国民皆保険は誰の金庫か:社会化された損失、私有化された利益(前編)

Alena Butusava/iStock

前々稿前稿で示したことを整理する。日本の医療保険には、低価値医療を排除する出口がない。費用対効果評価は「払わない」ためではなく「払うが値下げする」ための制度として運用されている。条件付き期限付承認のもとで結論が出た2例は、いずれも失敗確定後の事後処理として薬価削除されたが、失敗の財政負担は誰も補填せず、企業は陳謝のみで終わった。

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Nature誌の10年前の警告:「医薬品早期承認制度」の結果は打率ゼロ
前稿では、日本の医療保険には低価値医療を排除する「出口」がないことを示した。レケンビのように通常承認された薬は、最大15%の値下げで保険に残り続ける。費用対効果評価は「払わない」ための制度ではなく「払うが値下げする」ための制度である。ただし...

ここで、避けては通れない問いがある。

誰がこの構造を維持しているのか。誰の利益が、出口の不在を支えているのか。

答えは単純である。失敗のコストを引き受けるのは保険料納付者と税負担者である。そして、成功した場合の利益を受け取るのは、製薬企業の株主とベンチャー投資家である。失敗のリスクは公的部門に外部化され、成功のリターンは民間金融に内部化されている。

これは、医療政策ではない。金融資本主義による国民皆保険の収奪である。

5千万円のうち、患者が払うのは月8万円

具体的な数字から始める。

アムシェプリの薬価は5,530万6,737円である。アクーゴは7,271万6,528円。エレビジスは3億497万2,042円。

これらを使った場合、患者本人が払うのはいくらか。

3割負担を単純計算すれば、アムシェプリで約1,659万円、アクーゴで2,181万円、エレビジスで9,149万円である。だが、実際には患者が払う額は極めて少ない。高額療養費制度が適用されるからだ。

70歳未満の標準的な所得層(区分ウ、年収約370万〜770万円)の場合、月の自己負担上限は約80,100円である。住民税非課税世帯であれば、上限は月35,400円まで下がる。1〜2ヶ月の治療期間で完結する薬であれば、患者の実質負担は10万〜20万円程度である。

つまり、5,530万円のうち、患者本人が払うのは20万円弱である。残り5,510万円は、患者ではなく公的医療保険が払う。

国民医療費の財源構成は明確である。2023年度の48兆円のうち、社会保険料が50.2%、公費(税)が37.5%、患者負担等が12.3%である。患者負担12.3%のうち、高額療養費制度で大半が相殺されるため、超高額医療における実質的な患者負担はさらに小さい。

つまり、5,530万円のアムシェプリ1投与あたり、おおむね2,770万円を保険料納付者が、2,070万円を税負担者が引き受けている。患者個人は数十万円である。

これが「医療保険」と呼ばれているものの中身である。

サンバイオ株価は、何によって動いているか

ここで、東証グロース市場に上場している1社のバイオベンチャーを見る。サンバイオ株式会社(証券コード4592)である。

サンバイオ[4592]の株価・株主優待など。
【再生細胞薬の開発】脳神経系疾患の治療薬として期待。 この企業の最新ニュース、業績、株価・株主優待、配当利回りをワンストップで提供。

サンバイオは、慢性期外傷性脳損傷を対象とする再生医療等製品アクーゴ脳内移植用注を主力とするバイオベンチャーである。同社の収益はほぼアクーゴに依存している。

同社の株価は、アクーゴの承認段階ごとに激しく変動してきた。治験結果の発表で急落することを「サンバイオショック」と呼び、固有名詞として市場で定着している。2024年7月の条件及び期限付承認取得、2025年12月の出荷制限解除といった節目で、株価は連動して大きく動いた。

つまり、サンバイオ株主のリターンは、アクーゴが条件付き期限付承認の枠組みのもとで、どの段階を通過するかに依存している。

ここで構造が見える。

サンバイオの株価は、将来の保険給付を期待値として織り込んで形成されている。アクーゴが何例使われ、いくらの売上を立てるかという見通しが、株価を構成している。その売上の99%以上は、保険料と税である。

