
1/3の『朝日新聞』朝刊が、長めのインタビューを載せてくれた。翌日にさらなるロング・バージョンもWebに出たので、(有料だが)以下に掲げるリンクから読んでいただける。
ぼくがここ数年考えてきた “歴史” の社会的な意義を、多角的にお話ししたが、なんといっても――

歴史、ないし過去の記憶が消滅すると、衝撃的な事件に接するごとに「未曽有のことが起きた」、つまり初めての事態だとして人々は受け止めることになります。
その結果、「初めてのことなのだから、対策を考える際に、従来の価値観なんて気にしなくていい」という発想が前面化する。
コロナ禍やウクライナ戦争で「見知らぬ専門家が唱えた、極端な最強硬論ほど支持される」現象が起きたのは、こうした歴史の無効化の帰結でもありました。
朝日新聞、2026.1.3
(表記と改行を調整、強調を付与)
ずばり、ここですよね。まぁ貼るまでもないけど、実例はたっぷり。いまだに気づいてない人がいるなら、それ単なる情弱ですから(苦笑)。


なんども書くけど、ぼくは2020年5月から言ってるので、「後出しダー」な批判は効かない。レキシガークな人たちはぼくを “全推し” することで、あのとき歴史学をネ申学問にすることができたのに、逆の対応をとりむしろゴミになった(笑)。

2022年2月に始まるウクライナ戦争でも、すでに1年めの年末の時点で、ぼくはこう書いている。文中の「クルツ」(カーツ)は、英文学の古典『闇の奥』に出てくる悪役で、たとえば村上春樹の創作への影響で知られる。

現下のウクライナ戦争でロシアを非難すべきは論を待たないが、単にNATOの支援を受けた火力で圧倒する「だけ」で問題が解決すると考え、スポーツ観戦めいた戦術談義ばかりがメディアを席巻する時、そこにいるのもやはりクルツであり「裏返しのプーチン」なのだ。
目の前の問題の「専門家」として持ち上げられ、いまならいかなる発言でも好意的に報じられる立場に置かれると、どんな人であれ内なるクルツが「私の提案にあらゆる力を委ねよ。それで混乱は収まる」とささやきがちだ。
(中 略)
人や社会がもっぱら「強制力」に頼ってなにかを解決しようとするとき、そこには必ず、人間への最重度の不信がある。
Newsweek Web、2022.12.16
3頁より
専門家は文字どおり、自分のセンモンしか知らないことによって囃してもらっているので、政府やメディアの場で「いや、他の専門分野の知見とも、バランスをとって…」とはなかなか言えない。だから物量の力で押す、タカ派一辺倒になる。
ちょうど1年前の記事をちょいアレンジすると、解決策の提案として――

・コロナの専門家(自称を含む、以下同)
「うおおおお! 行動制限をもっと強化!」
・ウクライナのセンモンカ
「うおおおお! 武器支援をもっと強化!」
・統一教会の専門家
「うおおおお! 宗教統制をもっと強化!」
・年金制度の専門家
「うおおおお! 納付基盤をもっと強化!」
しか、言わなくなる。で、いろんな政権が替わった果てに、いま、

・経済政策の専門家
「うおおおお! 積極財政をもっと強化!」
(円の信用はどうなるの?)
・物価対策の専門家
「うおおおお! 生活支援をもっと強化!」
(インフレが過熱しない?)
へ加速がついちゃって止められないのが、2026年の日本が背負う巨大なカントリー・リスクだ。

項目によっては、似た状況に陥っている国は他にもある。が、コロナ禍の発生から6年経ってもいまだに、事実上マスクが義務のサービス業があるのは、うちの国だけだろう。
それは『闇の奥』が原作の映画『地獄の黙示録』(1979年)で、密林にクルツことカーツ大佐が築いた王国を思わせる(ヘッダーはあらすじサイトより)。当初は世界の時流に沿っていたのかもしれないが、いまやただのカルトな無法地帯だ。

終わらせるためには、映画と同様に、カーツ(クルツ)は除去される必要がある。定義どおりの “父殺し” を、社会の全体で遂行するわけですね。まぁこの場合、父の性別は関係ないけど。
1/5のBSフジ・プライムニュースでは、上記の意識を踏まえて財政学者の井出英策さんと議論した。ベーシックサービスの提唱はじめ、一般には「大きな政府」論の代表として知られる人だ。
昨秋にも書いたが、ここ数年は受給資格をユニバーサル(弱者でなくても、誰でも一律に受けれる)にすることで、福祉国家への合意を再調達する発想が、新しいもののように囃されてきた。で、ぼくはその空気に批判的だ。
福祉は弱者優先ではなく、”一律” じゃないとイヤだとする感性は、それを投資志向として前向きに捉える本書の論旨に反して、しばしば「俺以外がトクしたり、ラクするのは認めない!」という後ろ向きな発想につながる。
(中 略)
その裏面に貼りついた “俺損への不寛容” が暴走するリスクには、顧慮が払われない。実際に一律10万円を配ったコロナでは、「自粛警察」の形でそれが躍り出た。
『新しいリベラル』の著者は
橋本努・金澤悠介両氏
意外だったのは、まさに「ユニバーサル福祉論」の先駆者だった井出さんと、こうした副作用を懸念する点で話がぴたりと合ったことだ。
無責任な福祉の “物量化” は、まず①コロナ補助金がそうだったように、「ウチは他より多く配ります!」といったインフレへの競争を生む。さらに②「配らないなんてあり得ないよな?」として異論を封殺し、民主政の土台まで掘り崩す。

ケインズ政策は、経済理論としては聞くべきものがあったとしても、財政の価値を質的なものから量的なものへとかえてしまったという意味では、深刻な過ちをおかした。
(中 略)
社会の公正さについて論じあいながら、自由の条件をかたちづくっていくための、質的な共同事業こそが財政なのであって、たんに所得をふやすための、量的な道具ではない。
(中 略)
財政は所得をふやすための道具だという、こうした、「非財政的」な考えかたに無自覚であればあるほど、バラマキがうたわれ、うけいれられていく。だが、それは、財政破綻とは次元のちがう、民主主義と自由の衰退、社会の破綻への道である。
338-340頁
センモンカが「この道しかない!」と叫び、盲目的な信者が「もっともっと!」と群がって引き返せない密林内の教団めいた社会を、井出氏の上記書はエクストリーミズム(極端主義)の概念で把握する。これも、ぼくの持論と同じだ。

在カンボジアのカーツ大佐の王国。
いまだとベネズエラ感もあったり。
こちらのブログより
前回と同様に、番組のスタッフさんが早速ダイジェストをYouTubeに上げてくれている。なお目下のベネズエラ事変の発生を受け、前半では緊急出演された鈴木一人さんの解説も聞ける。
年始早々から、新聞とTVで「この1年を考える」企画をお手伝いできたのは、光栄だった。ぜひ多くの人の目に留まって、今年が日本と世界を “まとも” に戻す年に、少しでも近づきますように。

参考記事:


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。






