インサイダー取引疑惑という「入口」
ロンドンで紙面を追っていると、トランプ政権をめぐる報道にはある共通した視線がある。政策の是非そのもの以上に、「誰が、どの立場で意思決定に関わっているのか」という点への関心が極めて強いことだ。民主主義の制度がどこまで機能しているのか──その前提が揺らいでいないかを測ろうとする視線である。
その象徴的な例として、20日、英BBCは「トランプ米政権に漂うインサイダー取引疑惑 」という記事を報じた。

トランプ米大統領がイラン和平交渉や関税政策などの重大発表を行う直前、原油先物や株式市場で異常な取引量の急増が繰り返されてきたという。報道によれば、公式発表の数分から数十分前に結果を見越した形で利益を狙う大規模な取引が確認され、一部では「史上最大規模のインサイダー取引」との指摘も出ている。
もっとも、この現象には別の説明も成り立つ。トランプ氏は第1期政権以来、「発言そのものが市場を動かす」大統領として知られてきた。市場参加者はその行動パターンを学習しており、アルゴリズム取引が発表の兆候を先読みすることも不可能ではない。
実際、「中東情勢の緩和は原油価格を押し下げる」といった構図は、内部情報がなくとも広く共有されている見方である。インサイダー取引の立証には情報源の特定が不可欠であり、専門家の間でも慎重な見方が目立つ。
つまり、取引の異常さ自体は否定できないとしても、その解釈は一様ではない。
「公」と「私」の境界線
しかしこの騒動が欧州でより大きく取り上げられている理由は、別のところにある。インサイダー取引そのものよりも、「公」と「私」の境界線がどこまで保たれているのかという問題である。
その象徴が、トランプ外交の重要局面に繰り返し関与してきたジャレッド・クシュナー氏の存在だ。
トランプ大統領の長女イヴァンカ氏の夫、すなわち「大統領の娘婿」という立場にある同氏が中東政策などで大きな役割を担ってきた事実は、能力や実績とは別次元で、「ネポティズム(縁故主義)」の問題を提起する。
なぜ、このような起用が許容されてきたのか。
「旧友」と「娘婿」が交渉卓に座った日
昨年12月2日、モスクワのクレムリン。ロシアのプーチン大統領と向き合った米国側の交渉団は、通常想定される顔ぶれではなかった。国務長官でも国家安全保障担当補佐官でもない。席に着いていたのは、不動産業者のスティーブ・ウィトコフ氏と、クシュナー氏である。

プーチン大統領を訪問するクシュナー氏(右)
クレムリン公式HPより
ウィトコフ氏はニューヨークの不動産開発業者で、1980年代から続くトランプ氏の長年の友人だ。政治や外交の経験はほとんどないが、第2期政権で「中東担当特別使節」に起用された。
一方のクシュナー氏も、上院の承認を経た政府高官ではない。外交の専門家でもない。言い換えれば、大統領の「旧友」と「身内」が、世界の安全保障に直結する交渉の場に並んでいたことになる。
約5時間に及んだ会談後、クレムリン報道官は「クシュナー氏の参加は非常にタイムリーだった」と評価し、「和平合意が文書化されるなら、そのペンを握るのは彼だろう」とまで言及した。
クシュナー氏はその後、今年2月上旬に行われたジュネーブでのイラン核交渉の第1ラウンドにも関与した。クレムリンでの会談も、ジュネーブでの当初のイラン核交渉への関与も、正式な政府職員としてではなく、「非公式の無報酬顧問」という立場での参加である。
同月19日になって、トランプ氏はクシュナー氏を「平和担当特別使節」に任命すると発表した。上院承認も閣僚としての宣誓もない。事実上、その根拠となるのは「大統領の娘婿」という関係だけである。
ここに浮かび上がるのは、単なる人事の異例さではない。ネポティズム(縁故主義)、利益相反の懸念、そして制度的な監視の空洞化——三つの問題が重なり合い、アメリカ外交の根幹を揺るがしているのではないかという疑問である。
順を追って見ていこう。
法律はあった しかし抜け穴もあった
アメリカには、親族の登用を制限する明確なルールがある。1967年制定の「連邦反ネポティズム法」(連邦法典第5編3110条)だ。行政機関の長が、息子や娘、婿といった親族を自らの組織の職に任命することを禁じており、「婿」も条文に明記されている。
