衆院選大勝利を受けての高市政権の展望と我々が持つべき心構え

首相官邸HPより

1. データ・エビデンス全盛の中での「高市勝利」

何と言う皮肉であろうか。

これだけ世の中でデータ重視、エビデンス重視と言われながら、直前までほとんどの調査が全く予想できなかった。高市自民党は、各種予想を大きく超える形で衆院選で大勝利を収めた。

算数で考えれば、公明票が自民から抜けて中道(立憲)の方に行き、公明の代わりに連立を組んだ維新とは多くの選挙区で自民候補は競合していたわけなので、自民党があれだけの勝利を収めるはずがない。各種調査もある程度、それを裏付けていた。しかし、算数を超えた「アート」な判断で解散を強行し、高市総理は見事に賭けに勝った。

筆者の元にも、高市さんが解散を決断した頃の自民党による調査や新聞の調査などが来ていたが、調査によってバラツキはあるものの、あれだけの勝利を予想しているものは見たことがない。

解散するのではないか、という予想は自画自賛ながら見事に当てた私であるが、ここまでの大勝利は予想していなかった(前回の記事などで、「自民党単独で過半数に届くかどうか」という「中勝ち」を予想した不明を恥じたい)。

投開票日直前になって、朝日新聞など一部メディアが、自民大勝利予想をようやく発表するに至ったが、それにしても自民党が300を超えるか、というレベルで(維新と併せての2/3予想)、まさか自民単独で2/3を優に超える330議席(実際には比例候補が足りずに14議席を他党に譲り316議席)を得る、というデータは事前には皆無だったと思われる。

高市総理自身、恐らく、苦慮していたと言われる衆院の予算委員会の委員長ポストの奪還(枝野氏からの交代)や、特に対中外交で国内の盤石ぶりを示して交渉するための基盤づくり、というための「ある程度の勝利」を希求しての解散だったと思う。

私個人としては、主に外交面から(後述するように経済政策は誰がやっても大きくは変わらないと思うので)、安定政権が誕生したことは非常に良かったと思う。

総理ご自身は、この勝利をどう感じ(当然?/望外?)、そして、これからのことをどう感じておられるのか(ご満悦?/過度な期待への不安?)、本音が気になるところである。

いずれにしても、AIなどの精度がかなり上がり、データやエビデンスに基づく推論でかなりの事象の結果が予め分かるような社会が近づいている実感はあるものの、今回の選挙結果などをみると、意外にまだその究極の地点までの距離は遠いのかもしれない。

2. データ・エビデンス全盛の中での「高市改革」の行方①(安倍政権との比較)

私見では、高市総理が本当に進めたい政策は、政治家としてのキャリアを歩む中で築かれてきた保守派としての政策、すなわち、究極的には憲法改正であり、その手前にある安全保障の強化ということなのだろうと思う。

高市総理のキャリアを見るに、私には筋金入りの保守政治家とは思えないが、途中から、一種の「ビジネス保守」(そういう立ち位置を取ることが政治家として有利だし、信念としても更にそう思うようになってきた)としてのスタンスを取るようになり、具体的には、国家情報局の創設、日本版CFIUSの設置、スパイ防止法の制定、安保三文書の改訂や防衛装備移転の柔軟化などを目指しているのだと思う。

高市総理は、外国人の流入も抑制的であるべきと主張し、外交についても対中国などで強硬スタンスを取るべきとの論者だが、こうした保守政治家としての外交安保政策を実施しようとする場合に不可欠なのが、前提としての経済の安定、経済政策の着実な実施である。

最長不倒とも言える長期政権を実現した安倍政権がまさに好例であるが、経産官僚を官邸で中軸に据えていわゆるアベノミクスを実施し、民主党政権下で六重苦とも言われた経済苦境を吹き飛ばしたことで国民の信頼を勝ち得ることができ、安保法制など、保守政治家としてやりたかった政策を実現させた。

アベノミクスは、政権設立当初は「3本の矢」からなるものであったが、私見では、ほとんど、金融緩和という一本の矢がその実体だ。

多くの経済学者や財務省が根拠としていたデータ・エビデンスは、大規模な金融緩和は、景気浮揚効果を実質的にあまり産まず、副作用が大きいというものであった。が、安倍政権は、乱暴に言えば、金融緩和・円安で起業や民衆の心が動くはずだと、景気の「気」は気分の「気」だと、黒田バズーカをぶっ放し、見事に成功させた。

