
女性初のプロ誕生か。問われるべきは「フェミニズム」ではない
女流棋士がプロ棋士になる道が開けるかもしれない、というニュースがある。日本将棋連盟が、棋士編入試験の受験資格を通算3回得た者に四段昇段の権利を与える、という改正案を発表した。福間香奈女流五冠はすでに2回得ており、あと1回で対象になる。
基本的に、これは喜ばしい。だが、これは「女性が棋士になる」ということを祝うフェミニズムの話ではない。喜ばしいのは、一時的とはいえ現役のプロ棋士相手に勝率6割5分を超える者が、正式にプロと認められる点にある。連盟自身、「3回得れば棋士と同等の力量」と認めようとしている。ならば問われるのは、プロと互角に渡り合える者が、これまでなぜプロではなかったのか、ということだ。
それは、あまりにも狭い参入障壁のせいだ。入口を狭くすれば、入った瞬間の平均的な水準は高くなる。しかし、それはプロ集団全体の現在の質を保証しない。
外部により強い者——女流棋士や強豪アマ——が現れても参入できないなら、資格制度は質の担保ではなく、既存資格者の保護に変わる。年間4人しかプロ棋士になれず、しかも年齢制限がある。この参入基準は、本当に適切なのか。
「産児制限」と「互助会」——資格は「いま強いこと」を保証しない
実は、当の棋士自身が早くから疑問を呈していた。行方尚史棋士は『不屈の棋士』のインタビューで、将棋界は「産児制限」を敷いてプロになれる人間を厳しく限定し、その代わりプロになれば一定の生活を保障する「互助会的な制度」ではないかと語っている。そのうえで「プロ棋士って本当に強いの?」と問う。10年前、女流のプロ参入が話題になるはるか前の発言だ。参入障壁の高さと、その後の棋士のあり方——その両方に、内部から疑問が向けられていた。
つまり、プロ資格は「いま強いこと」を保証しない。それが証明するのは、入段した時点での強さにすぎないからだ。だからこそ、女流棋士の中でも頂点に立つ者が、一定期間に限れば、プロ公式戦で編入資格を得るほどの勝率を出すことが起こりうる。今回の連盟の言葉は、裏を返せば、資格と現在の実力が乖離しうると公式に認めたに等しい。
では、なぜこれまで女性のプロ棋士はゼロだったのか。実力の壁だけとはいえない。最強の女性棋士・西山朋佳は、奨励会三段リーグの昇段枠(上位2名)に、あと一歩で届かなかっただけだ。間口がもう少し広ければ、彼女はプロになっていた。では、もう少し広げることは不当だろうか。
囲碁の「女性枠」が浮き彫りにした過剰な参入障壁
将棋に近い知的競技である囲碁を見れば、これは傍証で裏づけられる。囲碁には以前から女性のプロ棋士がいる。囲碁は新規採用の枠が将棋より広く、正規枠だけで見ても多い。ゲームの性質の差もあろうが、将棋にだけ女性が皆無という事実は、参入障壁の高さを抜きには説明がつかない。実際、将棋の間口がもう少し広ければ、西山氏はプロになっていただろう。
囲碁には、女性特別枠もある。これは正規ルートとは少し異なる、いわば女性優遇枠だ。こうした枠ではプロになっても実力を発揮できまい、と思うかもしれない。だが、そうではない。この枠で入った女性棋士が、若手棋戦を含む男女混合棋戦で優勝し、一般棋戦でも男性棋士を破って上位に進出している。
正規ルートではプロになれなかったはずの者が、これほど強い棋士となりうるのだ。これは、参入障壁が高すぎて、本来通るべき実力者を取りこぼしていたことの証明にほかならない。
一方で、女性枠は男女平等だろうか。いや、そうではない。囲碁の女性枠はもちろん、今回の将棋の女流編入にも、同じ非対称がある。女流棋士という、アマチュアでありながらプロと対戦できる立場があるからこそ、編入対象へのチャンスは大きくなっている。挑戦の入口そのものが、女性に傾いていると言える。これ自体はフェアではない(実際に編入を突破したのは、今のところ男性のアマばかりだが)。
医師免許にも通底する病理と、医学部入試の「女性差別」
実はこれらは、免許制に共通して付随する問題である。医師免許は、その最たるものだ。医学部入試という最も強い参入障壁があり、いったん免許を取れば、何歳でも保持できる。だが問題は、更新制の有無だけではない。医師免許が医業の独占と結びつき、外部からの参入や代替が法的に遮断されている点にこそある。そして将棋と同じく、女性の問題もある。2018年には、複数の医大が女性受験生の点数を密かに減じていたことが発覚した。
では、女性は医師として質が低いのか。逆である。女性医師が担当した患者のほうが、死亡率が低いというデータすらある(女性患者で8.15%対8.38%)。観察研究ゆえ因果は断定できず、差も小さい。だが少なくとも、質の低さを理由に女性を排除するのは、明らかに間違いだ。
それと同時に、女性優遇も問題である。昨今、大学の女子枠の是非が議論されている。歴史的には、女性が医学教育から排除された時代に女性医師を育てる役割を果たした女子医科大学のような存在もある。だが、現代において職能資格への入口を性別で分けることには、やはり慎重であるべきだ。
より明快なのは、公的なパイロット養成機関・航空大学校が、筆記試験を免除する女性枠の新設を構想した例である。「命を預ける仕事に優遇枠はいらない」という批判を浴び、現在は先送りとなっているが、議論の俎上に乗ったことは事実だ。免許や資格における性別の歪みは、こうして両方向に現れる。
私的資格と国家資格の決定的な違い
ただ、将棋や囲碁のような私的な資格は、医師免許のような国家資格よりは、問題が浅い。対抗組織を作る自由があり、免許がなくとも違法ではなく、ファンが離れれば制度も変わる。過剰な規制は、改善されやすい。だが医師免許のような国家資格はそうはいかない。無免許の医業は犯罪であり、迂回も対抗もできない。市場では直せないのだ。
だからこそ、人命のかかる領域でこそ、参入を絞って質を守るのではなく、情報の開示と賠償責任、そして競争によって質を支えるべきである。
処方箋——特例の「枠」ではなく、誰もが挑める「間口」を
そもそも、免許や、実力で競う頭脳スポーツに、性別の枠は本来不要だ。根本的な解決は、ただ一つ。広く門戸を開いた、真の実力主義である。参入の障壁を下げ、自由競争のなかで実力を常に問う。女性を差別することもなく、優遇することもなく。
問題は、弱い者を国家や団体が排除しないことではない。強い者が入れないことだ。
それが、将棋から医師免許まで通底する「参入規制」の病理である。
編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年5月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。







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