
『論語』の「為政第二の四」に孔子の有名な言、「吾(われ)十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず…私は十五歳の時学問に志し、三十歳にして学なって、世渡りができるようになった。四十歳で事の道理に通じて迷わなくなり、五十歳にして天命の理を知った。六十歳では何を聞いてもその是非が判別でき、七十歳になった今は思いのまま振舞っても道をはずさなくなった」とあります。
「五十にして天命を知る」ということで、明治の知の巨人・安岡正篤先生は、「内容の有無、高低、深浅の差はあるが、五十の頃は知命の時候である。聖人に於(おい)ては悟りと云(い)い、常人に於てはあきらめと為す」と述べておられます。
中国・北宋の名臣であった司馬温公(司馬光)曰く、「才徳全尽、之を聖人といい、才徳兼亡、之を愚人という。徳、才に勝つ、之を君子といい、才、徳に勝つ、之を小人という…才と徳が完全なる調和をもって大きな発達をしているのは聖人である。反対にこれが貧弱なのは愚人である。およそ才が徳に勝てるものは小人といい、これに反して徳が才に勝れているものは君子という」(『資治通鑑:しじつがん』)とのことです。
人間の大切な二要素・徳と才が「全尽」である聖人には、中々そうは成り得ません。しかし聖人を目指し辿る結果として、ある意味で悟るということはあるかもしれません。「聖人の道に達していない」「まだまだ上には上がある」--努力の限りを尽くした果てに、自分は聖人には程遠いといった認識を有するは、ある意味の諦(あきら)めですが、一種の悟りでもあります。「内容の有無、高低、深浅の差はあるが、五十の頃は知命の時候」であります。
兎にも角にも上記才徳の分類例で何が重要かと言えば、徳が大事だと強調していることでしょう。我々は君子を目指し、人間力をきちっと養うべく事上磨錬(じじょうまれん)し続けなければなりません。
『論語』の最後には、「命(めい)を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり」(尭曰第二十の五)という有名な章句があります。孔子は、天命を知り、礼儀を知り、人の言葉を知り、真に人とは何かを知ることで初めて、君子への道へと繋がる、と言っています。我々は学問の本義に徹し、一歩一歩着実な歩みを進めるべく、不断の努力を重ねて行かねばならないのです。
私自身は、昨夏も当ブログ「北尾吉孝日記」で御紹介した添付「私が考える君子の六つの条件」に反するような行いをしていないかと何時も反省しながら、一歩でも君子に近づけるよう真摯に努力し、日々研鑽を積み重ねているつもりです。ここに改めて、その六点を記しておきます。皆様の日々の修養の一助となれば幸甚です--①徳性を高める/②私利私欲を捨て、道義を重んじる/③常に人を愛し、人を敬する心を持つ/④信を貫き、行動を重んじる/⑤世のため人のために大きな志を抱く/⑥世の毀誉褒貶を意に介さず、不断の努力を続ける。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2026年3月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。







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