もちろん法的には、株主が公的医療保険の保険給付に対する権利を持つわけではない。しかし経済的には、将来の保険償還売上への期待が株価に織り込まれる以上、サンバイオ株を買うことは、公的医療保険のキャッシュフローへの期待を買うことと等価的である。

そして、もしアクーゴが7年後に本承認に至らず、ハートシートやコラテジェンと同じ道をたどった場合、薬価は削除される。だがその時点で、初期投資家のうちある程度は既にExitしているか、もしくはサンバイオは別の収益源を獲得しているか、いずれかである。失敗のコストは、それまでに7,271万円 × 投与例数を保険料で払い続けた納付者と税負担者が引き受ける。

これは、ベンチャーキャピタル(VC)の機能を、国民皆保険が代行している構造である。

VCはリスクを社会保険につけ回している

通常のVC投資の構造はこうである。VCはリスクを承知でスタートアップに投資する。多くは失敗する。成功した一握りのリターンが、失敗した投資のロスを補い、ファンド全体としてはプラスのリターンを生む。これがVCモデルである。

リスクとリターンは、同じ投資家が引き受ける。それが資本主義の基本である。

ところが、条件付き期限付承認下のバイオベンチャー投資では、構造が変質する。

VCがアーリーステージで投資する。スタートアップは治験を行う。治験はAMED(日本医療研究開発機構)の補助金で部分的に支えられる。AMEDの創薬ベンチャーエコシステム強化事業では、1課題あたり総額100億円までの補助金が出る。この時点で、開発費の一部は既に税で肩代わりされている。

次に、条件及び期限付承認が下りる。少数例の治験データで承認される。そして保険適用されると同時に、売上が発生し始める。

ここからが決定的である。スタートアップは、本来であれば自社で資金を投じて第III相試験を行い、有効性を「確認」した上で本承認を取得し、その後に売上を立てる。だが条件及び期限付承認のもとでは、有効性が「推定」段階で承認され、その段階から売上が立つ。Phase III相当の検証は市販後に行われ、その検証期間中、企業は売上を得続ける。

投資家のExitタイミングは、この売上立ち上げの局面である。IPOで一般株主に売却するか、大手製薬企業に買収されるか、いずれにせよ初期投資家は、薬の長期的成否を見届ける前にリターンを確定できる。

そして7年後、もし本承認に至らなかった場合、企業は陳謝し、薬価は削除される。初期投資家はもうそこにいない。失敗のコストは、市販後の数年〜7年間にわたって保険料と税で売上を支えた納付者と、侵襲的な治療を受けた患者が引き受ける。

これが、VCのリスクを社会保険につけ回す構造である。VCは「リスクを承知でリターンを狙う」のではない。リスクを社会保険に外部化したうえで、リターンだけを内部化している。

ここで重要な留保がある。これは特定のVCの行為としての告発ではない。むしろ、制度が、VCにとってリスクを社会保険に外部化することを合理的選択にしている、という意味である。VCは制度設計の枠内で経済合理的に振る舞っているにすぎない。問題は、その合理的選択を許容する制度設計そのものにある。

リスクとリターンが分離されている。この時点で、それはもはやVC投資ではない。Nature誌が10年前に警告し、米国の医療政策学術誌が2017年に指摘したとおり、これは「ペイヤーが治療継続評価の費用を負担する」構造である。患者と保険料納付者が、Phase IIIの肩代わりをさせられている。

制度化された利益相反

そして、この構造を承認・維持する公的主体に、明確な利益相反がある。

まず、薬事審議会の利益相反規程を見る。委員が個別企業からの寄附金や契約金等を年間50万円を超えて受け取っている場合、議決に参加できない。年間500万円を超える場合、審議そのものから外れる。

この規程には三つの問題がある。

第一に、自己申告制である。日本消化器病学会のCOI規程も明記しているように、「利益相反の開示はあくまで研究者の自己申告に基づくもの」である。検証の仕組みは弱い。

第二に、規程の対象範囲が狭い。日本では委員個人への直接の寄附・契約金等が中心であり、自己申告制を採る。一方、米国FDA諮問委員会では、連邦法(18 USC §208)により、委員本人の利益だけでなく所属機関経由の間接的な財務的利益も対象となる。委員が所属する大学が当該企業から研究費を受けている場合も、原則として参加不可となる。

