「責任ある積極財政」の本質を考える。

首相官邸HPより

日銀の利上げもついに行われ、日本の10年国債金利が2.1%と27年ぶり!の水準になり、いよいよ「泰平のアベノミクス期」を超えた新しい激動の時代を舵取りしていかないといけない状況になってますね。

この状況下では、いつも以上に「両極端な議論」に引っ張られずに結局どうなのか?を真剣に考えなくちゃいけないわけですが、それがなかなか難しい。

日本の財政はもう破綻寸前で死亡宣告を受けていて、まるで戦前日本が絶望的な対米戦争に向かって没入していった状況にあるのだ!

これは明らかに間違っている(現時点では)一方で、

自国通貨建ての日本国債はいくらでも発行できるので一切何も問題がないし、いくらでも円安になっていいし、利上げも一切不要で、また日銀が際限なく全部国債買い取って金利をゼロに押し付ければいいだけだ・・・というレベルの話

これも明らかに間違っている。

これからの日本はその2つの間にある「ナローパス(狭い道)」を丁寧に通り抜けていかないといけないわけですが、それについての全体像をある程度客観的に理解できるようにする記事を書きます。

めちゃくちゃ多面的な問題を一個の記事にまとめるので、専門家からはざっくりすぎるように感じるかもしれませんが、予備知識があまりない人でも「結局何を今の日本はやろうとしているのか」がわかるように頑張って書きます。

特に小見出し「1−2」までは基礎知識の確認って感じなので詳しい方は読み飛ばしてもいいんですけど、3以後はあまりほかでは見られない「大事な洞察」が入ってるのでそこを注目して読んでいただければと思います。

1. 高市政権には高市政権なりの「合理的な基準」を掲げて動こうとしてはいる

いわゆる「責任ある積極財政」を標榜する論客グループにも色々な人がいるわけですが、多くは「無限に財政拡張」を目指しているわけではないんですよね。

特に高市政権についていえば、総裁選前の政策パッケージで以下のように表明されていました。

・給付付き税額控除の制度設計に着手
・責任ある積極財政で税収増の強い経済に
・政府純債務残高の対GDP比をゆるやかに下げる

僕はこれ↑を見て「危なっかしいといわれまくってる高市さんだけどまあまあ自分なりの舵取りのラインを持って動いているんだな」という感触を得て、当時総裁選前に「高市さんになったら果てしない財政拡張にぶっ飛んでいきそうでヤバいのでは」と思っていた自分の感覚を多少は修正することができた感じでした。そのあたり、総裁選挙前に書いた以下記事をどうぞ。

小泉進次郎?高市早苗?・・・どっちになっても日本は終わりません!|倉本圭造
10月4日に投開票となる自民党総裁選ですが、世評では「地味」「盛り上がらない」「代わり映えしない」などという人もいるようです。 いやいや、ちょっと待って下さい。 有力候補が「戦後最年少の40代の総理」か「憲政史上初の女性総理」かという二択になっている時点で、こんなエポックな総裁選は今までなかったといえるのではないで...

で、まずここにある用語をある程度ざっくり説明していきますと、

「給付付き税額控除」っていうのは、端的にいうと”困窮する中低所得者層にピンポイントで効く援助の仕組みを作る”ということ

「政府純債務残高の対GDP比を緩やかに下げる」というのは、「際限なく無限に借金を増やして財政拡張するのではなく、この基準で考えていきますよという定量的なラインを示した」ということ

…なんですね。

で、ここで考えるべきポイントは、

「政府純債務残高の対GDP比を緩やかに下げる」という基準と、いわゆる「プライマリーバランスの黒字」という基準との違い

なんですが、「プライマリーバランスの黒字」っていうのは単純にいえば単年度で税収で必要な経費を賄えているかどうかという指標なんですが、これを個人にあてはめて考えてみると、

