
5月5日、連休の真っただ中の日。名古屋に来ました。いつもは仕事をしに来ているのですが、今日の目的は「観光」。普段見ることの少ない観光都市としての名古屋の姿を感じたいと思ったからでした。

やってきたのは納屋橋。堀川にかかる橋で、名古屋駅と伏見駅のほぼ中間地点にあります。一般的に「なやばし」と呼ばれていますが、橋の名前は「なやはし」と濁りません。
2022年まで販売されていた名古屋銘菓「納屋橋まんじゅう」で名前を知っている方も多いのではないかと思います。

納屋橋が架かる堀川は、人工の河川です。江戸時代、名古屋城を築城する際に資材を運ぶ必要があることから、伊勢湾と名古屋城までの間に川を作ったのが堀川の始まりです。堀川を作ったことにより名古屋城の築城は大きく工期を短縮することが可能になりました。

堀川を掘削したのは福島正則。豊臣秀吉のいとこであり、関ヶ原の戦いで重要な役割を果たしました。その後、徳川家康の命を受けて堀川掘削という大事業の陣頭指揮を執ることとなります。

今回乗る遊覧船はこちら。納屋橋乗船場から名古屋城近くの朝日橋乗船場を15分ほどで結びます。料金は800円です。椅子がほぼ埋まるくらいの乗客がいて盛況でした。なお、堀川は海に近い感潮区間にあるため、海の干満により水位が大きく変化します。その影響で遊覧船の運航は不定期になるので注意が必要です。

船に乗り込んでいよいよ出発。これまで何度も通ってきた納屋橋ですが、川の上から見る機会はなかったので新鮮です。遊覧船ではガイドがいて、堀川やそこに架かる橋の歴史を紹介してくれます。納屋橋は堀川掘削時からかかる堀川七橋のひとつ。周囲に尾張藩の米蔵が多くあったことなら周囲が納屋町と呼ばれており、そこから名がつきました。

アーチ橋のようなデザインだけれど、実は本当のアーチ橋ではありません。

堀川を北上して続いて潜るのは「錦橋」。名古屋駅前から栄に通じる大通りのひとつ、錦通に架かる橋です。錦通はもともと鉄道敷設のために敷かれた通りでしたが、鉄道は途中で地下鉄に計画変更され、道路としての活用されることになったものです。そのため、地下鉄東山線はほぼ錦通の地下を通って敷設されています。

蔦の絡まる伝馬橋は比較的幅の細い橋ですが、かつてはここから岐阜県垂井町の中山道に至る美濃街道の橋として重要な役割を果たしました。ここも堀川七橋のひとつです。

地下鉄桜通線の通る名古屋の主要な通りのひとつである桜通は、昭和12年に名古屋汎太平洋平和博覧会が開催された際に作られた通りです。ここに掛けられた橋は桜通。ここからはわかりにくいですが、欄干などに桜の紋様があしらわれています。

橋のたもとに四間道名物「屋根神様」がある。
丸の内に架かる五条橋までやってきました。名古屋は江戸時代初期の名古屋城築城の際に、名古屋市北西部にある清洲町(現清須市)から多くの人が移転していますが、清洲の五条川に架かっていた橋も名古屋の橋造りの材料に利用されました。そのためこの橋は「五条橋」と名付けられました。

以前、私のブログで昔ながらの名古屋の風情が残る四間道(しけみち)エリアは、五条橋の西に位置しています。遊覧船は五条橋に停まるものもあるので、時間が合えば遊覧船で訪ねるのも面白いと思います。

名古屋城が近づいてくると、岸壁部分が煉瓦造りではなく、石垣になっています。

カメが甲羅干しをしている様子を見られるようになってきたら、そろそろ下船の準備です。

名古屋城に近い朝日橋乗船場に到着。15分間があっという間でした。名古屋城は20もの大名が徳川の命を受けて築城しています。多くの大名が携わったこともあり城は通常15年以上かかる工期をわずか2年に縮めて完成しています。大幅な工期短縮の裏には堀川がスムーズに木材を運んできてくれたということを忘れてはなりません。

今は中に入れないけれど、外から見るだけでも美しい名古屋のシンボルです。
堀川で橋をくぐりつつ名古屋の歴史をご紹介してきました。いかがだったでしょうか。名古屋に来たことはあっても川を使って観光した方は少ないと思います。是非一度堀川で遊覧船に乗って名古屋城を訪ね、江戸時代から発展し続ける名古屋を違った角度から眺めてみてほしいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年5月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。







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