上杉雪灯籠まつり、まさかの昼訪問。歩いて味わう米沢の冬

最近よく歩いています。

2月中旬の山形旅行は駅から離れた場所を訪ねることが多くありました。

山形県南部の中心都市、米沢の中心部も駅から離れています。新幹線も停まる米沢駅からはバスも出ているのですが、今回はここから歩くことにしました。米坂線の南米沢駅。同線は米沢駅から市街地を囲むように南米沢、西米沢を経て新潟県へと向かいます。なぜここまで市街地を避ける線形になったのか不思議なくらいです。

25分ほど歩くと雪で造られた灯籠が並んでいました。知らなかったんですが、2月14日、15日で上杉雪灯籠まつりが開かれているようです。上杉神社の周辺には高校生や地元の企業の方が造った雪灯籠が無数に並びます。こんなイベントがあると知っていたら夜来たんですが、残念ながら夜は違う予定を入れちゃってたんですよね。なのでせめて昼の灯籠見物をすることにします。

上杉神社は米沢城の跡に作られたので、城の堀の内側にあります。堀の水は凍り、その上にうっすら雪がかぶっています。2月上旬は山形も多くの雪が降りました。寒さの厳しいこの地方ならではの情景を目の当たりにします。

上杉神社の前には上杉謙信が掲げた「毘」の旗印があります。「毘」は仏教における四天王の一人、毘沙門天の頭文字。中世の日本にあって毘沙門天は勝負事、とりわけ武士によっては戦いにおける勝利の神として崇められるようになりました。とりわけ謙信は毘沙門天を崇拝していたといいます。謙信はこの旗を掲げることで毘沙門天の加護を受け、勝利を導こうとしていたのでしょう。謙信に使える武士たちもこの旗印を見て士気を高めたのだと思います。

上杉神社の中には、上杉家のもう一人の偉人、上杉鷹山の像も建っています。戦国時代が終わると上杉家は越後から会津を経て米沢に減封されてしまいます。財政の厳しい米沢藩を立て直した人こそ上杉鷹山でした。

自ら質素倹約に徹して無駄な支出を無くしたほか、田畑の整備を行って農業政策にも尽力しました。教育改革で藩の教育水準もあげるなど、この時代においてもその治世で名を轟かせていたといいます。有名な格言「為せば成る」は彼が家臣に与えた教訓です。

上杉神社はそんな上杉家の名君2人を祀る神社として、明治9年に建てられました。謙信は越後で亡くなっており、米沢を拠点にしたことはありませんが、神社が建てられた際にすぐ近くにある上杉家の廟所に亡骸を移されています。

お参りを済ませたら、米沢駅に向けてまた歩き出します。神社のすぐ近くにある洋館は旧米沢女子高校の校舎。角地に建っていて、その角に向かって構えられた入口と八角形の庇が特徴的です。現在は米沢女子高校から改称した九里(くのり)学園の校舎の一部となっている国の登録有形文化財です。

また少し歩くと酒蔵がありました。東光の酒蔵は昔の酒造りの道具などが保管されていて、見学することもできます。

蔵の角に神社がありました。奈良県の大神神社は酒造りの神様として知られていますが、そこから分祀した神社だそうです。ここで毎日おいしい酒ができるよう祈りを欠かしませんでした。

こちらで試飲を楽しむこともできます。すきっ腹にアルコールを入れたら酔いが回ってきました。お昼も回ってそろそろお腹もすいてくるころ。米沢に来たんですからやっぱりアレをいただきましょう。

そう、これですよ!米沢といえば米沢牛。これを食べないで米沢を離れるわけにはいきません。祭りの日で混んでいるかと思いましたが米沢駅前のてんまさんはすんなりと入れました。米沢牛のカルビは口の中でふわっと肉の香りが広がります。ずっと食べてたいです。

上杉家の治世によって山形県を代表する都市に成長した米沢。雪もそろそろ溶けて旅行しやすいシーズンを迎えます。おいしい地酒や米沢牛も待っていますのでぜひ一度足を運んでみてもらいたいです。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年3月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

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