A. プライマリーバランスの黒字というのは、

単年度で新しく借金しないで済む範囲で暮らす

事を意味し、一方で、

B. 政府純債務残高の対GDP比を緩やかにさげるというのは、

累積した借金額が対GDP比(個人で言えば年収)で見てだんだん減るようにする

という基準を表していると言えます。

で!この2つ↓を個人の場合で考えると、だんだん違いがわかってくると思いますが・・・

A・単年度で新しく借金しないで済む範囲で暮らす
B・累積した借金額が対GDP比(個人で言えば年収)で見てだんだん減るようにする

例えば、年々給料があがっていく前提でいると、100万円借りて車を買うことで「今年の借金」は増えるけれども、給料も年々あがっていれば、「総債務の年収比率」的なものは適切な範囲にコントロールできるし、そこで買った車によって色々な活動をすることで新しい経済行為を生み出せるみたいな話がありますよね。

で、要するに「新しい借金は全部悪」という基準で考えると緊縮的になりすぎて、長期的な成長のために今投資しなくちゃいけない分野とかでも全部ケチケチしているうちに、未来の収入増加も見込めなくなってしまうわけですよね。

だからこそ、「給与の伸び」に応じて、適切なレベルでは借金することの方がむしろ健全なのだ(しかしそれは無限に野放図に借金しまくることではないよ)・・・という発想が「政府純債務残高の対GDP比率を緩やかに下げる」という基準の意味になります。

要するに、

・全く野放図に無限に借金できると言っているわけではない
・客観的にジャッジできる範囲で歳出増を行って、将来に向けた戦略的投資や困窮層への物価高支援を行う
・特に困窮層への直接支援として「給付付き税額控除」のような構想もある

というあたりが高市政権の目指しているところだと言えます。

2. インフレが累積した借金を解決する!という隠れた意図

で、この問題をさらに「奥に隠れた意図」みたいな話に踏み込むと、最近のインフレ(物価高)自体が、過去の借金を減らす効果を持っているという超重要ポイントがあるんですね。

同じリンゴ一個を売る商行為が行われても、それが100円だったのが物価高で200円になれば、”名目GDP”は倍になるみたいな話がある。

「名目」っていうのはインフレ関係なく数字上の変化だけを計測する仕組みなので、「世界の名目GDP成長率ランキング」とかを見ると、めちゃくちゃインフレしてる新興国なんかがずらずらと並びます。

上記ランキングにあるブルンジとかガーナとかほどではないにせよ、最近は日本も安定してインフレする時代に入ったので、今「名目」の成長率は2026年は3.4%程度を日本政府は予測しており、昨年はじめて600兆円を超えたはずだったものが今年は六百数十兆円になるはずだったりして、「GDPの数字」自体はグイグイ伸びてるんですよね。

これは良くない言い方をすると「日本円の価値が落ちている」んだけど、そうすることで「過去の借金の額面」も下がってくるんですよね。

極端な例を出せば戦前の百円って大きな価値があったけど、急激にインフレした今から見れば「百円の借金」とか全然負担じゃない、みたいな話ですね。

高市政権が「積極財政する余地」というのは、大枠でいうとこの「インフレによって過去の借金の負担が減っていく」メカニズムに依拠しているのだと言えます。

で!

問題は「この状況全体」をどう理解するべきか?という話なんですよね。

民放のワイドショーレベルの話だと、単純に「去年の歳出額」「今年の歳出額」「国債発行額」みたいな数字をそのまま比べて、使いすぎの放漫財政ではないか・・・みたいな議論がされてたりるするんですけど、そういう話だけだと捉えきれない問題があるんですよ。

急激にインフレが進んでいる時代に、単純に円建てで見た「政府支出額」だけを見てそれが同額になるように調整してしまうと、実際はめちゃくちゃ緊縮財政してることになるわけですね。

大雑把にいえば100円のリンゴが200円の時代になったら、政府支出も「倍」にすることでやっとトントンになるというような話です。純粋な金額だけを比べても意味がない。

実際は物価は倍とかにはなってないから、年間数%レベルの話だけど、数%インフレしたなら、政府支出もそれだけ額面では増やさないとトントンにはならないですよね。

こういう「複雑な現象が進行中」なので、単純な「積極財政か緊縮財政か」「そもそもどの程度のことなのか」というのは、より本質的な視点で捉え返さないと意味がないんですね。

