子供の体験格差は「経済力より親の意欲次第」

黒坂岳央です。

「子どもの体験格差」は度々問題視されるテーマだ。

やりたい習い事を全部やらせ、ディズニーや海外旅行へ行く子どもと、お弁当を持って近所の公園や市民プールに通う子ども。その差を「親の経済力」に帰属させ、「親の経済力で子供の人生が犠牲に」という論調が多い。

だが子供を持つ親として、この風潮には強い疑問を感じる。体験格差の本質的原因は経済力ではなく、親の意欲だと考えるからだ。

miya227/iStock

田舎と都会の子ども

筆者の子どもたちは熊本の田舎で幼少期を過ごした。

徒歩で知り合いの牛小屋へ行き、一緒に牛を触る。庭でサッカーやドッジボールをする。歩いて高台から満点の星空を眺める、そんな風に育てた。

旅行は都会より、田舎の大自然で思い切り体を動かすアクティビティが中心で、ディズニーやUSJにはあまり興味がない様子だ。特別に巨額なコストはかけずとも心に残る体験になる。今やうちの子どもたちはアウトドアや旅行好きになった。

最近、引っ越しをした。近所のクラスメイトは医師や経営者の家庭の子が多く、タワマンの上層階や豪邸に住んでいる子もいる。これまでは農家や酪農家の子どもたちがクラスメイトだったので、付き合う子の属性が大きく変化した。

驚かされたのは、新たなクラスメイトたちは基本的に「外遊び」を嫌がるということだ。「外は汚れるから嫌だ」といい、公園にはいかず、彼らはタワマンのラウンジに集まってスマホやゲームをして過ごす。室内で走り回ってもすぐ飽きて、結局、スマホやゲームに戻るといっていた。

SNSでもタワマンのパーティールームで子供が集まってゲームをする、という似たようなエピソード投稿が見られた。

そしてGWはファストパスでディズニーやUSJへ行き、長期休みには海外旅行へ行くのが彼らの「体験」だ。田舎育ちのうちの子どもたちは本音では外で遊びたいと思っているが、友達の多くが室内でゲームをするのを好むのでそれに合わせているという。

彼らの親の経済力は非常に高い。だが経済力があってもやっていることは「室内でゲーム」なのだ。

経済力が高い家庭の子が外遊びを知らず、田舎育ちの子がその楽しさを持っている。格差の方向が世間の語られ方と逆転しているの現実がある。

体験格差はお金ではなく親の意欲で決まる

もちろん、高収入家庭の全員が室内型というわけではない。

GWの過ごし方をクラスでシェアした際、田舎に行って星空を眺めたり、キャンプやバーベキューをしたりする家庭もあった。また、親子で科学館や博物館で過ごす子もいた。このように同じような経済力でも、自然体験や知的学習を選ぶ親もいるのだ。

一方、自分が熊本に住んでいた頃、周囲は裕福とは言えない家庭も少なくなかった。だが、彼らの中には早朝から車を飛ばして朝釣りに連れて行く親がいた。眠い目をこすって起き出し、朝日でキラキラ輝く海を見ながら親子で釣り糸を垂れた時間は楽しかったといっていた。このようにお金がなくとも体験の質を上げる選択をしていた。

また、別の親は「旅行に行くお金はないから、親子で空港にいって旅行気分を味わい、空港近くの公園でブルーシートを広げてピクニック」といっていた。都会の人はこの話を聞けば「かわいそうに」と眉をひそめるかもしれないが、当の子どもはそれで大変喜んだという。

結局、体験格差は親の感性で決まる。何が良い体験かを知っている親だけが、それを子どもに与えようとする意欲を持てる。お金があっても感性がなければパッケージになった消費を買い、感性があれば金がなくても朝釣りに連れて行く差になる。感性が意欲の源泉といえる。

もちろん、極度の経済的困窮が体験の機会そのものを奪うケースは別の問題だ。今回論じているのはそこではない。ある程度の選択肢がある家庭において、何を選ぶかを決めるのは経済力ではなく親の感性と意欲だということだ。

「体験」の定義がおかしい

そもそも「体験」とは何かという定義が問われていない。ディズニーのファストパスで行列を飛ばし、管理された演出の中でコンテンツを消費することが「豊かな体験」なのだろうか。

体験の質を決める要素は、身体性・不確実性・自発性の三つだと考えている。牛は予測不能に動く。泥は汚い。釣りは釣れないこともある。ドッジボールは負ける。これらは子どもに「思い通りにならない現実」と向き合わせる。その積み重ねが認知・非認知能力を育てる。

対してファストパスは待ち時間という不確実性を金で除去する。管理された空間で提供される体験で消費する。常に安全で快適で予測可能な予定調和だ。これは体験というより単なるサービスの消費である。金をかけるほど不確実性が排除され、体験の教育的価値が下がる逆説がある。

筆者自身、実家は裕福ではなく消費する体験をした記憶はほとんどない。だが親戚、友達と走り回ったり、夜通し他愛もないおしゃべりをしたり、朝日を見に行ったことが圧倒的に心に残っている。消費行動とはそのおしゃべりのきっかけを与えてくれるだけで、経済力は決定的ではない。

「体験格差は仕方ないで終わらせていいのか」という問いへの答えはこうだ。経済格差に帰属させた瞬間、親は思考停止する。金がないから仕方ないと開き直るか、金があるから十分だと慢心するか。どちらも子どもにとって不幸な結論だ。

親子の心が通わなければ、どれほど金をかけても心が動く体験にはならない。問うべきは経済力ではなく、今週末子どもをどこへ連れて行くかを考える意欲なのだ。

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働き方・キャリア・AI時代の生き方を語る著者・解説者
著書4冊/英語系YouTuber登録者5万人。TBS『THE TIME』など各種メディアで、働き方・キャリア戦略・英語学習・AI時代の社会変化を分かりやすく解説。

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