黒坂岳央です。
一時期の爆発的な勢いが落ち着いた発信者に対して、「この人もオワコンだな」とバカにする人をよく目にする。
だが厳しいことを言えば努力する人に軽々しく「オワコン」という人ほど、本人は一生、何一つ始まることすらないまま終わる。
オワコンという揶揄に限らず、人を下に見る発言をする人は将来、その言葉がブーメランとなって返ってくる。だから何より、「未来の自分自身のために」人を軽々しくバカにしない方が良いと考える。
よくわからない言霊やスピリチュアルではない。ロジカルな理由を取り上げたい。
pixalot/iStock
「動画が1万再生」はオワコンではない
多くの人は、YouTubeのアルゴリズムによって「100万再生」や「登録者100万人」といったトップ0.1%の景色ばかりを見ている。よほど工夫してキーワード検索をしない限り、90%以上のチャンネルは可視化されることはない。その結果、感覚が麻痺し、「最低でも10万再生はないとダメ、1万再生なんて完全にオワコン」と錯覚してしまうのである。
しかし、現実はどうか。1000回再生でも至難の業だ。
時期によっても異なるが、ざっくり登録者1,000人を超えるだけで、全チャンネルの上位層入りと言われている。そして登録者1000人の人が1万再生を突破することは難しいので、現実的にもっと登録者数は必要になる。
実際にカメラの前に立ち、企画を練り、編集をこなし、批判のリスクに晒されながら公開ボタンを押したことがある人なら、「大半の無名発信者が、継続的に1万再生を維持することがどれほど大変か」が痛いほど理解できるはずである。
つまり、「この人はたったの1万再生しかない」といっている人の多くは実情を知らない人である。
評価する側はゼロスタート
どんな世界でも誰もが評価する側にまわり、される側は避けようとする。それは、「評価する側」は安全地帯だからだ。
スポーツを一切しない酔った中年男性が、居酒屋のテレビに向かって「今の球を打てないのかよ!」「もうコイツは終わりだ」とプロ野球選手にヤジを飛ばしている姿を想像してほしい。
客観的に見て、これほど滑稽な光景はない。戦っている人間は、たとえ成績が落ちても「戦士」である。一方で、安全圏からヤジを飛ばしている側は、その領域で何の実績も出していない「ただの傍観者」にすぎない。
評価する側は自分がえらくなった錯覚を覚えるが、単なる妄想に過ぎず、実際にはゼロスタートなのである。
嘲笑は自分への「ブーメラン」になる
軽い気持ちで他人をバカにする行為は恐ろしい。これは相手から訴訟を受けるリスクのことをいっているのではない。それ以上に恐ろしいのは「将来、自分への呪い」となって返ってくる点にある。
たとえば、40代から必死に英語を勉強している人を「今さら遅い」と笑う人は多い。だが、仮に自分の勤務先が外資系に買収され、いきなり英語が必要になったとき、その人はもはや英語を始めることができなくなる。なぜなら、「かつて自分がバカにした行為」を自分自身がこれから行うことが、耐え難い屈辱になるからである。
「YouTuberなど恥ずかしい」と言えば、自分がいざ仕事で発信者に立つことになる時に足がすくむ。同じく、「あの人はオワコンだ」と笑えば、自分が挑戦して失敗することに過剰な恐怖を抱くのだ。
他人をこき下ろす行為は、自分の未来の選択肢を一つずつ潰していくのと変わらない。
プロほど素人を笑わない
筆者は小規模でこじんまりとYouTubeで発信をし、記事を書いている。時には心ない言葉を投げかけられることもあるが、それを受け入れる覚悟で表に立っている。
筆者は登録者が100人、再生数が2桁のチャンネルであっても、バカにしたことは一度もない。見る人が少ない時期でも、努力を続けていい作品を出している人は「頑張っているなあ」と心から敬意を表する。なぜなら、自分も昔同じ道を通ってきたからである。0を1にする苦しみ、最初の10人を集めるまでの孤独を知っているからだ。
プロ野球の世界では、一流ほど選手にヤジを飛ばさない。たとえ批判するにしても批評家というブランドをリスクに晒して行うものであり、間違っても軽薄な嘲笑を安全圏から投げることはしないだろう。するのは人生でまともに野球をしたことがない人だけだ。
◇
「オワコン」という言葉は、一度でも「始まった」ことがある人に対して使われる言葉である。つまり、少なくとも一度は成功している。
他人を評価し、採点し、安全圏から石を投げ続けているだけの人は、人生において一度も「始まって」すらいない。オワコンにすらなれない人が、自分より上の人をバカにする姿は大変滑稽に映るのである。
■
2025年10月、全国の書店やAmazonで最新刊絶賛発売中!
「なめてくるバカを黙らせる技術」(著:黒坂岳央)