3. 高齢者のタンス預金によって未来の投資を行うというスキーム

で、ここまでは普通の基礎知識の確認で、ここからが大事な話なんですが・・・

より本質的なことを考えると、この「インフレによる過去債務の圧縮」っていうのは「資産を円で持っている人たちから実質的に徴税している」ようなものなんですよ。

円の価値を切り下げていくと、例えば一億円を現金のまま持ち続けている人は切り下がった分の資産価値を失うわけですけど、その分だけ「政府財政に余裕が生まれる」という構造なんですね。

で、なぜ今こういう行為が行われる意味があるかというと、日本というのはストックで見るとかなりお金を持っている国(2024年末家計金融資産2230兆円)で、しかもその約6割を60歳以上が持ってるというある意味でいびつな構造をしてる国なんですよね。

今の60代は案外投資にアクティブな人もいますが70代以上はすごい保守的なので、現預金(=日本円)で保持されている率も非常に高い。

ある意味で高市政権がやろうとしていることは、

溜め込んで使われない上に、90代で亡くなった親から70代の子が相続されるような形で死蔵されてしまってきた日本の「実は大きなストックの豊かさ」の部分

これ↑を、アクロバティックな方法wで「実質的には徴税」することで、

現役世代や未来への投資や貧困層への手当てに使うという政策

…なのだということが言えるわけです。

高市政権への若い人の支持率がめっちゃ高いのは有名な話ですが、「ここで行われていることの本質」を考えると、「そりゃ支持するよね」という感じかもしれないですね(笑)

単純に民放のワイドショーレベルで「単年度の政府支出額推移」とかのグラフを見ていてもわからない本質レベルのことを、人々はちゃんと直感で理解しているということなのかもしれません。

4. トラスショックと同じ現象はありえない

昨今、日本国債の長期金利が上がってきて云々とか、例えば英語圏のSNSの「投資クラスタ」では定期的に「日本国債がヤバい。これが弾けたら世界経済の終わり」みたいな投稿がバズっています。

イギリスで起きた「トラスショック」に似たものが日本でも起きるはずだという論理ですね。

ただみている感じ、例えば彼らはあまり日本の事情に詳しいわけではなく、「政府債務残高が世界最悪でこれから金利上がるとかマジ無理じゃん?」みたいな単純な理屈だけで賭けようとしており、あまり日本経済の特殊性を勘案していないのでいずれ撃退されると思います。

日本経済の特殊性というのは、要するに「フローはともかくストックでは妙に余力がある」国だという部分なんですよね。

GDPとか一人当たりGDPみたいな”フロー”の数字でみると世界20位台に落ち込んでるんですが、対外純資産額とか、外貨準備とか、家計金融資産のGDP比とか、上場企業が持ってる現預金が・・・とか、みたいな”ストック”の指標を見ると断然に世界トップクラスの数字が次々と出てくる。

また、「貿易収支」部分だけを見ると最近は赤字の年も多いから円安になりがちだけど、「経常収支」レベルで見ると数十兆円規模で、これも世界トップスリーに入る黒字基調が常に続いている。

そのあたり、慢性的に経常赤字で、対外純債務国であるイギリスとは条件が根底的に違う・・・という部分は大事な発想です。

昨今の海外SNSにおける(またそれを引用して国内でも起きている)「日本国債がもうすぐ弾ける論」みたいなバズを見ていると、こういう「単純な事実」すらあまりわかってないことが多いので、この点においては「彼らの言い分」に乗っかる必要はないと言えるはず(彼らが言ってることも徐々にアップデートされてきているように見えるので、今まで知られていなかった日本の特殊性を皆が学びつつあるタイミングということなんだと思います)。

要するに、

日本は「国レベルのストック(蓄積)」でトータルに見るとお金をかなり持ってる側なんだけど、それが一部に偏在してしてしまっているので、フローで見るとかなり困窮している人もいる状態

であり、そして日本人は本能的にそれを「ほんとうは日本人みんなのお金」「日本人が皆で協力して実現している豊かさ」だと考えているフシがあるんですよ(笑)

過去20年ぐらいの政府債務をどんどん増やしてきたことは、「みんなのお金」だと日本人が集合的に思っている原資を、合法的にちゃんと「みんなのため」に使うための仕組みだったと言えるんですね。

