守屋武昌「『普天間』交渉秘録」で学ぶ「辺野古」⑤

(前回:守屋武昌「『普天間』交渉秘録」で学ぶ「辺野古」④

07年1月12日、守屋は前年5月の「2+2」での承認と閣議決定を受けて8月に設置された、普天間代替施設の具体的な建設計画、安全・環境対策及び地域振興について政府、沖縄県及び関係地方公共団体の間で協議する「普天間飛行場移設措置協議会」の第三回協議会に向けた打ち合わせを行った。

この打ち合わせで、守屋は「危険性の除去」について防衛省と米国の間で検討を積み重ねてきた、以下の3つの施策を河相周夫外務省北米課長や東良信内閣府審議官らに説明した。

  1. ヘリが住宅密集地の上空通過を避けられる進入路を米国と合意する。
  2. 普天間飛行場で日常的に行われる場周訓練飛行の際のエンジントラブルなど、不測の事態が発生しても緊急着陸できるよう、基地の周りの障害となる樹木を伐採する。
  3. 周囲を民間の住宅に囲まれてしまった普天間飛行場では、夜間、街の灯りで滑走路の誘導灯が見えにくいので、新型の強力な誘導灯を設置する。

このうちの誘導灯設置について、河相と東が口を揃えて「沖縄は効果がないと言っている」と批判した。日米で検討してきた案を現場の知識もない者が沖縄の主張を代弁することにカチンときた守屋は、「文句があるなら自分で対案を出したらどうだ」と思わず怒鳴った。

守屋の怒りは、沖縄が防衛省に対してではなく、外務省と内閣府を通して防衛省に考えを伝える手法、即ち、政府内の分裂を狙っていることに対するものでもあった。この日、佐藤勉那覇施設局長も電話で、米国と調整した「V字案」の細部計画を名護市に説明した際、末松から「滑走路の500m沖合移動」を求められたという。昨年4月の第7回協議で末松が述べた「バリエーション」を出してきたのである。

斯くて迎えた1月18日の第三回協議会自体は何事もなく終了したが、終了後の非公式懇談会で仲井真が突然、「今のV字案では、県としては名護市が反対しているから飲めません。名護市長が名護市の考えを閣僚の皆様にご説明します」と発言し、これを受けて島袋市長がこう述べた。

今の政府案は名護市の上空を米軍の航空機が飛ぶことになり、危険ですし、航空機騒音もある。名護市としては現行のV字案より550mほど沖合に出す案が良いと考えています。・・細部は末松助役に説明させます。

末松は既に準備していたらしい図面を指し棒で説明しながら、「これは政府と名護市が合意したV字案のバリエーションの中で整理されたもので、合意を変更するものではありません」と言い放った。が、宮城東村村長が立ち上がり、島袋を睨みつけてこう言った。

島袋市長、貴方は額賀さんと合意した内容と違うことを言っている。恥ずかしくないのか。今すぐ市長を辞めなさい。貴方は北部首長会が合意していないことを今ここで話している。県も今までの経緯を無視している。

この予想外の事態を、司会の鈴木官房副長官が安倍総理との面会時間の関係で「これで懇談会絵お終わります」と引き取った。これらは会議終了後の発言なので議事録には載っていない。終了後、那覇の佐藤施設局長からも、今日の沖縄側の対応について下記の情報が入った。

久間大臣が柔軟な姿勢を示しているので、知事と名護市長が態度を固めた。V字案を決めた小泉・飯島・守屋のうち残っているのは守屋だけ。米軍は元々浅瀬案でいいといっていたのだから、守屋だけ封じ込めれば変えられる。この話を仲村正治議員(※「五ノ日の会」の一人)が言って回っている。

それから2週間ほど経った2月4日、安倍総理は塩崎官房長官、麻生外務大臣、久間防衛大臣、高市早苗沖縄担当大臣を官邸に呼び、「V字案は修正しない」と指示した。守屋は「同じ日、高市大臣はマスコミに『守屋は沖縄問題の癌、守屋の首を切るべき』と発言していた」と記している。高市は前月の「協議会」に麻生や久間と共に出席していた。

その後も沖縄側から「滑走路を沖へ100m出せ、50mでもいい」などの要求が直接、あるいは政治家経由で守屋の耳に届いた。が、「秘録」には最終的に政府案から沖へ何mか動いたのか否かは記されていない。但し、「秘録」の口絵にある「V字案」は、辺野古崎の先端が飛行場から少し覗いているが、防衛省サイトの図を見ると辺野古崎全体が飛行場になっていることが確認できる。

