先般ニューヨークに行った際、久々にブロードウェイミュージカルを観て、夜10時頃、帰る時にタイムズスクエアを通ったのですが、その人ごみの様と言ったらそれは驚きを超えたものでした。日本では渋谷の交差点がどうこう言いますが、規模と言い、人の数と言いお話にならないほどのレベルであります。超巨大な電光スクリーンが道の両側に延々と並びあたりを昼間のように照らします。人々は何か面白いことを期待し、ストリートパフォーマーたちを取り囲みます。街のいたるところで工事が展開され、道路は相変わらず車のクラクションと大渋滞、人とリキシャ、更にデリバリーの人々がぐちゃぐちゃに乱れ、清潔で画一的な日本からは異次元の世界であります。

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ではそれでも人々はなぜ集まるか、といえばお金が溢れていることはあるかもしれません。アメリカの株式市場はなんだかんだ言いながらも高値水準にあり、大儲けした人は相当多いと思います。物価高で価格を見てものを買う人もいればまったく気にしない人も結構いるのでしょう。人が生活するにおいて必要なお金の金額は知れています。余生を最低限のレベルで暮らせる金額からあとどれだけ上乗せできるか、これ次第で人は新たなる消費に向かい、その先は浪費になるといえるのでしょう。
日本でも株式市場の好調具合から相当バブっているのではないかと想像します。
これは80年代後半のあのバブルの時の再来といえるのでしょうか?私は似た状態になっていると思います。80年代後半のバブルの際に儲けたのは不動産と株式投資家でしたので今は不動産成金が少ない点が違いでしょうか?では当時、株式投資をしていた人たちが誰でもあぶく銭で潤っていたか、と言えばそんなこともなかったと思います。当時も今と同様、ごく一部の銘柄群、特に電機メーカーの株が躍っていました。また仕手株と称して買占め銘柄などの株価が棒上げしたわけで、仕手戦が始まれば一般投資家が提灯をつけてそれはお祭りでしたが、個人投資家で本当の果実を手にした人は少なかったと思います。
ではなぜバブル経済と言われたのでしょうか?それは街の雰囲気が明るかったからではないでしょうか?誰に聞いてもお金を使うことを楽しみとしていた、そんな時代です。クルマを買い、海外旅行に行き、ブランド物を買う。更には高級な飲食店に行き、友人に自慢げに戦利品を見せ、お裾分けで高級なお土産を渡したりします。おじさま達はゴルフ場で「ゴルフクラブ談義」に花を咲かせ、奥様方はいかに美しく見せるか、華やかさを競ったのです。
つまりバブルに預かれなかった人たちもつま先立ちで消費に走ったのです。会社の景気が良ければ社費で飲食ができた人も多く、その余勢をかって自らの懐も緩くなったというのがバブルの申し子である私の鮮明な記憶であります。
それが蘇ってきた、これが今回のニューヨークで感じたことです。もちろん、私は日本にもしばしば行っているし、夜の繁華街に繰り出すことも日常的ですから日本も景気の良さも実感していますが、アメリカの方がはるかに良かったというのが今回改めて感じたことです。
今回のバブルの主役はもちろんAI。それに付随して半導体から電力供給など思った以上にすそ野に広がりがあります。今後、AIを組み込んだ様々な一般消費者向け製品が売り出され、一種の生活転換期を迎え、市場に強力なインパクトをもたらすとみています。かつて携帯電話ができ、iPhoneがブームになってからいつの間にか誰でも携帯を持つようになったように、あと数年もすれば人々が何らかのAIを「携帯」している時代が来るのです。それは当然、世の中のディファクトスタンダードを変え、今日我々がクールだと思い買ったり使ったりしている商品は陳腐化するかもしれません。その時、新たなる消費サイクルが生まれ、人々は自分の周りの人との差別化を図ろうとするでしょう。
その期待が先行するのがバブル経済であり、宴であると言えます。こう見ると今回のバブルはまだ始まったばかりでもうしばらくは踊れるのではないかという気もします。もちろん、「宴の後」という酷い二日酔いが待っていることも事実です。踊るならほどほどに。そして、人生、本質的に必要なお金の額は割と知れており、多くの出費は付加価値を求めたものであることをしっかり意識するべきだと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年5月14日の記事より転載させていただきました。







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