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本連載では8回にわたって、一つの現実を積み上げてきた。
国は「計画を書く企業の収益性は1.3倍高い」と白書で明示した。金融庁は「企業価値を言語化できる社長だけを支援する」と金融行政方針で宣言した。中小企業庁の補助金申請には事業計画がほぼ必須である。保証協会は「先延ばしをする社長は支援しない」とマンスリーに刻んだ。そして、2026年5月、企業価値担保権が施行される。
事業計画を書け、という声は、かつてないほど大きい。
ならば問いたい。
なぜ、事業計画の策定率ですら依然として30%台に留まり続けているのか。
実は、この問いは私自身がずっと抱えてきたものだ。
財務コンサルタントとして多くの社長と向き合ってきた。計画を持っていない社長に「書きましょう」と言う。すると必ずこう返ってくる。
「そもそも書き方がわからない」と。
では、書き方を教えれば社長は書けるようになるのか。
ならない。
仮に、書き方が分かれば事業計画が書けるというのならば、本屋に行けばいい。
事業計画の書き方を指南する本は、棚いっぱいに並んでいる。
フレームワーク、テンプレート、ステップバイステップの手順書。セミナーも日本全国で年間何百回と開催されている。
それでも書けない。
書いたとしても機能しない。
計画通りに動かない。
銀行員に渡しても反応が薄い。
社長自身、半年後にはその計画書がどこにあるかすらわからなくなる。
私はずっと、この現実が腑に落ちなかった。
本屋に並ぶ「事業計画本」は、なぜ機能しないのか
答えを探すうちに、私はあることに気づいた。
本屋に並んでいる事業計画の本を、片端から手に取ってみるといい。
SWOT分析で現状を整理し、3C分析で市場を把握し、MECEで論点を整理し、数値目標を設定する。あるいは、「実行しやすい形にまとめ、現状でできることから始める」という流派もある。見た目も中身も違うが、根っこにある発想は同じだ。
どれも、「現状」を出発点にしている。
現状の強みと弱みを整理する。現状でできることを書く。現状の延長線上に目標を置く。整合性は高まる。体裁は整う。「計画らしいもの」は出来上がる。
しかし、社長は変わらない。会社は一向に変わらない。
その計画書を読んだ銀行員の態度も変わらない。
なぜなら、そこに社長の覚悟が入っていないからだ。
なぜこんな本ばかりが出回り続けるのか。
なぜ、これだけ多くの専門家がこの発想を疑わないのか。
考えているうちに、私は自然と一冊の本を何度も読み返すようになっていた。
答えは50年以上前に、日本にあった
一倉定(1918-1999)。「炎のコンサルタント」「社長の教祖」と呼ばれ、会社の規模を問わず1万社以上を指導した伝説の経営コンサルタントだ。
彼は「社長になったら、真っ先に何をすべきか」と問われると、間髪を入れずにこう即答した。
「事業計画を書くことだ」
なぜか。
書かない限り、社長は自分の会社のことを何一つ「分かっていない」からだ。
書くというプロセスを通じて初めて、己がいかに自社の実態を知らなかったかという無知を突きつけられる。そこから真の経営が始まる。
ある社長が一倉定にこう申し出たことがある。
「部下に書かせました」と。
一倉定は烈火のごとく叱り飛ばした。
「お前が社長なら、お前が書け。書いた者が社長なのだ」
今、コンサルタントや専門家に「一緒に作りましょう」と言われて計画書を「作ってもらっている」社長たちは、この叱責を自分への言葉として受け取るべきだろう。
そして一倉定は、著書『マネジメントへの挑戦』の冒頭でこう宣言している。
「これは挑戦の書であり、反逆の書である。『きれい事のマネジメント論』への抗議なのである」
彼が正面から批判したのは、「良い事業計画の条件」として当時世間で信じられていた五つの常識だ。
常識1 実現可能であること。
常識2 事実に立脚していること。
常識3 無理がないこと。
常識4 科学的であること。
常識5 納得のいくものであること。
一倉定の答えはこうだ。
「全部ウソである。全部間違いである。それは、われわれの魂をむしばむ麻薬であり、会社を毒する考え方なのである」
私がずっと腑に落ちなかった現実の答えが、ここにあった。
令和の今でも本屋に並ぶ事業計画の本は、すべてこの「5大ウソ」の上に成り立っている。
「実現可能」で「科学的」で「納得のいく」計画の書き方を教えている。
だから機能しない。
書いた社長が変わらない。書く前と同じ社長が、書いた後も同じ現状の中にいる。
そして一倉定はこう続ける。
「経営は生きている。打てば響き、切れば血が出るのだ」
現状を分析し、整理し、実現可能な目標を設定する――これは「記録」だ。
生きている経営に向き合うものではない。
事業計画についての本質は、50年以上前からすでに日本にだけあったのだ。
一倉定が命懸けで書き残したが、今も読まれず、「きれい事のマネジメント論」だけが増殖し続けている。
書けない本当の理由は、「書き方」ではなかった
では、なぜ一倉定流の事業計画は広まらなかったのか。
理由は単純だ。都合が悪いからだ。
「現状でできることだけを書きましょう」という指導のほうが、社長にとって楽だ。
そして、専門家にとっても教えやすい。方法論なら、だれでも2年くらいすれば教えられるようになる。
それに対して、「実現不可能に見える計画を、社長が覚悟をもって書け」などと言っても、セミナーに社長は集まらない。それ以上に、教える方にも覚悟とエネルギーがいる、しんどい行為だ。
誰しも、ラクにできればいいなと思う。
結果として、「書き方」を教えるビジネスが栄え、「書く意味」を問うものは市場から弾き出された。
書けない社長が増えているのではない。
書き方を教える本も専門家も溢れているのに、書いても機能しない状態が続いているのは、売られているものが「書き方」だからだ。
必要なのは、書く前に持つべき「社長としての在りよう」なのに。
一倉定が「社長になったら真っ先に書け」と言ったのは、書くことで社長の「在りよう」が形成されるからだ。
どんな世界を創りたいのか。そのために何を覚悟するのか。
その問いと向き合う苦しみの中でこそ、初めて社長になれる。それを繰り返すことで、経営者として成長していく。
しかし、フレームワークは、その問いを回避させる。
「強みを書いてください」という設問に答えることで、本質的な問いと向き合わずに済む。「実現しやすい計画を作りましょう」という指示に従うことで、現状を変えない言い訳になる。
書けない本当の理由は、「書き方を知らない」ことではない。
書く前に持つべき「在りよう」が、まだ形成されていないからだ。
ならば問いたい。
あなたが今持っている、あるいはこれから書こうとしている「事業計画」は、社長の意志と覚悟が入っているか。
それとも、現状を整理した「記録」に過ぎないか。
次回、この問いの答えを出す。
「在りよう」とは何か。これまでの本連載のすべてが、ここに収斂する。







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