結語

この沖縄の粘り腰は筆者に、トランプ大統領に対する目下のイランの交渉振り彷彿させる。それを470頁も綴った守屋も疲れただろうが、読む側も「またかよ!」と呆れる。そして「秘録」を読む限り、この沖縄の粘りが、果たして豊原地区などの上空を飛ぶ米軍機の避けるだけの目的だったのだろうか、との疑念も湧く。が、それも守屋の意図した筆の運びに乗せられた結果のことかも知れぬ。

関連して、04年10月に「反対協」らの抗議船によって阻まれた環境アセスメントを、07年5月に成功させた守屋の妙案も、イランによるホルムズ海峡封鎖での機雷掃海を想起させるので少し触れる。

07年3月下旬、現況調査の受け入れを辺野古の漁業組合が表明した。那覇防衛施設局は「知事が激怒した」と報告してきた。仲井真は稲嶺と同様に「方法書」の受け取りを拒否していた。アセス調査には、海流速度計、海水温度計、サンゴ礁や藻場の生息状況モニター装置など数十種の機器300個を海底に設置する必要があった。

守屋の妙手とは、今回は海上保安庁ではなく、海上自衛隊を使うことだった。守屋は齋藤隆統合幕僚長(※06年8月~09年3月)を呼び、「墨俣の一夜城」を例に挙げて夜中に大半の作業を終わらせるアイデアを説明した。久間も賛成だった。この指示を了解した齋藤はこう述べた。

ピンポイントでこの日、と決めるのでなく、一週間まとまった日を下さい。次官は始めてもよい日だけを言ってくれればいい。後は部隊の方で天候とか反対派の動きなどを見て実行する日を決めますから。ですので、部隊の運用は制服に任せてください。

この作戦に齋藤が使ったのは、99年のトルコ大地震の際、現地に救援物資や阪神大震災で使用された仮設住宅を輸送した「うらが型」掃海母艦「ぶんご」である。機雷掃海艇は小型な上、磁気機雷の触雷を避けるため木製なので、掃海母艦が補給燃料や備品を積んでいく。98年3月に就役した「ぶんご」は全長141m、その船倉と船尾はアセス機器やゴムボートを運ぶのに最適だった。

5月11日に横須賀港を出た「ぶんご」から「オペレーション開始」の報が守屋に入ったのは18日午前2時。斎藤は「現在『ぶんご』は陸から十海里(約20㎞)以上離れています。ここからはゴムボートなので現場到着は1時間半後になります」と言った。海軍に「船端十キロ」なる小舟の船端から見える水平線までの距離を指す語がある。「ぶんご」は見つからない様、岸からそれだけ離れて停泊していた。

翌日のオペレーションも反対派やマスコミに見つからずに終え、19日午前9時、「ぶんご」は辺野古崎沖から撤退した。反対派は民間業者が作業を始めてから現場に出向いたが、抵抗もなく終了した。余談だが、小泉元総理の出た横須賀高校は、五輪金メダル(柔道猪熊功)とノーベル賞(物理学賞小柴昌俊)の輩出校として知られるが、齋藤統合参幕僚長の母校でもある(蛇足だが筆者も)。

さて、果たして読者諸兄姉は本稿をどう読んだろうか。総理官邸以外はみな敵といった四面楚歌の守屋だが、国や沖縄の政治家の言動の裏については、そう直截的には書いていない。が、行間からは、小泉総理の言う「利権」を有する「地元の建築業者」らが政治家に対し、陰に陽に働き掛けをしているように読む側には感じられる。

また「秘録」を読む限り、目下の辺野古での「反対協」の抗議活動も、「辺野古の海」の「藻場と大浦湾」を守る活動であって、小泉総理や守屋が影響の軽減に腐心した「サンゴ礁」とは関係がないように思える。つまり、歴代の沖縄県知事や名護市長が保護したのは、「サンゴ礁」というよりむしろ「地元の建築業者」だったように読める。

ならば「反対協」の抗議は、「Ⅴ字案」の埋め立て面積を更に増やそうとしたかに見える、県知事や名護市長、そして埋め立てで「儲かる」「地元の建築業者」に対しても行われるべきではなかろうかと思うのである。果たして、9月13日に行われる県知事選、沖縄県民はどう民意を示すのだろうか。

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