核兵器「無制限」時代の到来か:米ロ条約失効、誰が得をするのか

2月5日、米国とロシアの間で結ばれていた核兵器管理の枠組み「新START(新戦略兵器削減条約)」が失効した。1960年代以来初めて、米ロ間に核兵器を制限する条約が存在しない状態となり、新たな軍拡競争への懸念が高まっている。

新STARTの概要と専門家の見方を紹介したい。

プーチン大統領とトランプ大統領 クレムリンHPより

新START(新戦略兵器削減条約)とは

正式名称は「戦略攻撃兵器のさらなる削減と制限のための措置に関する条約」。

冷戦最盛期には6万発を超えた米ロ両国の核弾頭総数の削減を目指したSALT(戦略兵器制限交渉)、START(第一次)、SORT(戦略攻撃力削減条約、モスクワ条約)といった一連の核軍縮条約・合意の流れをくむ。

新STARTは2010年4月、オバマ米大統領とロシアのメドベージェフ大統領との間で署名され、2011年2月に発効した。10年間で終了するはずだったが、2021年、バイデン米政権(当時)とロシアのプーチン政権は5年間の延長を決めた。

何を制限していたのか

配備戦略核弾頭の数:それぞれが1550発まで

これは「今すぐ使える状態の核爆弾」の数。実際に発射できる状態でミサイルや爆撃機に搭載されている核弾頭の数で、倉庫に保管されている予備の弾頭は含まない。この1550発だけで、地球上の主要都市を何度も壊滅させるのに十分な威力を持つ。

配備ミサイルと爆撃機:各700基まで

「核兵器を運ぶ乗り物」の数。以下の合計を指した。

  • 大陸間弾道ミサイル(ICBM):地下のサイロから発射される長距離ミサイル
  • 潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM):潜水艦から発射されるミサイル
  • 戦略爆撃機:核爆弾を搭載できる長距離爆撃機

配備・非配備の発射装置と爆撃機を800基まで

上記の700基に加えて、「予備や整備中のもの」も含めた合計を指す。

車に例えると、弾頭=車に実際に積んである荷物、700基の配備システム=今走れる状態のトラック、800基の合計=走れるトラックと車庫で整備中のトラックの合計だ。

お互いに「相手が何台トラックを持っていて、何個の荷物を積んでいるか」を把握することで「相手が突然、大量の核兵器を準備しているのでは?」という疑心暗鬼を防ぎ、誤解による核戦争のリスクを下げることを目指した。

互いを管理

重要な点は互いを管理する体制になっていた点だ。

現地査察、データ交換、通知システムなどの検証制度を整え、年2回の会合で遵守問題を議論。お互いの核戦力の状況を把握し、誤解を防ぐことを目的とした。

1970年代以降続いてきた米ロ間の核軍備管理の最後の条約で、冷戦終結後の軍備管理の象徴であり、1991年のSTART I(上限6000発)から大幅な削減を目指した。

プーチン政権とウクライナ―戦略核と戦術核の違い

新STARTは射程の長い戦略核に限られているため、ロシアのプーチン大統領がウクライナ戦争での使用をちらつかせたような、一般的に威力が低く射程距離の短い、いわゆる「戦術兵器」は対象外だ。

「戦略核兵器」は、大陸間弾道ミサイルや潜水艦発射ミサイルなど射程5500km以上の長距離兵器で、敵国の首都や主要都市を壊滅させることを目的とした国家の存亡をかけた最終兵器である。

一方、「戦術核兵器」は射程500km未満の短距離ミサイルや砲弾、爆弾などで、特定の戦場で敵の軍隊や基地を攻撃し、戦争で軍事的優位を得るために使われる。威力は戦略核より小さいとされるが、それでも広島級の破壊力を持つものが多い。

新START条約が制限していたのは戦略核兵器のみで、戦術核兵器は対象外だった。

プーチン大統領による核使用の脅しは新START失効とは直接関係ない。しかし、国家全体を滅ぼせる長距離の戦略核兵器に制限がなくなり、米ロ間の新たな軍拡競争が始まる可能性がある。

失効に至る経緯

 2020年、COVID-19で査察が停止され、2022年2月からのロシアによるウクライナ全面侵攻で米ロ関係は悪化した。

2023年、ロシアが参加を「停止」する。ただし数値制限は自主的に遵守と表明していた。

2025年9月、プーチン大統領は1年延長を提案したが、トランプ大統領が応じないまま、失効となった。

専門家はどう見るか――BBCラジオのインタビューから

BBCラジオの「ワールド・トゥナイト」(4日放送)が専門家二人に失効の影響などについて聞いている。以下はその内容を編集したものだ。

新STARTの意義

ジョージア・コール氏(国際問題の英シンクタンク、チャタムハウスの国際安全保障プログラムの研究員):新STARTは、1970年代初頭に始まった米ロ間の一連の条約の最も新しいものでした。当初の条約は主にICBM(大陸間弾道ミサイル)と地上配備ミサイルを規制していました。1990年代以降は配備された核弾頭数や発射手段の上限を定める内容へと発展したのです。新STARTは、その中でも数値制限の面で最も踏み込んだ条約です。つまり、1970年代以降、米ロ間には常に何らかの核軍備管理条約、あるいは交渉中の枠組みが存在してきました。

弾頭数は着実に減少してきました。新STARTの制限は1550発でしたが、1990年代初頭の当初の弾頭制限は約6000発でした。核弾頭数は長期的に減少してきたのです。

一連の管理条約は非常に不安定な時期、つまり冷戦の最盛期に、最低限の安定性を高めることを目的としていました。新STARTが他の条約以上に行ったのは、かなり詳細な検証と透明性の措置を導入したことです。現地査察、定期的なデータ交換、通知、そして年2回開催される遵守懸念や新システムについて議論する委員会がありました。

