マクロンのサングラス、揶揄するトランプ

マクロン大統領は、ダボス会議の演説を以下の言葉で締めた。

私たちは尊ぶ。
いじめっ子ではなく敬意を。
陰謀主義ではなく科学を。
残虐行為ではなく法の支配を。

素晴らしい。米国への批判と自国の価値観が明確に語られている。だが、人々が興味を抱いたのは、「そこ」ではなかった。彼がかけていた「サングラス」だったのだ。美しいブルーのサングラスを着こなすマクロン大統領の姿は、数秒で世界中に拡散された。

これに反応したのがトランプ大統領だ。

「What the hell happened?」
(いったい何なんだ?)

タフガイを演じているのか? トランプ大統領は、ダボスのステージ上でこう吐き捨てた。

ネットでは様々な投稿が飛び交った。「センスがいい」「まるでマフィア」「トップガン気取り?」。フェイク動画も作られた。サングラスをかけ戦闘機を操縦するマクロンが、トランプの乗るエアフォースワンに向け、中指を立てる。BGMはもちろんトップガンのテーマ「デンジャー・ゾーン」だ。

サングラスを製造する「アンリ・ジュリアン」には、問い合わせが殺到し、ウェブサイトがダウン。オンライン販売は500本を超え、22日の株価は約28%急騰した。いまや、このサングラスは大統領官邸(エリゼ宮殿)のオンラインショップでも販売されている。

さぁ、トランプ大統領の問いに答えよう。何が起きていたのか?

虎の目を持つ大統領

ダボス会議のおよそ1週間前。イストル空軍基地で新年挨拶をするマクロン大統領の右目は、腫れ上がり充血していた。結膜下出血だという。大統領は、黒ずんだ右目を指さし「アイ・オブ・ザ・タイガー(=虎の目)」とジョークを飛ばした。「虎の目」のように変色してしまった眼球と、映画「ロッキー」のテーマ曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」とのダブルミーニングである。そして、こうも付け加えた。

「これは『断固たる決意』の表れでもある」と。

かつて、サンドバッグを叩く姿を披露したこともあるマクロン大統領。戦いに挑む勇気を与えると言われる「タイガーアイ(虎目石 宝石の一種)」に、そして「戦え」と訴えるボクシング映画のテーマ曲に、自身をなぞらえたのかもしれない。

ロッキーからマーベリックへ

だが、充血し潰れている目は、「戦い」向けではない。そこで、用意したのが創業100年の老舗「アンリ・ジュリアン」による純フランス製サングラスだった。

左右のレンズをつなぐ2本のブリッジ。視界を遮らない細身のフレーム。機能美をブルーのレンズが補強する「アビエイター(パイロット向け)サングラス」である。24年のG20向けの外交贈答品として用意したとき、あわせて自分用に一本購入しておいたものだ。

公的な場で、しかも室内でサングラスをかけたまま大統領がスピーチするのは異例のことだ。だが、会場はマクロン大統領に味方した。

「私たちはいま、『ルールが損なわれた世界』に移行しつつあります」

壇上で語り始めたマクロン大統領の背景は、「ブルー」一色だった。ダボス会議のロゴのブルーと、レンズのブルーに引き立てられたスタイリッシュなマクロンの「画」は、一気に世界中に広まった。

マーベリックを言葉で援護する

「画」で魅せるマクロン大統領を、カナダのカーニー首相が「言葉」で援護する。

「ルールが損なわれた世界」。いや、もともとルールは建前だった。不公平な貿易協定。強者の都合により変わる国際法の厳格さ。我々は、その矛盾を知りながら、都合よく利用してきた。いまや強者は、その建前さえ放棄しはじめている。だから、皆「自分は、自分で守るしかない」と考えている。だが、

「本当に、自分を『自分だけで』守れるのか?」

これが、カーニー首相の課題定義である。中堅国の結束を呼びかけた首相の演説は賞賛され、演説終了直後に司会者はこう述べている。「ダボスで、スタンディングオペレーションはあまり見たことが無い」。

トランプ大統領の応酬

画のマクロン、言葉のカーニーに対し、「体力」で応酬したのがトランプ大統領である。振るった弁舌は、およそ両氏の4倍、72分という長時間に及ぶ。両氏への罵倒も(当然)含まれる。

マクロン大統領に対しては、
「薬価引き上げの件で、関税をちらつかせたらすぐに折れた」

カーニー首相に対しては、
「カナダが生きていられるのは、アメリカのおかげだ」
「マーク(カーニー首相)、次に発言するときはこのことを思い出してくれ」

等々。1時間超の演説のなかで、もっともウケたのは、マクロン大統領のサングラスについて語ったときだという。

ルールが損なわれた世界

マクロン・カーニー・トランプ。各国の姿勢が明確になってきた。

日本では衆議院選挙が終わった。私たちが選んだ政治家たちは、彼らと伍していけるだろうか。「ルールが損なわれた世界」と、どのように向き合うのだろうか。