事業承継という名の延命装置をやめる時

日本の中小企業政策において、「事業承継」は長らく善とされてきた。後継者不足は問題であり、会社は存続させるべきであり、潰すことは悪である ― こうした前提のもと、税制優遇、補助金、金融支援が積み重ねられてきた。しかし、ここで一度立ち止まる必要がある。事業承継は本当に常に善なのか。

結論から言えば、現在の事業承継政策の多くは、企業の新陳代謝を止める延命装置として機能している。承継されているのは、成長可能な事業ではなく、経営の質を高められなかった器そのものだからだ。

事業承継という言葉が覆い隠しているのは、厳しい現実である。価格決定力を持たない下請構造、属人的な現場運営、長時間労働を前提とした利益モデル、投資を先送りしてきた設備と人材。こうした構造的問題を抱えたまま、「後継者がいないから承継支援を」という発想で会社を残すことは、問題の先送りにすぎない。

とりわけ深刻なのは、「承継すること自体が目的化」している点である。親から子へ、あるいは第三者へ会社を引き継ぐことがゴールとなり、引き継がれる事業の競争力や将来性は二の次にされる。結果として、次世代経営者は、構造的に不利な条件を丸ごと背負わされることになる。これは育成ではなく、負債の相続である。

本来、承継されるべきなのは企業ではなく、価値である。技術、人材、顧客基盤、知的資産 ― それらが分解され、より良い器に再配置されるならば、企業という形にこだわる必要はない。にもかかわらず、日本では「会社を畳む」という選択肢が、過度に忌避されてきた。

この背景には、「倒産=失敗」という道徳的レッテルがある。しかし、経済合理性の観点から見れば、退出は失敗ではない。むしろ、退出できない構造こそが失敗である。事業承継支援によって退出が妨げられ、生産性の低い企業が市場に残り続ければ、賃金も投資も上がらない。

さらに問題なのは、金融機関や支援機関が、この延命構造に深く関与している点だ。融資の回収を優先し、雇用維持を理由に、抜本的な再編や清算を避ける。その結果、本来は解体・再配置されるべき事業が、非効率な形で温存される。

事業承継を全面的に否定する必要はない。問題は、承継すべき企業と、終わらせるべき企業の線引きがなされていないことだ。成長戦略を描ける事業、再投資に耐えうる収益構造を持つ企業は承継されるべきである。一方で、時間と補助金を投入しなければ存続できない器は、静かに役割を終えるべきだ。

これから必要なのは、「承継支援」から「退出支援」への発想転換である。円滑な清算、技術と人材の移転、従業員の再配置。これらを制度として整えることこそが、真の中小企業政策だ。

事業承継という名の延命装置をいつまで続けるのか。問われているのは、企業を守る覚悟ではない。終わらせる覚悟である。

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