黒坂岳央です。
「今後はAIを使いこなせる人材が生き残る」
昨今、こうした意見が世間に溢れて、新しいサービスや使い方を解説するコンテンツをよく見かける。この意見自体は確かに間違いではない。
だがこの言葉には致命的な点が抜けている。真に価値が宿るのは「使えること」ではなく「どう使うか」というAIで出す成果物の中身なのだ。

peterhowell/iStock
「ポン出しコピペ」に価値はない
AIツールが普及した結果、多くのクリエイターがやっていること何だろうか?それはプロンプトを打ち込み、出力された文章や画像をそのまま使う、いわゆる「ポン出しコピペ」である。
成果物の妥当性の検証もなければ、編集も、マーケティングの視点もない。AI臭さを隠そうともしないまま出されるものもある。
本人はAIを使いこなしているつもりだろうが、その本質はAIに使われているだけに過ぎない。
「AIが作ろうが手作りだろうが、コンテンツの価値は同じでは?」と思う人がいるかも知れない。その答えは状況証拠を見ればいい。すでにAIで量産されたコピペ記事がネット上に山積みだ。そして実態としてどうだろうか?AIポン出しコピペコンテンツなど誰一人真剣に読んでいない。
一昔前、YouTubeにテキストスクロール動画が爆発的に量産された時期があった。あれを積極的に見ていた人がどれだけいたか。結局、YouTubeは「価値の低いコンテンツ」として収益化停止や表示抑制に動いたことは記憶に新しい。
このように道具だけが先行し、中身が伴わないコンテンツは、量が増えるほど一つあたりの価値がゼロに近づく。器だけ作って魂が入らないコンテンツに人を引き寄せる引力はない。
「私は記事をAI使って書いています」という人もいるが、実際にはその人となりの文体、体験談、ポジション、独自の視点などが入っており、「メインは人間、サポートがAI」となっている。
AIはコモディティ化する
歴史を振り返れば明らかだ。Excelが登場した当初、「Excelを使える人」は重宝された。タッチタイピングが早い人は「タイピスト」という職業についていた。だが、その優位性が続いたのはごく短期間だった。道具が普及した瞬間、使えること自体は必ずコモディティになる。
AIも同じ道を歩んでいる。すでにAIを使えること自体は差別化要因になりにくくなってきた。ありきたりの成果物を納品するだけでは、「AIはこんなにすごい!」「自分はこんなに楽をしている」とAI驚き屋止まりで、彼らのコンテンツに商業的価値がないのは明らかである。
AIスキルより実績や審美眼に価値がある
「AIを使いこなせる人材が稼げる」という意見の裏側を確認しておく必要がある。ライターや翻訳の仕事はAIに真っ先に奪われると言われてきた。
筆者もそのような意見は何度も目にした。確かに一部のライターや翻訳家の仕事は消えただろう。だが筆者の場合はAIが広がってから、逆に仕事の量も報酬も増加した。同じような状況の人もいるのではないだろうか。
理由はシンプル、「何を書くか」以上に「誰が書くか」を意識しているからだ。筆者は意識して原稿には一次情報や体験談をなるべく入れるようにしているし、過去のメディア実績などを出すようにしている。
そうすることで「この記事を書いた人に仕事を」とバイネームでテレビ局や企業から仕事が来ている。いくつかメディア実績が積み上がれば、「他の局で出ているのでうちでも」と過去の実績が履歴書のようになり、実績が次の実績を連れて来る。
以前からこのような形で仕事が来ていたが、生成AIが広がるようになってからは、以前よりさらに仕事の量も報酬も増加している。それはAIスキルが決定打になっているのではなく、元々の実績を拡張する方向に使っているからだ。
筆者の場合、これまで「この知識が欠けているので引き受けられない」と断っていた仕事のラストワンマイルを、AIが埋めてくれるようになったことで穴を塞ぐ道具として機能して仕事が増えたのだ。
道具だけ持っている人間に仕事は来ない。たとえば「私はAIを上手に使えます。医学部も出ていないし、医療の知識もゼロですが、あなたのがんの診断は任せてください」といっても誰一人頼まないだろう。
ここまで極端な例でなくても、専門知識も実績もない人間がAIで作った成果物を、なぜ信頼できるのか。構造は同じだ。
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結局、いくら道具が優れていても「そもそも何ができるか?」がなければ商業的価値のあるものは作れない。AIスキルはその問いへの答えを持つ人間が使ってはじめて意味を成すのである。
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