5. 本能レベルの「民主的合意」を維持できるかがキモ

大事なのは日本人が集合的にそれに「合意」していることなんですよ。そこが壊れると一気にこのメカニズムは幻想になるけど、今のところそういう感じじゃないですよね。

今回も、「高齢者のタンス預金を徐々に減価させることで政府にお金を使わせて、未来への投資や貧困層対策を行うこと」を信任するという意思決定に広い合意が現時点ではあって、それが高市政権の高い支持率に繋がっていると言えます。

ついでに言えば、個人レベルで見て強く強く「円の減価が嫌」だと思うなら何らかヘッジをする(外国資産への投資とか)ことも可能な情勢ではあるわけだから、そういう意味では「民主的」にそれぞれの意思が尊重された上で「みんなで一緒に」頑張る政策だと言えなくもないですよね。

もちろん、だからといって「金利を全然あげなくていい」というわけではなくて、特に直近で円安になりすぎるとその事自体の副作用も大きいので、色々とお付き合いで微調整をし続ける意味はある。

そして、なぜここで「金利なんか上げなくていい」「いくらでも円安にしていい」では良くないかというと、これも「日本国内での本能的合意」を守るためなんですよね。

当たり前の話ですけど、本能レベルでの「みんなのお金」と思われているものは、ほんとうの実質的には「誰かのお金」なんですよ。

高齢者がタンス預金をしている虎の子の2000万円とかは、純然たる私有財産制のもとでの「その人の」資産だし、日本経済が世界最強だった時代に世界中に対外投資をした分の「あがり」が日本国全体で見た今の経常収支のふんだんな黒字を支えているけれども、それは一個一個を見れば「その企業の」ものであって、「みんな」のものではない。

ただここで、「純粋な私有財産制の建前」だけで押し込んでしまうと、社会にとって必要な義理の連鎖を保てないと日本人は本能的に考えていて、だからこそこの「高市政権的積極財政方式」で「みんなの」お金を薄く広く集めてきて「未来と貧困層への手当」に使うことを是認しようとしている。

つまり、こういう動きの背後にはある意味でものすごく「慈悲深い左派的な精神」あるいは「強固な再分配重視志向」みたいなものが実は隠れているんですよね。

そして、これは「デリケートなバランスの中で成り立っていること」であって、この「本能的合意」が崩壊しないように舵取りすることによって意味が生まれる。

過剰な円安に振れることとか、世界的な動向から全然関係なくあまりに低い金利に貼り付けるようなことは、この「デリケートなバランスで成り立っている合意」をぶっ壊してしまうことになる可能性が高い。

「ガチ保守派の積極財政派」は、「国」というものは当然一体不可分なものだと考えているけれども、実際は一億数千万人は一人ひとり全く違う「個人」ですからね。

一方で「完全にバラバラの個人」かというとそうでもなくて「家族」だったり「国」だったりのまとまりで助け合って生きていこうと思っている領域も当然存在する。

就職失敗して実家に帰ってきた子供をしばらく遊ばせておくぐらいの親心はどの家でも普通にある場合が多いけど、それがやたら贅沢して散財しまくったり何十年も働かない状態でいようとか「働いたら負けだと思ってる」とか言われると「ちょっとまてよ」って話になってくる・・・みたいなその「微妙な駆け引き」のゾーンがここにはあるんですね。

同じ感じで、「高市政権の積極財政とは、高齢者のタンス預金からいくばくかを拝借して日本国の未来と貧困者のために使う政策なんだよ」というのは「実はね・・・」のレベルであれば機能しますが、これが明らかに「一線を超えて全力でそうします!」ってなっちゃって、日本の高齢者が競って円売り外貨投資とかしはじめたら一瞬で崩壊するんですね。

だからこそ、「色々な事情の組み合わせ」の中で、単純に一方向だけに振り切ってしまわずに、狭い狭い道を踏み外さないように進んでいくことが必要になる。

6. やるならやるで、「ちゃんとやれるか」をもっと真剣に考えるべき時

高市政権は「危なっかしい」と言われているけれども、しかしそもそも、例えば民放のワイドショーで述べられているような、あるいは石破政権とかが考えていたような非常に雑なデータの扱い方に立脚した「一般論的な理屈」では、現状の日本の複雑さを全然捉えきれていないし、

