これから社会党になるのは、中道改革連合よりも「チームみらい」である。

2月8日の選挙結果を見て以来、「リベラルは死んだ」論がずっと盛んだ。政治勢力としての壊滅があまりに自明すぎて、ついにリベラルという名前がもはやマイナスとまで言われ出したのは、史上初めての局面かもしれない。

事実としてはそのとおりかもだが、リベラルの担当として連載を持つ身としては、ここが歯の食いしばりどころだ。そうでないと企画が潰れるか、保守担当の浜崎洋介さんだけが残って、ぼくはクビになってしまう(涙笑)。

なので今回は中道改革連合の大敗を、前も起きたことの反復として捉えることで、リベラル派がいつも躓く「失敗の本質」を探ることにした。むろん採り上げる先例は、昭和のこの党だ。

原彬久『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』 | 與那覇 潤 | 文藝春秋PLUS
今年2月の総選挙は、日本でリベラルが方針を変えることの難しさを示した。衆院で立憲民主党が公明党に合流して「中道改革連合」を作り、ようやく現実路線を歩む大型野党が生まれたと思わせてからの、壊滅的な惨…

今年2月の総選挙は、日本でリベラルが方針を変えることの難しさを示した。
(中 略)
社会党は高度成長さなかの1966年に、「社会主義への道」をうたう綱領を採択してしまう。理想を掲げるのはよいとしても、実現は無理だと内心では悟りながら、現実に突き当たるまでハンドルを切らず、放置したのがまずかった。

『文藝春秋』2026年5月号、406頁
(表記を改定、強調を付与)

ある時期から、社会党というと護憲政党のイメージが強く、非武装中立論のような安全保障面の非現実性で失敗したと総括されがちだ。必ずしもまちがいではないが、それだけだと、問題のいちばん深い部分に届かない。

実際に今年、中道改革連合はこの前まで与党だった公明党のポジションをベースに、安全保障の政策を「現実化」したはずだ。なのになぜ事前に想定しえない、ここまでの大敗になったのか。

社会党研究の古典(元は2000年の中公新書)を紐解くと、トピックを問わず今日でもリベラルが共通して躓きがちな、ある「思考の欠陥」こそが問題の主因であり、それは決して護憲派やサヨクに限られないことが見えてくる。

新版 戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか -原彬久 著|全集・その他|中央公論新社

「道」が……「保革対立」を本質的にはブルジョワジーとプロレタリアートの階級対立として捉え、「福祉国家」を「資本の延命策」として否定しているのは、その象徴的なあらわれである。

現行憲法については、社会主義が「過渡的政権」から「国家権力の最終的掌握」へと進んでいけば、その役割もまた終わるのである。社会党の「護憲」は条件付き護憲」であるにすぎない。

原彬久著、177頁
(段落を変更)

みんな忘れているが、社会主義(や共産主義)はもともと未来主義として始まった。それ自体は悪いことじゃないが、想像の中にしかない「完璧なミライ」から現状を眺めて、政治的にあれこれ言い出すと、問題が起きる。

その視点から見るかぎり、現在はつねに中途半端で、理想への過渡期にすぎず、しゃーねーから条件付きで「つきあってあげる」対象にしか映らない。そんな態度でいれば、人は現実をまじめに考え、取り組む気をなくす。

その点では大敗した中道以上に、社会党の轍を踏みつつあるのは躍進した某党だ。コロナでさえ役立たずだった「テックで解決」が、より厳しい現状に通じるはずはなく、「AIで解ける課題だけ持ってこいや」になってしまう。

一方で、中道改革連合が社会党から引き継いだ負債は、むしろ現実に合わせてハンドルを切る際の無節操さだ。奇襲的な解散に対応した点を割り引いても、結党の仕方の粗雑さはマズかった。

知らない世代も増えているから、1994年6月に自社さ連立ができる際の描写を引いておこう。いま、公明と組んで選挙に臨むなんて「知らなかった。騙された」と恨み節を言う人たちを、想像しながら読んでください。

社会党両院議員総会で右派・中間派の党内グループ「デモクラッツ」(1993年12月結成)の赤松広隆(元書記長)が「よもや自社連立などというようなことはないでしょうね」と念を押したその発言に、当時「本当に不明」(久保亘)にして「自社連立」工作の進捗を知らなかった同じ「デモクラッツ」久保書記長はこう応じている。

「自社連立ということはあり得ないことだ。もしそのような状況が生まれれば党の方針と反するから、そのことについては当然責任を伴うことであろう」……社会党はみずからの「連立」の相方を党内で正式合意しないまま、自党「首班」が誕生するという不可思議な事態を迎えるのである。
(中 略)
「村山さんが首班指名を受けるまで、その瞬間まで私は自社連立というものを考えたことはなかった」(久保インタビュー)。

同書、282頁

書記長はNo.2なのに、連立相手を党内で知らされてないなんてムチャクチャだ(むしろ自民党幹事長の森喜朗から通告された)。しかし、そうでないと最後まで政策を変更できなかったのが、戦後を代表する野党の実態だった。

要するに、もう滅ぶ寸前の時期の社会党とそっくりな形で中道が壊滅し、まだ調子に乗ってた頃に似ているチームみらいが伸びただけなのだ。ほとほとがっくり来る次第だが、それが日本の現実なら受けとめるほかはない。

1963年、横浜市長に当選した飛鳥田一雄。
社会党と革新自治体の未来は明るく見えた。
カナロコより

有料部分だからこっそり貼るけど、今回の連載の末尾は以下のとおり。他にも学べる教訓をたっぷり盛り込んだ1ページになってるので、ぜひ多くの方が書店で手にとってくれますように。

リベラルはいまこそ、夢想でなく現実の中に立つべきだ。わが屍を越えてゆけと、戦後昭和の先例は呼びかけている。

参考記事:

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(ヘッダーは、衆院選翌日の共同通信より)


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年4月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。

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