぶ “キャンセルカルチャー1.0” は、煽った人たちのボロが後からどんどん出てきて、もう人気がない。

「専門家の時代」の終焉|與那覇潤の論説Bistro
いま連載を持っているので、送っていただいている『文藝春秋』の4月号が届いた。すでに各所で話題だが、「コロナワクチン後遺症の真実」として、福島雅典氏(京大名誉教授)の論考が載っているのが目につく。タイトルが表紙にも刷られているので、今号の「目玉」という扱いだ。 お世話になっているから持ち上げるわけではないが、『文藝春秋...
あのオープンレターズは、いま。4年前に "キャンセル" を誇った学者たちの末路|與那覇潤の論説Bistro
6回分連載した「オープンレター秘録」を、あと1回で完結させたいのだが、時間がとれない。この春に戦後批評の正嫡を継いでしまい、歴史の他に批評の仕事もしなければならず、忙しいのだ。 そんな間に、キャンセルカルチャーの潮目じたいが大きく変わった。未来に目覚めて(woke)現状変革を唱える急進派が、"時代遅れ" と見なす保...

ので、表では「大正教養主義と異なり、誰にでも開かれた人文知です」と自称しつつ、だからそんだけイケてるこの主義以外あり得ないですよね? 俺らが認めない書物とか推さないでくださいね? と裏でこっそり行う “キャンセルカルチャー2.0” が、「令和人文主義」なる虚像だったのだろう。

江藤淳が言ったことだが、最強の検閲とは、検閲されていることを “意識させない検閲” である。

楽しく学ぼう! 戦後日本と「WGIP」についてのQ&A|與那覇潤の論説Bistro
3月16・17日の東京新聞/中日新聞に、風元正さんの『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』の書評を寄せました。Webにも転載されたので、こちらのリンクから読めます。 平山周吉さんの『江藤淳は甦える』が「実証史学」的な江藤論だとすれば、風元さんの本は「文芸批評」的な江藤論。ちなみにどちらも、編集者として生前の江藤と面識...

一見すると、誰とも衝突しない・批判しない・推してバズらせるのがミッション!…とポジティブずくめな体裁でも、それは単に目の前の世界の、または自分自身のダークな部分を、裏面に追いやっているだけかもしれない。

実際にSNSが始まった平成期に比べても、「令和人文主義」の担い手は異論への耐性が低いらしい。違う感性の人は “いない” ことを、内心で前提にしていれば、批判への免疫ができず、ブロックして引きこもることにもなる。

2025.12.4
(赤線は引用者)

この “主義” の看板役になっている、三宅香帆氏の言をもじるなら、もはや時代は平成ではない。令和なのだ。批評の時代ではない黙殺の時代なのだ。そんな時代の変化が有象無象の “識者” のふるまいに見られる。

平成のSFが描いたディストピアのように、クリーンワールドを満たす「溢れる善意」こそが、最大の箝口具となり、令和の空気を支配するのだ。

黙示録のようなSF小説: 2008年に予言された「プーチンの勝利」|與那覇潤の論説Bistro
先週の記事で、西アフリカのニジェールの名を出した。にわかに「ホームタウン騒動」で有名になったナイジェリアに隣接し、貧しいのはむろん、世界で最も「情勢不穏な国」の比喩としてである。要は、ヤバい国だ。 どのくらいヤバいかと言うと、ウクライナ戦争のさなかに米軍を追い出して、ロシア軍に来てもらうくらいヤバい。そう決めたのが...

そんな時代を象徴するキラキラしたXで、この記事を閉じておこう。もちろん2025年とともに、本来閉じられるべきなのは、そうしたスパンコールをまぶした “キャンセルカルチャー2.0” である。

かつては教養主義の末裔のことばとして、「肥った豚より痩せたソクラテスたれ」と言われもした。だが “美食をむさぼるソクラテス” の虚像を煽ることほど、人文主義と無縁な営みもない。なによりも、私たちは豚ではない。

参考記事:

キラキラ・ダイバーシティの終焉:オープンレター「炎上」異聞
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「歴史学者」からのストーキング被害について|與那覇潤の論説Bistro
何年かにわたり、オンライン・ストーカーのような「歴史学者」から誹謗中傷を受け続けており、困っている。 それは熊本学園大学の嶋理人氏という方で、私より年長なのだが本名での単著がなく、むしろTwitter(X)で用いる「墨東公安委員会」の筆名で知られている。思想誌の『情況』に登場した際も、自ら著者名を「嶋 理人(HN:墨...

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年12月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。