「現実の細部を踏まえてない一般論をゴリ押しするよりは、本能的な直感ベースで臨機応変にやるほうがマシ」

という決断を日本国全体ではしつつあるのだと思います。

今の高市政権に関しては、ある種の「政治的党派性」ゆえに過剰にファナティックな存在だと思われているけれども、片山さつき財務大臣とか高市さん自身の発言を追ってみると、全く無鉄砲に際限のない道を選ぼうとしているわけではない。

「インフレ局面のチャンスを利用して、放置されてきた”日本経済のストック面の豊かさ”を利用し、未来への投資と貧困層対策に多めに張っていく決断をする」

というのは、それ単体でみるとめちゃくちゃ的外れとは言いづらく、そもそも民意の合意が高くあるんだから民主主義国家としては当然やるしかない。

もちろん、(「トラスショックのようなことは起きない理由」はさっき説明した通りであるにせよ)、一方で他の色々なリスクが別の形で噴出して問題が起きる可能性はゼロではない。

しかしそれは「民放のワイドショーとか石破茂氏の経済観で理解できる範囲」の雑な数字の扱いで議論していても意味がなく、「実際にやってみる」中で峠道を車でダウンヒルするような微妙なハンドルとアクセル操作をしながら乗り切るしかないのだということですね。

むしろ「やるならやる」で、それが本当に良いものになるのかどうかを真剣に考えるべき時なのだと思います。

本当に「未来への投資」が単なる利益誘導的なものにならずに長期的な産業力強化に繋がるのか?そして、物価高対策が本当に民意的な「実感」を感じられるものにできるのか?

そここそが本当に難しい課題というか、真剣に衆知を結集しないといけないポイントなんですよね。

10年前ぐらいまでの、「国が関与しない経済が理想」(民間が大事)っていう話は、もちろん民間が大事なのはそのとおりだけど一方で中国という掟破りが際限ない国家的産業政策をしかけてきてるんで、ある程度はやらなきゃいけない時代ではあるんですよ。

そして、どうしても防衛的で攻めの投資がしづらい環境にある日本の企業群に対して、ある程度カンフル剤的な形で戦略的投資をすることが必要なタイミングではあると思います。

そして、物価高に対してある程度手当をすることも必要なタイミングではあるはず。

「高齢者が溜め込んでいるだけだったストック」をうまく使って「今」それをやる意味・・・というのは、一応納得感自体はある。

それが本当に「意味があるやりかた」ができるのかをもっと真剣に精査すべきタイミングになっていると思います。

7. 再分配には「国家」的な存在が必要という逆説が高市政権

なんか、最近よく欧米の識者が、「愛国心を保守派だけの特権にしてはいけない」とか「再分配をするためにこそ国レベルの存在への信任が必要」みたいなことを言ってますけど、高市政権の方針に関してもそれは考えるべき課題なんだと思います。

「アベノミクスは欧米では明らかに左派の政策」ってよく言われますけど、ここまで書いてきたように、単純なネオリベ経済の自己責任論では切りきれない「共同体」精神を必死に焚き付けて実現しているのがアベノミクスでありサナエノミクスみたいなところがあるので・・・

こんな強引で国家主導なやり方が「それでいいのか?」という批判者の思い自体には僕もかなり共感するところがあるんですが、「日本社会がそれを求めていること」の中には、ある意味で「ネオリベ型自己責任論」を超えるところの「助け合い」の精神が強くあることは否定できないんですよね。

だからこそ、左派的論客が単にアベノミクス型の政策に対してその「マイナス面」だけを指摘して「だから全部無駄だったのだ」という方向性の批判をしていくだけでは乗り越えられない課題がここにはある。

そういう論客が理想とするべき、「ネオリベ自己責任論じゃない助け合いをいかに社会の中に実現するのか」というレベルの話でいえば、まさにアベノミクス・サナエノミクス路線は「本質的にはものすごくその精神を体現している」存在でもある・・・という逆説に対して、本質的にどう考えていけばいいのか?という問いに答えを出していかないといけない。

