私の高校受験の際、確か中学3年の1学期の成績が内申書に反映されたのですが、その成績はオール5。それまではいわゆる受験科目はそれなりの成績でしたが、技術とか音楽は嫌いで冴えない成績でした。担任が自分のクラスから有名校進学者を出したいこともあり、各担当教諭に無理押しをしたのでしょう。その成績をみた私もドン引きでしたが、これはまさに初期のころの「成績インフレ」であったと思います。

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大学では有名人気ゼミに入ったのですが、ここでも教授が口を酸っぱくしていったのはゼミは欠席するな、課題は提出せよ、そして卒論も書け、でした。このゼミは経営学部管轄で貿易に特化したゼミでしたので商社、金融志望の学生が集まる優秀なゼミで、毎週欠席者はおらず、熱い討論や議論を繰り返していました。教授のボトムラインはとにかく真面目に勤め上げれば落第にはしない、でした。レベルの高いゼミにしてはお慈悲のある計らいだったと思います。
有名校や進学校、就職なら著名な企業にどれだけ入ったかという実績がその学校や大学の評価につながるために学校全体で甘めの成績、落第生はなるべく出さないといった配慮はあります。体育会系の学生は試験の際に「私は体育会系〇〇部で頑張っています」と書けば及第したという話もごろごろありました。
これらが昔の「成績インフレ」だったのですが、日経によると近年アメリカではAIによる成績インフレが生じているとのこと。2018年から25年の成績50万件を分析したところ、最上位であるA評価がチャットGPTが登場した22年以降に30%も増えていると報じています。
これは極めて重要な意味合いを提示しているように感じます。私がパッと思ったのは
- 大学の成績はその個人の学業のレベルを正確に表せなくなったのか?
- 学生は何のために大学に行き、何のために良い成績を取ろうとするか?
- 近年、アメリカ、カナダが政府方針で留学生を激減させ、特に中国系学生が減る中で大学経営が成り立たなくなるため、やむを得ずローカル学生の入学のハードルを下げて受け入れているが、その体裁を保つための大学側もグルになった演出なのか?
一学生の学業の成績でその人の価値を論じることはできません。ただ一方で、その学生が自らその大学に入学した以上、その目的意識を明白に維持しながら努力を重ね、卒業するのが本来あるべき姿だと思うのです。それをAIという便利なものに頼ることで作文も論文も極めて同質で画一的ながらも間違いもないものを提出されれば担当教授もNOとは言えない、ということであります。
ところで私は数か月前、面白半分で簡易版のIQの試験を受けてみました。小学校の時やったのですが、その時、成績を教えてもらっていないので自分の知能はどれぐらいなのか、客観的な数値を見てみたかったのです。これをやって思ったのはIQ試験はその人の潜在的能力を測るには優れた手段の一つかもしれないと感じたのです。
IQ試験は一定時間の強い集中力、粘りや根気、考える力を出し切る必要があります。この評定をふつうは小学生のころにやりますが、これは目的が違うのです。クラスでの教育プログラムの中で一定数の枠外能力の学童を見つけ、その生徒たちに適正な指導をすることが目的です。一方、大人になって自分でIQ試験をするのは真の意味での個人能力の測定になります。
例えば私の知り合いの娘さんは小学校中学年ですが、IQ上はギフテッドの範疇で学校の勉強は瞬く間に理解し、ばかばかしいので学校には週3度ぐらいしか行かないそうです。そういう学童はクラスの8-9割の人たちとは別枠で育てるフレキシビリティがある時代になったのかもしれません。
最後に、逆フリン効果(Reverse Flynn Effect)が学術界では注目されています。20世紀はフリン効果といって人類のIQが全体的に上昇したのですが、80年代ごろを境に低下現象がみられるのです。IQ上昇は教育プログラム、栄養、生活環境の改善などが底上げの理由とされますが、逆フリン効果では語彙力と数理的推論が低下しています。皆さまお気づきの通り読書量の減少とコンピュータに頼る時代が引き起こした全体的なIQ低下だとみています。
もちろん、これに反論もあります。IQの測定方法は古典的ではないか、と。事実、現代人が昔に比べて改善した能力は①空間認識力(3Dなど)②視覚情報処理能力 ③試行錯誤して解を見つける能力 ④抽象的記号の理解力(アイコンや絵文字など)があり、確かにこの辺りはうなずけます。
とすれば人間の教育は古典的手法から現代的な尺度に変えるべきなのか、こればかりはそう簡単に答えは出そうになさそうですね。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年5月24日の記事より転載させていただきました。







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