植物工場が語らないこと:食糧安全保障とCO2の不都合な真実

前回の拙稿「トランプ政権による『史上最大級の規制緩和』:EPA改革の意味するもの」では、EPAが2009年のCO2「危険性認定」を撤廃したことの意味を論じた。

トランプ政権による「史上最大級の規制緩和」:EPA改革の意味するもの
2月12日、ドナルド・トランプ大統領とリー・ゼルディンEPA長官は、「米国史上最大の規制緩和」を正式に発表しました。President Trump and Administrator Zeldin Deliver Single Larges...

本稿はその続編として、農業の現場に潜む同種の矛盾を取り上げたい。

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ホルムズ海峡封鎖が突きつける食糧リスク

中東情勢の緊迫化とともに、ホルムズ海峡封鎖のリスクが改めて語られている。石油・LNGの供給途絶が日本経済に与える打撃は論じるまでもないが、見落とされがちなのが肥料問題である。

農業用肥料の三要素——窒素・リン・カリウム——のうち、窒素肥料の原料となる天然ガスも、リン鉱石・カリ鉱石も、その多くを輸入に頼っている。海上輸送が途絶すれば、食糧生産そのものが立ち行かなくなる。食糧自給率カロリーベースで約38%という日本の現実は、エネルギー安全保障と食糧安全保障が表裏一体であることを示している。

高市首相の植物工場発言に感じた違和感

こうした文脈の中で、以前、高市首相が食糧安全保障策の一つとして植物工場の推進を語っていたことを思い出す。

天候に左右されず、温度・湿度を管理することで安定的に野菜を生産できる——という説明は確かに正しい。現在、葉物野菜であれば実用段階にあり、施設内での周年安定生産は技術的に確立されている。

しかし、筆者には一つの疑問が残った。植物工場の説明に、CO₂施用への言及が一切なかったのである。

農業現場の「常識」——CO₂は資源である

植物工場では、光合成を促進するために、大気中の約3〜4倍にあたる1,000〜1,500 ppm程度のCO₂を施用することが業界の標準的な実践である。これはオランダをはじめとする施設園芸先進国でも長年行われてきた常識であり、収量と生育速度を大幅に向上させる効果が確認されている。CO₂は植物にとって「食料」であり、農業の現場ではむしろ積極的に投入すべき資源として扱われている。

前回の記事で触れたように、米国EPAは今年2月、CO₂を「人体に有害な汚染物質」とした2009年の認定を撤廃した。内務長官バーガム氏は「CO₂はもともと汚染物質ではなかった」と明言している。

農業の現場はとうの昔からその事実を実践で知っていた。にもかかわらず、政策の言語においてCO₂は依然として「削減すべき有害物質」として語られ続けている。植物工場を推進すると言いながらCO₂施用に触れないのは、この矛盾を無意識に回避しているからではないか。

なお、植物工場の課題も正直に述べておく必要がある。現状では葉物野菜が主体であり、コメや根菜類への展開は電力消費量とコストの壁から実用化には距離がある。食糧安全保障の切り札として過大評価することには慎重であるべきだ。

戦後農業政策の呪縛

食糧安全保障の議論を深めると、避けて通れない構造的問題がある。東京大学の鈴木宣弘教授が指摘するように、戦後日本の農業政策は、米国による組織的な政策誘導のもとで形成されてきた側面がある。

小麦・大豆・トウモロコシといった主要穀物の輸入依存体制は、単なる市場原理の結果ではなく、占領期以降の農業政策・食糧援助・貿易交渉を通じて意図的に形成されたという指摘である。減反政策による水田の縮小も、その文脈で読み直すことができる。

日本が真に食糧安全保障を確立しようとするなら、この歴史的制約を直視した上で、どこまで自律的な農業政策が可能かを問わなければならない。植物工場の技術的推進は一つの手段であるが、それだけで構造的な脆弱性が解消されるわけではない。

問いの提示

CO₂を「汚染物質」として扱う政策言語と、CO₂を「資源」として活用する農業現場の実践——この乖離は、脱炭素政策全体の設計思想の歪みを象徴している。

食糧安全保障を本気で論じるならば、エネルギー政策と農業政策を縦割りで語ることをやめ、CO₂の役割を正直に問い直すことから始める必要があるのではないか。

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