「景気を良くしてくれた」「暮らし向きが良くなった」という国民の感謝・信頼は安定政権に欠かせない基盤である。ウクライナ侵攻というプーチンの無謀にロシア国民がついて行ってるのも、ソ連の崩壊とエリツィン氏の無茶苦茶な政権運営の混乱の中で、エネルギー輸出などを中心としてプーチンが「生活水準を上げてくれた」、「混乱の経済から安定を取り戻してくれた」という記憶・感謝が大きいからだと思う。

習近平氏が今、やりたい放題できるのも、中国の高度成長と習政権のサイクルが一致していることが大きい(習氏の政策のお蔭という感じもしないが、少し前まで、中国の高度成長は目覚ましかった)。

安倍政権は、アベノミクスの成功という非常に強固で重要な基盤によって空前の長続き政権となった。

「働いて、働いて、働いて、、、」の高市総理であっても、あらゆることを一度に行うことは難しい。まずは、国民生活の安定、景気の浮揚ということを当然に考えるであろう。

古今東西の各種のデータ・実例に基づけば、①国民の手取り増に関わる話(高市政権で言えば、消費減税/給付付き税額控除の導入)、②企業の成長や給与・税収増につながる話(高市政権でいえば、成長投資・危機管理投資(国内投資の喚起))、というところを優先していくに違いないと思っている。

ただ、まさに①を議論する「特設リング」であり(国会とは別に設置)、昨晩初会合が開かれた国民会議にしても、その前途は多難だ。消費減税は、給付付き税額控除実現までの「つなぎ」という位置づけだが、その「つなぎ」の方も本丸の方も、いずれの制度設計も慎重に議論すればするほど、かなり大変である。つぶすべき論点が多くて深い。

3. データ・エビデンス全盛の中での「高市改革」の行方②(成長投資・危機管理投資の行方)

即効性を考えるのであれば、まずとりあえず、減税や給付をやるということになるが、岸田政権や石破政権で繰り返された定額減税や給付金は、基本的には「バラマキ」政策だと大変に不人気であった。

そもそも、実務的に、減税の方はまだ年末調整などと組み合わせることで何とかなるものの、給付の方は、自治体がその実務の大変さに悲鳴を上げたことが記憶に新しい。「一律」感が強く、線引きの仕方その他で不平等だとの批判も大きかった。

そうした状況もあって、まさに個々人のデータをフルに活用してきめ細かく控除や給付をするというのが「給付付き税額控除」という高市政権の目玉政策で根幹でもあるわけだが、こちらはこちらで、上述のとおり設計と実施が大変で(マイナンバーなど個人データとの紐づけによる所得のきめ細かな捕捉など)、実施まで時間を要することは確実で即効性はない。

こうなると、目に見える景気浮揚・経済成長を実現するには、財政支出側、すなわち、「成長投資・危機管理投資」の方で何らか動きを出すしかない。こちらは、既に17の重点分野を策定し、横割りの8分野と併せて、それぞれに会議を設けたり、夏に取りまとめる「日本成長戦略」に紐づける形で、改革の工程表(ロードマップ)を定めたりするらしい。

しかし、こちらもまた、AIや造船その他、分野ごとに分野ごとの事情があり、その多くが一般的に世界最先端と比して遅れをとっている状態だ。勝ち筋を見出すのは容易ではない。しかも、横割り分野、具体的には人材育成などについてはなおのこと、即効性には期待できない。データやエビデンス全盛の時代にあっても、その力だけで日本経済を成長させることは容易ではない。

むしろ、過去のデータや実例による教訓としては、①戦略は対象を絞って行うべきであり、「あれもこれも」では改革の実現は覚束ない、ということが言え(17分野+8分野、さらには高市政権が唱える「地域未来投資」など、現在は改革対象が無数にある状態)、また、②あくまで民間の活力が中心にあって、そこに政府の戦略(産業政策)などが乗っかってきて経済成長効果を生むわけであり(例:ボロボロだった戦後日本の家電や自動車産業、日本に抜かれたとされた90年代のアメリカのIT産業、まだまだ世界レベルではないとされた中国の製造業の現在の隆盛等)、政府がシャカリキになって旗を振れば成長する、というものではない、ということが言える。

