守屋武昌「『普天間』交渉秘録」で学ぶ「辺野古」④

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06年4月2日、岸本前名護市長の市民葬から帰庁した守屋は、額賀に呼ばれ「君は自分の考えに会う人の意見ばかり聞いていないか? 比嘉哲也さんから、君を普天間問題から外してくれと抗議があったよ」と言われた。名護総合学園理事長の比嘉は、97年まで名護市長を務めていた際、市民投票結果を覆して普天間代替ヘリポートの受け入れ表明し、市長を辞任した人物だった。

4月4日は第6回の協議会の日だったが、朝8時から開かれた自民党沖縄基地対策委員会の席上、町村と石破が「防衛庁の面子で、日米関係や沖縄との関係を壊すべきでない」と発言していたと、出席していた大古防衛局長から報告があった。委員長は大野前長官だったが、山崎が「防衛庁に強行しないよう求める」と結論づけていたという。

メディアでも4月2日の「サンデープロジェクト」で、後に野田民主党内閣で防衛大臣を務めた森本敏が「防衛庁は面子にこだわり過ぎ」と述べ、石破も「名護は受け入れの苦渋の決断をしたところ。そこが浅瀬案でOKと言っている」と発言した。唯一、下地幹郎が「これは地元の巧妙な誘い水、応じたらまた普天間移転は出来なくなる」と述べていた。

午後7時から始まった第6回協議会は、末松助役が「浅瀬案のバリエーションでなければ、名護市は呑めない」と最初から喧嘩腰で述べ、守屋が「L字案」の騒音面の配慮を説明している最中にも、「そんなの駄目だ」「話になりませんよ」と言うのを額賀が制し、島袋に顔を向けてこう述べた。

お互い大臣の立場、市長の立場がある。オール・オア・ナッシングの考え方ではまとまらない。こちらは政治家として政府案を大きく変える案を考えているだから、市長さんも譲るべきところは譲らないと。図面はアメリカと今、調整中なので、次の機会に渡します。

守屋は、「政府案を大きく変える」との発言に耳を疑ったが、それでこの場は収まった。午後9時半を過ぎていたが、名護市側が伝える前にと守屋は額賀と一緒に、上京していた北部首長会の儀武金武町長と会った。守屋は額賀にも向けて、豊原上空を避けるため100m海側に移す程度の修正はやむを得ないかもしれないとの主旨を述べた。

すると儀武は「国の考えている案はこれではありませんか」と言いつつ、折り畳んだ紙をテーブルに広げた。それは正しく渡邊課長の引いた「X字案」と同じもので、設計士の資格を持つ儀武が自ら作図したという。額賀は不快感を示し、「こんなところで止めなさいよ」と儀武を制したが、渡邊課長にそれらの作成を命じたのは額賀だった。

4月7日の第7回目の協議で名護市側から「V字案」が示されたのだが、その経緯を守屋がメモしている。

末松:滑走路の両端の延長が名護市の区域にかかっているから駄目である。
守屋:2本の滑走路を使い分ける(※X字案)から、住宅の上は飛ばないようになっている
末松:次官は米軍の飛行の実態を知らないから、そんな素っ頓狂なことをいえるんだ。米軍が飛行コースどおりに飛ばないことは地元では皆経験で知っている。
守屋:米軍が信用できないというならどうしたいのか。
末松:浅瀬案のバリエーションで300m沖合に滑走路を出して欲しい。
守屋:(海の自然環境を壊す案で、反対派妨害で実現不可能との主旨を述べる)
末松:市長、これでは話にならない。協議はこれまでです。帰らせてもらう。
額賀:末松さん、落ち着きどころを言ってみてよ。
末松:どうしてもというなら200m下げる案でもいいが、宜野座村の上に滑走路の延長戦がかかる。その説得は国がやって欲しい。
守屋:宜野座村が呑まない。だから双方の立場が生きるように滑走路を1本増やし、Ⅹ字に交差させて住宅上空を避ける案を考えた。
末松:市長、事務方で考える時間が必要だから休憩をとってください。

