日本人に「ユーモアセンスがない」と言われる理由

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「日本人ってユーモアセンスないと思ってたわ」

米国ユーモアセラピー協会で冗談を言ったら、こう返されたという話がある。

ユーモアコミュニケーション 場の雰囲気を一瞬で変える!』(草刈マーサ 著)芸術新聞社

褒められているのか、ディスられているのか。たぶん両方だ。そしてこの「日本人=真面目でユーモアがない」というイメージ、悔しいけど心当たりがある。

なぜか。考えてみたら、日本人には三つの呪いがかかっていた。

呪い其の一「笑ってはいけない」。

欧米のスピーチは冒頭にジョークを挟むのがお約束だ。聴衆もそれを待っている。笑いでアイスブレイク。合理的だし、楽しい。だが日本はどうか。スピーチは真面目に聞くもの。笑うなんてもってのほか。

関西出身のある講師が東京の講座でジョークを飛ばした。反応、ゼロ。シーン。お通夜か。ところが講座後、一人の参加者が近づいてきてこう言った。「先生の話、おかしくて吹き出しそうでした。こらえるの大変でしたよ」。

……こらえるな。笑えよ。

友人の心の叫びが聞こえる。「なんでやねん! わろてよ!」。まったくだ。縦社会の日本では、下の者が上の者を笑うのは失礼とされる。笑いたいのに笑えない。この抑圧、地味にキツい。

呪い其の二「笑われてはいけない」。

「恥の文化」。ルース・ベネディクトが言ったやつだ(たぶん)。日本人は「人にどう思われるか」を異常に気にする。面白いこと思いついても、「バカにされたらどうしよう」「変なやつと思われたら」と口をつぐむ。他人の目が先に来る。

だから家族や親しい友人の前ではめちゃくちゃ面白い人が、外に出た瞬間に真顔になる。ユーモアセンスがないんじゃない。封印しているだけだ。もったいない。実にもったいない。

呪い其の三「耐えなければいけない」。

鶴の恩返し、浦島太郎、雪女。日本の昔ばなし、我慢大会が多すぎないか。「見るな」「開けるな」「言うな」。そして我慢できずに破滅。教訓:耐えろ。ひたすら耐えろ。

巨人の星の飛雄馬。大リーグボール養成ギプス。歯を食いしばる姿に少年たちは涙した。「思い込んだら試練の道を行くが男のド根性~」。俺も子どもの頃、あれを見て「耐えなきゃ」と自分に言い聞かせていた。

でも、思いつめた人間からユーモアは生まれない。少し離れて、力を抜いて、「まあいっか」と笑える余白がないと。耐える美学は日本の強さだけど、同時にユーモアを殺している。

——とはいえ、だ。

日本人にユーモアが向いていないかというと、そんなわけがない。落語、川柳、狂歌。日本には独自の笑いの文化がちゃんとある。江戸時代に来日した外国人が「日本人は笑い上戸で陽気だ」と記録しているのだから、本来の気質はむしろ明るいはず。

関西なんて今でも笑いが生活インフラみたいなものだし。商人の町では、人と人とをつなぐためにユーモアが必要だった。要するに、日本人のユーモアセンスは消えたんじゃない。三つの呪いで封印されているだけだ。

著者のLINEボイスチャットを聞いたことがある。早朝。まだカーテンの向こうが薄暗い時間。なのに、底抜けに明るい声が響いてくる。「おはよー! 今日もがんばろー!」的なテンション。

正直、あれを聞いてエネルギーをもらう人もいれば、朝からカンベンしてくれという人もいるだろう。それでいい。ユーモアも同じだ。万人受けなんて幻想。合う人に届けばいい。取捨選択の世界だ。

ただ正直に言えば、「分かる」と「できる」の間には深い溝がある。良さを理解するのと、自分の血肉にするのは別の話だ。次回作では、ぜひ「会得するためのメソッド」を書いてほしい。呪いの解き方を、具体的に。待ってます。

※ ここでは、本編のエピソードをラノベ調のコラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

<書籍評価レポート>

■ 採点結果
【基礎点】  39点/50点(テーマ、論理構造、完成度、訴求力)
【技術点】  20点/25点(文章技術、構成技術)
【内容点】  20点/25点(独創性、説得性)
■ 最終スコア 【79点/100点】
■ 評価ランク ★★★ 標準的な良書
■ 評価の根拠

【高評価ポイント】
テーマの再定義力と親しみやすさ:「ユーモアセンス=面白いことを言う力」という一般的な思い込みを「面白いことを見つける力」へと鮮やかに転換してみせた点は、本書最大の功績である。再定義だけで読む価値がある。具体例の親しみやすさなど場面が豊富で、抽象論に陥らない記述が続くいている。

日本文化への切り込み:「笑ってはいけない」「笑われてはいけない」「耐えなければいけない」という三つの呪いで日本人のユーモア封印を説明する構成は明快で、縦社会や文化との接続も説得力がある

【課題・改善点】
「理解」から「実践」への橋渡し不足:ユーモアセンスの良さは十分に伝わるが、読後に「で、どうすればいいのか」が残る。概念の説明に紙幅を割きすぎた結果、会得するための具体的メソッドが手薄になっている

万人受けの限界への言及不足:ユーモアには相性があり、同じ振る舞いが人を元気にもすれば不快にもさせるという両面性について、本書はやや楽観的に寄りすぎている印象がある。書籍の後半部分は、前半の丁寧さと比べるとバランスを欠く

■ 総評
ユーモアセンスを「面白いことを見つける感覚」と再定義し、お笑いとの違いを明快に提示した点は高く評価できる。具体的なエピソードが豊富なため説得力がある一方で、本書が提供するのはあくまで「ユーモアとは何か」の理解であり、「どうすればユーモア体質になれるのか」という実践メソッドには踏み込みきれていない。

良さは分かる、しかし会得には至らない——この「分かると出来るの溝」を埋める続編に期待したい。ユーモアに苦手意識を持つ読者が最初の一歩を踏み出すための入門書としては、十分に推奨できる一冊である。

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