成長投資・危機管理投資の行方も楽観はできない。

4. 結びに

こう考えてくると、算数ではない「アート」としての決断力に基づいて解散・総選挙で圧勝した高市政権ではあるが、過去の実例やデータを元に、今後の行く末を考えるとその政権運営はそう容易ではない。

つまり、景気浮揚や経済活性をバネにして、様々な安保外交政策、究極的には憲法改正などの歴史に残る政策実現を図るというストーリーを現出させようにも、景気浮揚や経済活性で即効性のある手が難しいのである。

看板とも言えるキャッチフレーズの「責任ある積極財政」にしても、データやAI的判断に基づけば、①防衛費や社会保障費などの歳出増加への時勢的・社会的な圧力、②減税や給付(消費減税や給付付き税額控除など)に基づく手取り増加を求める国民の圧力、③財政の持続力を問うマーケットの圧力、という3つの圧力を前に、取り得るポジションは決まってきてしまう。

プライマリーバランスなどの収支目標から、債務の対GDP比などの債務目標に切り替えるなどのことはしても、ある程度財政を考え、ある程度は支出をして、ある程度は減税などをしていく、ということでしかない。全て「ある程度」だ。表現やPRは別として、実質的には、誰が総理になっても、誰が政権運営をしても、この3つの間圧力の中でバランスを取るしかなく、差は生じにくい。

比喩的に書けば、人口減少、少子高齢化、低成長社会にあえぐ日本社会という「難路」、即ち、崖が迫り落石の危険もあるデコボコ道を、巧みにドライブしなければならない運転手が高市総理・高市政権であるわけだが、まずもって、その巧みなドライビング・テクニックが問われている。

これは、過去のデータやエビデンスに基づき、AIなどを駆使して取り得る施策を導きだせば、誰もがある程度の運転は出来ることであろう。減税や給付を巧みに行いつつ、経済ショックは起こさないように、マーケットの圧力に対応する(マーケットと上手く会話する)、という類のことである。

しかし、政治家はドライバーとしてのライセンスは持っていても、難路を工事して走りやすくしたり、乗っている車の性能を上げたりするような専門家としての技量は基本的には持ち合わせていない。しかし、単に運転しているだけでは、社会全体は成長もしないし、本質的に良くはならない。

つまり、財政支出の原資を稼ぐべく、日本の各種産業を強化するのは民間企業であり、ドライバーである政治家に車の性能アップや道路工事までお願いするのは酷である。高市政権はそこまでやろうとしているが、それは、基本的には無理な話であろう。

更に言えば、車の製造をしたり、道路工事をする人材を育成したり、ドライブする道をどこにするのかを決めるのは、もっと気の長い、しかし大事な話で、ここは、民主主義国家日本にあっては、国民一人ひとり、企業一社一社、各地各地が考えて担うしかない。天才ドライバーにすがって済む話ではない。

お祭りとしての政治、選挙の季節はとりあえず終わった。高市氏が働き過ぎての健康問題でも起こさない限り、政権はしばらく続くであろう。したがって、恐らく当面は衆議院の解散はないであろうから、約2年半後の参院選まで国政選挙は行われないと思う。

お祭りはお祭りとして十分に楽しんだので、この通常期に、日本経済を成長させ、社会を活性化させるためには、国民一人ひとり、企業一社一社、各地各地の頑張りや努力が鍵となる。ミラノ・コルティナオリンピックの興奮を思い出すまでもなく、データやエビデンス全盛の時代にあっても、厳しい人生を花開かせたり、荒廃した地域を甦らせたりするアートを実現するのは、最後は、各人や各地の努力である。

アーティスティックに選挙に勝利した高市総理・高市政権ではあるが、常に効く魔法の杖を持っているわけではない。上述したとおりだが、政策実現が厳しいという各種データや現実を前にして、総理や政権に天才を求め、衆院選挙での奇跡を再びと、日本経済や社会の成長に関して、政治に過度な期待をするのは禁物であろう。

こういう状況でこそ、国民一人ひとり、企業一社一社、地域一か所一か所の弛まない努力とデータやAIを駆使した地道な取組みが大事であると感じる。

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