このブログが1995年に遡り、「ウィンドウズ95とどう向き合うか?」という話題だとします。答えは「従順にパソコンと格闘する」「パソコンスクールに行く」「俺は断固拒否で触らない」など様々な反応があったと思います。しかしスマホが普及した時、いつの間にか皆ITガジェットを触るようになり、使いこなしているじゃないか、が本当の答えだったかもしれません。とはいえ、そこに到達するには20年ぐらいの時間を要したことも事実です。
では、「AIとどう向き合うか」、これもたぶん、似たような反応ながらもいつの間にかAIと同居していたということになるのでしょう。そしてAIと人間の親和性はウィンドウズ95の時に比べてはるかに改善されています。専門知識がなくてもある程度いじれることもありそうです。

Thai Liang Lim/iStock
先日、日本では誰でも知る某企業にお勤めの方と話をした際、「最近うちの会社にいる20代ぐらいの若手は資料作成をお願いすると完成度の高いものを直ちに提出してくるのだけど何のために資料を作ったのかを理解しておらず、微妙な修正をすることもできない」と嘆いていました。
もう少し聞くと、資料作成はAI頼みになっていて会議の資料作りなどはそれに頼るらしいのですが、若手社員の仕事が「タスクをこなす」とか「表面繕いの仕事上手」になっていて自分でほぼ思考をしていないので出来上がった資料に対する熟知度がほぼないそうです。興味深かったのはその続き話で上司がそれをたしなめると若手社員が何に対して怒られたり、指摘されているのか理解できず、ポカンとしているというのです。
これ、仕事の本質が変わってしまったとも言えないでしょうか?今さらですが、仕事はPDCAを廻すという一連の作業において必ず自分の作業や判断が正しいのかを確認する仕組みになっています。電車の運転手が指先呼称をするのは頭で自分の思い込みや「やったつもり」によるエラーを未然に防ぐためです。
皆さんが車を運転する際、車線変更するときにはサイドミラーだけで車線変更する人は少ないと思います。教習所で「自分の肩を見るようにして自分のクルマの横を確認せよ」と習ったからです。教習所で習ったことの中でもっとも継続している癖の一つだと思うのですが、それはサイドミラーの確認だけではヒヤリハットを何度か経験していることもあるでしょう。
しかし、最近のクルマには車線変更アシスト機能がついているものも増えたので「おれ、特に自分で見ないよ」という方もいらっしゃるのかもしれません。本来自分がやるべきことをテクノロジーに託すというのはこういうことで、これが積み重なっていくと「おれ、普通のクルマとか運転できないし」ということになるのでしょうか?
日本人の採用面接の際のレジメ。履歴書のデザインは何種類かあるのですが、中に書かれている文章は見事に誰も同じクオリティの英文です。かなり難しい単語を使いこなし、文法上の間違いなんて一つもありません。実際に面接をして「英語は?」と聞けば「駅前留学3か月」「セブ島3か月」中には「カナダで語学学校に1か月行って友達もたくさんできました」というレベルで、もちろんレジメはAI任せ。時折応募者に「これはあなたが書いたの?」と嫌味な質問をすると「Chat GPTに少しだけ手伝ってもらいました」と。「少しだけ?」と思わず言いたくなるのをぐっとこらえて「じゃあ、自分の口で職歴を説明して」と言って応募者の資質を再確認するという手間をかけているのです。つまりAI作成レジメは上手に書かれ過ぎているので信用できないのです。
そういう私もAIは使うと思います。「ひろとAIは使いよう」じゃないですが、利用するところは選別する意図的な癖をつけることは大事だと思います。ただ、まるっぽ投げてしまい、見る見るうちに自分が阿呆になるのを感じるのは嫌なのです。例えばこのブログだって過去の分をAIに読み込ませ、AI君に「今日は政治ついて書いて」といえば1分以内に誤字脱字もなく、完成するでしょう。これで読者は満足するか、といえば否です。
私は明石家さんまさんが好きです。芸人として自分を2段ぐらい落としながら自らが笑いながら場を作っていくサンマさん劇場なんですね。もし「AIサンマさん」だったら私、テレビを見ますかね?一部の人に根強い人気の関西系のテレビ番組「正義の味方」。私、実はかなり前からチェックしています。毎週欠かさずとは言わないし、番組最後までは見ないけれどなぜ見るのか、というと私、東野幸治さんが好きなんですよ。あの癖の強い出演者たちをうまく切り回し、番組としてまとめ上げるチカラがすごいなぁ、と。
私は人間の磨き上げる才能に惚れるのです。でも羊飼いならぬ「AI飼い」の人が人間的魅力があるかは今の段階ではわからないですね。例えば質疑に対してあら探しをして人の弱点を突き、「これはどうなんですか?」「あれもおかしいでしょう」「こっちは…」という人は嫌ですよね。100点満点なんて人間は取れないのです。では何点なら妥協できるか、ここを見つけるのが人間対人間のやり取りの面白さなのだと思います。そうやって人は成長していくのです。
しかしAIに頼りすぎるとテクニック論ばかりが先行します。例えばある有名料理店に行くとします。あなたの友達がAIみたいな人で「ここの料理には何処何処産の〇〇と〇〇を入れて秘伝と言われる〇〇が入ったたれを使い、〇時間煮込んでいて作ったから旨いんだよ」とウンチクを述べたら旨い気はするけれど楽しいとは思わないですよね。料理って出会いなのですよ。同じ店でも行くたびに印象が変わるのは着いた席、サーバーの対応、周りの客の雰囲気、一緒にいた人が誰でどんな話題だったのかによって「今日の飯は旨かったね」にも「イマイチだったね」にもなると思います。
人間らしさをいかに維持するか、AI時代だけにそこを意識することが大事だと思います。私がウィンドウズ95を使い始めて失ったことは筆記能力で、紙とペンを渡されて「文章を書け」と言われたらもう書けないし、読める字にならないでしょう。「筆記の為の指先能力」を失った後悔はあります。だけどAIは脳みそを失うリスクがあることはよく考えておくべきだと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年1月9日の記事より転載させていただきました。