日本社会が日本社会でいられるために必要な「助け合いの義理の連鎖」みたいなものを破壊しない形で、どうすれば「アベノミクスやサナエノミクス型のイレギュラーな政策」をせずに済むのか?みたいな課題に、真剣に向き合うことが、高市政権を批判するなら求められているということなのだと思います。

8. 保守派側の「思い」の背後にあるものを受け取りつつ提案していく

結局、「日本の保守派側が真剣に大事だと思っていること」を単純に否定するのではなく、いかに包摂しながら議論していけるかが、日本における左派においては重要な時代ではあるのだと思います。

そういう意味では、あまり告知してなかったんですが、先日BSフジの「プライムニュース」に出演してきたんですが、高市さんのご友人で内閣官房参与に就任された加藤康子さんと共演する機会があってなかなか勉強になりました。

YouTubeになっています。

当初、加藤さんと共演する話をいただいて、色々な論調を拝見すると、とにかく「あらゆる意識高い系の論調(脱炭素製鉄の電炉化・EV化・再エネ・中小企業の統合その他)」に噛みつくタイプの保守派インフルエンサーの方なのかな・・・って思ってたんですよね。

でも、いくつか加藤さんの書いているものやYouTubeチャンネルを事前に拝見していると、必ずしもそのすべての「意識高い系の論点」自体に盲目的に反対なわけじゃないんだな、ってことが伝わってきたんですよ

そうじゃなくて、加藤さんがハーバードのケネディスクールに留学していた時に、米国の「製造業の火」が消える現場に遭遇して、それがものすごく社会を病ませることを痛感し、結果として日本におけるそういう「現場の繋がり」的なものをいかに残し続けられるか?という点において強い思いを持って活動されているんだという部分がわかってきた。

番組では、「そういう思い」の部分には積極的に共鳴し、データ的、あるいはエピソード的な補完もしながら、だからといって「再エネ全否定」とか「中小企業の統合全否定」みたいな方向にまで行かなくてもその対策は可能なのだ・・・という方向に誘導するような論調を意識したんですが、それはまあまあ番組としてはうまく行ったとスタッフさんからは評価していただいた感じになりました。

SNSのフォロワーも妙に増えたし、サブゲストって感じだったけど「指名買い」的に印象を持ってくれた人が結構いたと思う。

結局、ある種の「意識高い系の議論」を「現場的な人間の繋がり」を破壊しない形で自然に導入していけるか?っていうのが今の時代の世界的重要事項ですよね。

欧米のように真っ二つになってしまわずに、「現場の人間関係を引きちぎらない」ようにしながら、必要な変化自体は適切に取り込んでいけるかどうかが大事。

高市政権の「積極財政」も、実際にやりはじめることによって、単に「無限に発行できるのだあわはははは」みたいな話ではなくなってきてますよね。

さっきも書いたように、「マーケット」の方も「GDP比こんな政府負債ある中で金利上がるとか無理じゃん!」って最初は単純に思ってるだけだったけど、徐々に色々な多種多様な論点がお互いから提出されて、「ほんとうのところ」がだんだん理解されていっている感じではあるので・・・

そんな感じで、「債権自警団」と言われるマーケットの眼と、日本社会の本能的紐帯の間で綱引きをしながら、徐々にお互いを理解してすり合わせを行っているプロセスが進行中なのだと思います。

賛否両論あるのは理解できますが、現時点では「やる」と民意で決めてる感じではあるので、それが破綻しないように、しかしちゃんと意味があるものになるように、ウォッチしていければいいですね。

以下の本などでも書いたような、「日本の中小企業の本質的効率化」みたいな話も、ゴリ押しにして米国みたいに全力で恨みを溜め込んでいる人々が社会の半分もいるみたいにならないように、「保守派側が考える人々の紐帯」を壊さないようにしながらシームレスに変えていくようなチャレンジが必要なので、「あれかこれか」ではなく、水と油を丁寧に混ぜ合わせながら「本当に必要なこと」をやっていくことが大事だなと思います。

論破という病

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2025年12月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。