2023年にロシアが新STARTへの参加を停止すると、米国も追随し、すべての透明性と検証メカニズムが停止しました。ただし、重要な点は、両国とも中心となる数値制限は守り続けたということです。

プーチンの延長提案

ジョージア・コール氏:昨年9月、ロシアは1年間、現在の制限を自主的に維持する提案をしています。いわば現状維持の延長案です。トランプ大統領は「良い考えだ」と発言しましたが、正式交渉には至りませんでした。また、トランプ氏は条約が失効しても「より良い合意を結ぶ」と述べています。おそらく全く新しい条約を考えているのでしょう。

1970年代初頭以降、核兵器管理についての枠組みや条約、あるいは少なくとも交渉中の条約がありました。今は何もない状況は、1960年代、最初に米ロが交渉を始めた時以来の状況です。トランプ大統領は新しい条約の可能性を口にしていますが、残念ながら今すぐそれが実現する可能性は非常に低いです。米ロの核戦力を統治したり、戦略的安定性にとって非常に重要な対話と透明性を可能にする条約が存在しない期間が長期化することになります。

条約の真の価値

パヴェル・ポドヴィグ氏(在ジュネーブの軍備管理専門家、ロシア核戦力プロジェクトのディレクター):新STARTは核戦争のリスクの低減に効果がありましたが、直接的というわけでもありません。条約の最も重要な部分は米国とロシアに多くのことで協力することを強いる体制になっていたことです。検証システム、データ交換、現地査察のシステムを作り出し、お互いに対する一定の信頼と確信の雰囲気が醸成されたました。

米国が応じなかった理由

パヴェル・ポドヴィグ氏:米国の政治状況が影響していると思います。米国内には、戦略核戦力にいかなる制限も設けるべきではないと考える強い政治勢力が存在しています。

また、中国が核戦力を増強していると信じられているので、これに対応するために何か手を講じるべきという強い圧力があります。ですから、米国の戦力に対するいかなる制限からも離れる方向への動きが見られると思います。

中国は本当に脅威なのか

パヴェル・ポドヴィグ氏:中国の核戦力が増強していることは事実ですが、実際の核弾頭数を見ると、中国は依然として米国やロシアよりはるかに少ないのです。したがって、中国の存在が直ちに米ロと同水準の懸念を生む状況ではありません。

米国内の意見は一枚岩ではないのですが、戦略核戦力に制限を設けない方が米国にとって有利だと考える人々が一定数存在するのは確かだと思います。私はその考えには賛同しませんが、現在の米国の政治議論はその方向に動いている。そういう要素はかなり強いでしょう。

なぜロシアは延長を望んだのか

改めて、ここでなぜロシアが新START条約の1年延長を提案したのかを見てみると、まず、経済的な現実がある。ロシアの経済規模と国防予算は米国のほんの一部に過ぎず、無制限の軍拡競争になれば、ロシアは経済的に追いつけない。ロシアは核兵器分野における現在の抑止のバランスを凍結しようとしていた。

条約の延長は、ロシアにとって国際的な地位を維持する手段でもあった。ロシアにとって米国とほぼ対等な核超大国としての継続的地位は、弱体化したモスクワであっても国際外交のトップテーブルに席を保証するものだった。条約の失効は、ソビエト時代の権力の名残の一つを誇示する軍縮プラットフォームを奪われることを意味していた。

ロシアは戦略的安定性の維持も重視していた。米国の外交問題評議会やスタンフォード大学の分析も、延長が緊張した米ロ関係において予測可能性を維持し、中国も含めた三つ巴の核軍拡競争を減速させる効果があると指摘している。

各国の利害――誰が得をして、誰が損をするのか

専門家の意見を踏まえると、各国の立場には明確な差がある。

ロシアにとって:明らかに不利

ロシアにとっては、条約失効は明らかに不利な状況である。ロシアの経済規模や国防予算は米国のごく一部に過ぎず、無制限の軍拡競争では資金面で太刀打ちできない。また、新STARTは米国と「対等」に核軍縮を議論できる最後の場であった。

米国にとって:短期的には利点、長期的にはリスク

米国にとっては、短期的には条約失効が一定のメリットをもたらす。条約の制約を受けずに核弾頭や配備を自由に増強でき、経済力でロシアより有利な軍拡競争を行うことが可能である。また、新型防衛システム(報道上「ゴールデンドーム」と呼ばれるものを含む)も条約の制約なしに配備できる。

しかし、デメリットも大きい。核戦力の近代化には巨額の費用がかかる見込みで、ロシアの核戦力の実態把握が困難になるため、透明性の喪失によって誤解や事故による核危機のリスクが増大する。

中国にとって:最大の受益者?

最大の受益者は中国である。中国は条約に参加する義務がないため、米ロが軍拡競争で消耗する間に、自国の核戦力を着実に増強できる。核弾頭数は推計で、2020年の約200発から2023年には約600発へと増加しており、年平均100発前後のペースで拡大している。

警告する「予測不可能な時代」

複数の専門家が指摘するように、新START失効の最大の問題は数値制限の喪失だけではない。チャタムハウスのコール氏が「戦略的安定性にとって非常に重要な対話と透明性を可能にする条約が存在しない期間が長期化する」と警告したように、検証メカニズムの喪失により、相手の意図を誤解するリスクが高まる。

ジュネーブのポドヴィグ氏も「条約の価値は上限そのものではなく、査察、データ交換、通知のシステム全体にあった」と強調する。トランプ大統領は「より良い合意」に言及しているが、専門家の多くは新条約の交渉には長い年月がかかると見ている。その間、世界は「予測不可能な核の時代」に突入することになる。


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年2月20日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。