300m沖合に出す案は既に消えた「名護ライト案」に近づけることを意味する。名護市側はまたそこに戻ろうとするのである。しかも「米軍は飛行コース通り飛ばない」としながら、飛行機の速度では意味のない「200m、300mの変更」や「宜野座村の説得は国が」と口にする。が、第4回協議で「10度振る案」を否定した理由は「宜野座の町中を通る」からだったはずだ。

そして30分の休憩後に名護市側が出してきたのが「V字案」だった。守屋は即座に「これでは駄目です」言った。この案だと辺野古崎沖の東南に位置する平島と長島の二つの無人島により接近し、浅瀬の埋め立て面積も「L字案」より45ha(東京ドーム9個分)増えることになるからだ。

これに末松から「折角歩み寄ったんだから、事務方同士で検討させてくださいよ」と願い出ると、額賀は了承した。事務方の作業で末松が、豊原地区の無人小屋に「ギリギリかかっていない格好ならいい」と言い、渡邊がそれに沿って作図して、後に名護市の「バリエーション議論」の根拠となる「V字案」が完成し、双方合意となった。

斯様に紆余曲折を経て06年5月1日にワシントンで開かれた「2+2」では、「再編実施のためのロードマップ」の取り交わしと共に、普天間飛行場代替施設についても改めてこう記された。

辺野古岬とこれに隣接する大浦湾と辺野古湾の水域を結ぶ形で設置し、V字型に配置される日本の滑走路はそれぞれ1600mの長さを有し、二つの100mのオーバーランを有する。各滑走路の在る部分の施設の長さは、護岸を除いて1800mとなる。この施設は合意された運用上の能力を確保すると共に、安全性、騒音および環境への影響という問題に対処するものとする。

参考までに「秘録」巻末の表から「名護ライト」「L字」「X字」「V字」各案の主な要素を比較すると下表の様になる。

注)藻場はジュゴンやウミガメの餌場や海洋生物の産卵・育成の場とされる
注)「名護ライト案」はシュワブ基地外の海を埋め立てるのでサンゴ礁と藻場に影響する
注)「L字案」「X字案」「V字案」は大浦湾を埋め立てるため、サンゴ礁への影響はない
注)「V字案」は「X字案」より埋め立て面積が25ha広い分、藻場の影響が大きい

こうしてみると、「V字案」にした結果、「X字案」より藻場の埋め立て面積が25ha広くなり、守屋の記述を借りればその分「地元の建築業者が儲かる一方、環境派の反対を受けて建設が難しくなる」。また「V字案」は海上部分を含めてキャンプ・シュワブ域に収まるので、反対派や左派野党のいう「新基地」には当たらない様である。

だがその後も「V字案」がすんなり進んだ訳ではなかった。5月の「2+2」以降、総理大臣は06年9月26日から安倍晋三(※~07年9月・14年12月~20年9月)に、同じ日に防衛庁長官は久間章生に、縄県知事も06年12月10日から「V字案には賛成出来ない」と公約し、当選した仲井真弘多(※~12年12月)に代わっていた。

07年1月4日にその久間の「普天間の滑走路は一本でいい」との発言が報道され、別の日にも久間は「滑走路を100m、海に寄せる。それからV字をハの字に代える」とも述べた。が、守屋は「それをやるならよほど県の協力が必要です」と伝えていた。これ以降、沖縄側は修正案を公然と口にし始めた。

1月7日には下地幹郎が電話でこう伝えてきた。

国場組の国場(幸一郎)元会長が訪ねてきた。自分のことを仲井真知事の使者と言っていた。仲井真知事は「二月の県議会でV字案の受け入れを表明する。受け入れ条件は那覇空港の滑走路新設、モノレールの北部地域までの延伸、高規格道路、それからカジノである」と。

国場組について守屋は、「沖縄最大のゼネコン」で「南部地域の国場組は北部振興には関係ない」がこの「提案通りになれば・・技術レベルの高い国場組が受け持つ事業が多いことになる」と記している。仲井真とは守屋も知事選後に表敬訪問に上京した際、久間と共に会っていた。仲井真はこう述べた。

私は普天間飛行場の危険性の除去を最も重視しています。速やかに沖縄県は変わったという印象を県民に与えたい。V字案は事務方の説明で500m海側に出せると思っていましたが、防衛庁の説明を聞いて難しいのが判りました。またアセスの手続きを国が急ぐ理由も判った。

(⑤につづく)

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