個人のインテリジェンス能力が試される時代が来た --- 岡田 芳樹

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近年稀に見る出来事が起きている。日本でインテリジェンスという言葉が注目されているのだ。そして、それは高市政権がキッカケであることは疑いようもない事実である。高市旋風がこのまま巻き起こり続けるのか、それは創設されるインテリジェンス機関・国家情報局が1つの重要ファクターであることは間違いない。

かつて「インテリジェンス」は国家のものだった。スパイ、暗号、諜報機関。いわば国家安全保障の最前線で扱われる、特殊で、危険で、一般人には関係のない世界。しかし、いま私たちは気づかぬうちにその世界に住んでいる。しかも、できれば望みたくなかった形で。

SNS上にはフェイクニュースが蔓延し、企業は情報戦で倒れ、選挙は世論操作の影響を受け、インテリジェンスとは程遠かったハズの子どもたちは噂ひとつで学校に行けなくなる。これは全て実際に起きている悲しき現実であり、これからも起き続けることでもある。

国家だけが戦場にいる時代は終わった。  社会そのものが「情報戦の環境」になった。小学生から始まり全ての国民がその認識を持つ時代に、持たなければならない時代になってしまったことを知っておいて欲しい。

インテリジェンスの始まり

インテリジェンスの歴史は古い。古代中国の『孫子』にはすでに「間者」の章がある。聖書ではモーセが偵察隊をカナンに送っている。これも立派なインテリジェンスである。敵を知り、状況を分析し、判断する—それは戦闘技術ではなく「認知技術」だった。

20世紀になると、この技術は国家機構として制度化される。CIA、MI6、KGB。そして各国の国家情報機関は共通のプロセスを持つようになる。それが インテリジェンス・サイクルである。サイクルは以下の通りに回る。

収集 → 分析 → 評価 → 判断 → 行動

ただし、上記のサイクルの順番などは仕事柄インテリジェンスを使わない限り、決して必修ではない。重要なのは、インテリジェンスとは「情報量」ではなく、意思決定の質を上げる技術だという点だ。

なぜ国家だけの能力ではなくなったのか

21世紀に入り、この能力は国家の独占物ではなくなった。理由はシンプルだ。社会が「常時情報戦状態」になったからである。そして、これも誰も望んでなかった結果である。かつて情報操作は国家レベルのコストを必要とした。しかし現在は、個人がスマホ1台で拡散装置になれる。

つまり現代社会では国家、企業 そして個人…すべてが「判断の戦場」になっている。個人に至っては認知という脳内が戦場なのだから、ある意味24時間戦場と言っても過言でない。企業はレピュテーションリスクで倒れ、学校は噂で崩壊し、人間関係は誤解で破壊される。これらは遥か昔からあった話である。しかし24時間警戒態勢となれば話は別であり、やはりこれは現代特有の異常事態といえる。

問題は能力の差ではない。判断の仕組みを持っているかどうかである。そして国家にはそれがある。だが残念ながら個人にはない。そこが1番の問題なのだ。

 個人インテリジェンスという発想

ここで初めて必要になるのが  「個人インテリジェンス」という概念だ。筆者はロシアによるウクライナ侵攻が始まったあたりから、この概念がいずれ必要になると根拠もないのに勝手に1人で確信している。これは頭の良さではない。知識量でもない。IQでもない。

不確実な状況で情報を集め、意味を読み取り、誤りを避け、最適な判断を選ぶ。その一連の認知プロセスの能力である。私はこれを勝手ながら、日常版インテリジェンス・サイクルと呼んでいる。インテリジェンス研究者には怒られるかもしれないが、個人のインテリジェンスにおいて必要なワードなので敢えてここではこの造語を提唱して話を進めたい。

実際に、人は誰もが毎日日常版インテリジェンス・サイクルを行っている。SNSの情報を信じるか、部下の発言の真意を読むか 、子どもの変化に気づくか、リスクを避けるか。だが、これを能力として測ったことはほとんどない。しかし、これが数値化されるなら?非常に需要があり、何より自分のインテリジェンス力を認識できる。とても必要な尺度だと筆者は考える。

個人インテリジェンス尺度を作りたい

現在、私は  「個人インテリジェンス尺度」を考案中である。具体的な尺度は以下の5つを図れるものでなければならない。

1.情報収集力
2.解釈力
3.仮説形成力
4.バイアス回避力
5.判断更新力  

複数の認知プロセスから、人の“判断の質”を測定する試みである。従来のリテラシー概念が 知識理解に留まっていたのに対し、この尺度は「意思決定能力」を対象とする。言い換えれば「教育は知識を教えてきたが社会は判断を要求している」。このズレを埋めるための測定だ。

これからの社会に必要な能力「個人インテリジェンス力」

これからの時代、最も危険なのは 「間違った情報」ではない。間違った確信である。インテリジェンスの目的は正解を知ることではない。誤り続けないことだ。国家はそれを学び、制度にした。企業はいま学び始めている。そして次は個人の番である。私は、この能力を教育・組織・社会の基盤にするべきだと考えている。

個人インテリジェンスとは新しい教養であり、新しい安全保障であり、そして新しい生存能力になる。筆者は今後もこの研究を地道ながら進めていきたいと考える。

岡田 芳樹
株式会社電通総研 研究員。1986年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。政策シンクタンク、公立小学校教員、金融系シンクタンクを経て現職。主な研究テーマは「教育社会学」「感情社会学」「戦略(インテリジェンス/コミュニケーション)」。

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