この法律の背景には、ひとつの象徴的な人事がある。1961年、ジョン・F・ケネディ大統領が実弟ロバート氏を司法長官に任命したことだ。縁故による登用が行政の公正さを損なうとの批判が高まり、議会は6年後に明文での禁止に踏み切った。
ところが2017年、第1期トランプ政権(2017-2021年)はこの規定を事実上回避する。
クシュナー氏を「大統領上級顧問」に起用するにあたり、司法省の法律顧問部門が、「この法律は各省庁などの『行政機関』には適用されるが、大統領直属のスタッフ組織であるホワイトハウスは含まれない」という解釈を示したためだ。大統領には側近スタッフを自由に任命する権限があるという別の規定を根拠に、クシュナー氏の起用は違法ではないと結論づけられた。
米コーネル大学の法学者、ジョシュ・シャフェッツ教授はこれを「技術的に違法かどうかという問題ではない。単純に見苦しい。縁故主義の典型だ」と批判する。
法律の条文には触れない形で、その趣旨を骨抜きにした「抜け穴」の利用、という批判は免れない。
そして第2期政権では、この問題はさらに一歩進む。
クシュナー氏は今回、正式な政府職員ですらない「非公式の無報酬顧問」という立場で外交に関与している。政府職員であれば課される倫理規定や情報公開義務、安全保障上の審査といった枠組みの外側にいる存在だ。言い換えれば、責任や監視を伴わない形で権限に近い影響力を行使していることになる。
与党・共和党のサム・ティリス上院議員でさえ、「上院の承認も受けず、議会の監視にも服していない」と懸念を示している。
もうひとつの論点 利益相反の疑念
ネポティズムと並んで指摘されているのが、利益相反の疑念だ。
2021年1月21日、トランプ第1期政権の終了の翌日、クシュナー氏はプライベートエクイティ会社「アフィニティ・パートナーズ」を設立した。半年後、同社はサウジアラビアの政府系ファンド(PIF)から20億ドル(約3000億円)の出資を受けた。
この出資をめぐっては、ファンド内部の審査委員会が、アフィニティ・パートナーズの「運用経験の不足」や「運営体制への懸念」を理由に難色を示していたと報じられている。最終的に出資を決断したのは、PIFを率いるムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)だった。
内部委員会の反対を皇太子が覆した理由は明らかにされていない。ただ、クシュナー氏が大統領上級顧問として在任中、サウジアラビアに対して一貫して融和的な姿勢をとり続けてきた事実は、広く記録されている。
カショギ氏の暗殺
その融和姿勢を象徴する出来事が、サウジアラビア出身のジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(58歳)の暗殺事件だ。同氏は米紙への寄稿などを通じて王政、とりわけムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)の統治手法を批判していた人物である。
2018年10月2日、カショギ氏はトルコ人婚約者との結婚に必要な書類を受け取るためイスタンブールのサウジ総領事館を訪れ、館内でサウジ側の工作員によって殺害された。遺体は切断・隠匿されたとされる。米CIAは、この作戦をMBSが直接承認したと結論づけた。体制にとって不都合な言論を、国外で封じる意図があったとみられている。
暗殺事件は国際社会に強い衝撃を与え、MBSは一時、主要な外交舞台から事実上の孤立状態に追い込まれた。
しかしそのさなか、クシュナー氏はホワイトハウス内でサウジ擁護の声を上げ続けたと報じられている。両者はWhatsAppで直接やり取りする個人的関係にあり、クシュナー氏はMBSに危機対応について助言していたとも伝えられる。トランプ大統領は後に「私が彼(MBS)を救った」と語っており、誇張とは言い切れない。
米議会の調査によれば、アフィニティ・パートナーズは2021年以降、サウジ政府から少なくとも8700万ドル(約130億円)の運用管理報酬を受け取っている。
ロン・ワイデン上院議員(民主党)は調査の結果、「アフィニティの事業は純粋な商業活動というより、外国政府がトランプ家の一員に資金を提供する手段として機能している可能性がある」と指摘した。
これは野党側の主張であり、クシュナー氏側はこうした見方を否定している。
外交と私益が交差する場所
こうした経緯を踏まえると、トランプ第2期政権におけるクシュナー氏の役割が持つ意味は、より鮮明になる。
今年3月、米ニューヨーク・タイムズは、クシュナー氏が中東各国との外交交渉に関与するのと並行して、自らの投資会社アフィニティ・パートナーズへの追加出資50億ドル(約7500億円)をサウジアラビアの政府系ファンド(PIF)に求めていたと報じた。外交と資金調達が同時進行していたことが、利益相反の疑念をさらに深めている。
さらにブルームバーグによれば、アフィニティの運用資産は2025年末時点で62億ドル(約9300億円)に達し、その約99パーセントが外国人投資家の資金で占められている。主要な出資者は、サウジアラビア、UAE、カタールの政府系ファンドだ。
4月には、下院司法委員会の民主党筆頭メンバー、ジェイミー・ラスキン議員が包括的な調査に着手した。公開書簡でラスキン氏はこう指摘する。「サウジやUAEの資金を受け取りながら、米国を誠実に代表することはできない」。
もし日本なら
比較のために考えてみる。仮に日本の首相が、娘婿を「非公式顧問」として外交交渉に同席させ、その人物が同時に交渉相手国の政府系ファンドから数千億円規模の出資を受けていたとしたらどうなるか。野党は当然として、与党内からも辞任を求める声が上がるだろう。メディアもまた、その構造的な利益相反を連日大きく報じるはずだ。
アメリカでも批判がないわけではない。しかし、法的には「問題なし」とされ、監視機能も弱体化した結果、こうした構造的な疑念は「疑惑」として処理され続けている。それが現在のアメリカの一側面である。
欧州メディアが見る「制度の問題」
英国や欧州の主要メディアでは、こうした問題は単なるスキャンダルとしてではなく、「制度の私物化」という文脈で語られることが多い。特にガーディアン紙やフィナンシャル・タイムズなどでは、トランプ政権の人事や外交スタイルを、民主主義制度の劣化という長期的な問題として位置づける論調が目立つ。
その視線の先にあるのは、「同様のことが欧州で起きた場合に許容されるのか」という比較である。
欧州・英国というもう一つの基準
例えば英国では、大臣や高官の利益相反については独立した助言機関が設置され、退任後の企業活動や外国との関係に一定の制約が課されている。違反すれば政治的な辞任に発展するケースも少なくない。
また欧州連合では、欧州委員会の委員に対して厳格な利益申告義務とロビー活動規制があり、任期中・退任後の企業関係についても監視の枠組みが存在する。
もちろんこれらの制度も完全ではない。ロビー活動や「回転ドア」をめぐる批判は欧州でも繰り返し起きている。しかし少なくとも、制度上は利益相反を「可視化し、制約する」前提が組み込まれている。
アメリカの特殊性
それに対しアメリカでは、法的には「問題なし」とされる余地が残り、政治的監視機能も弱体化した結果、構造的な疑念が制度内部で処理されにくい状態が続いている。
「縁故主義の禁止」という法律が生まれた1960年代のアメリカには、それを問題とする明確な社会的合意があった。しかし「トランプのアメリカ」では、その前提が共有されているとは言い難い。制度は存在しながら、その意味が空洞化しつつある。
ロンドンから見える違和感
ロンドンで報道を追っていると、この問題は単なる一政権の逸脱としてではなく、「制度がどこまで持ちこたえるのか」という問いとして受け止められていることが分かる。
外交の現場に誰が座るのか。その人物は誰に対して責任を負うのか。その問い自体が曖昧になったとき、国家の意思決定はどこに帰属するのか。
欧州の報道が繰り返し投げかけているのは、まさにその点である。
【参考資料】
公開情報、米議会文書、ブルームバーグ、ニューヨーク・タイムズ、BBC、CNN等。
編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年4月26日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。







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