さらに、参加を例外的に認める場合(waiver)には、その理由と利益の内容を会議15日前までに公開する義務がある。違反すれば連邦法上の刑事罰の対象となる。日本では大学経由で製薬企業から多額の研究費が流れていても、委員個人が直接受け取る寄附・契約金等が年50万円以下であれば、議決に参加できる。

第三に、株式保有の場合、規程の網が事実上機能しない。未公開株式は1株でも保有していれば申告対象となり、当該委員はその薬の議決から外れる。しかし議決から外れても、審議会は他の委員によって承認の可否を決め、承認されれば株価は上昇する。委員はその上昇分の利益を受け取る。つまり議決棄権は、利益相反の事後発生を防いでいない。手放させない限り、構造的な利益相反は残る。

次に、京都大学の構造を見る。アムシェプリの承認過程で、京都大学は次の複数の役割を同時に担っている。

第一に、医師主導治験の実施機関である。京大医学部附属病院がパーキンソン病患者にiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞を移植し、その治験データが承認の臨床的根拠の中核となった。

第二に、学術権威としての承認の正当性を裏付ける役割である。京大iPS細胞研究所の高橋淳所長は、アムシェプリの承認会見に同席し、「日本式のやり方が問われる立場として重い責任を感じている」と発言した。承認の象徴的後押しである。

第三に、国費の受益者である。京大iPS細胞研究所には、2012年の山中伸弥ノーベル賞以降、政府が10年間で1,100億円を投じることを決めた。

第四に、iPS細胞関連の知的財産を保有する研究機関である。京大の知財ポリシーおよびiPS細胞研究財団(CiRA Foundation)を通じた知財管理のもとで、iPS細胞技術は国内外の製薬企業や研究機関にライセンスされている。アムシェプリ個別の契約条件は公表されていないため、京大が具体的にいくら受け取るかは分からない。しかし制度上、京大関連の知財・研究成果が産業化に接続される構造にあることは確かである。

治験を行う者が、承認を権威付けし、国費を受け、知財を保有する。これらの役割が同じ機関に集中している。これ自体は違法ではない。しかし、研究機関としての公益性と産業化支援の関係について、第三者から見た利益相反管理の透明性が問われる構造であることは指摘できる。

そして厚生労働省OBの天下りについては、2009年の長妻厚労相時代の調査で、厚労省・国立病院機構出身者29人が国内主要製薬15社に再就職していたことが公表されている。ファイザーとグラクソ・スミスクラインに各4人が再就職していた。長妻厚労相は「製薬企業への再就職の自粛」を指示したが、これは法的強制力のない通達である。これを直ちに個別承認の不正と結びつけることはできない。だが、規制当局と被規制産業の距離に対する国民の疑念を生む背景にはなる。

2021年には三重大学麻酔科で、小野薬品から正規ルートで支払われていた奨学寄附金が、オノアクトの処方誘導を目的とするものとして贈収賄事件と認定された。これは表に出てきた一例である。

これは事実上の背任である

製薬企業の株式を保有しうる薬事審議会委員が、自己申告で年間50万円未満の利害関係であれば、その薬の承認議決に参加できる。京都大学は治験の実施者、承認の権威付け、国費の受益者、知財保有者という複数の役割を同時に担う。厚労省OBは、退職後に承認に関わった企業へ天下りする。承認後に株価が上昇すれば、関係者の保有株は値上がりする。

これらの個別事実は、現行の利益相反規程の枠内では、それぞれが直接的な違法ではない。50万円未満の寄附は申告不要であり、京都大学の役割は制度上禁止されていない。天下りは「自粛要請」止まりであり、株式保有は申告すれば足りる。

刑法上の背任罪の構成要件は、他人の事務を処理する者が、自己もしくは第三者の利益を図る目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えることである。直接的な背任の立証は、日本では極めて難しい。本稿で論じる事象についても、刑法上の背任罪としての立証は困難である。

だが、構造を見れば事実は明白である。

公的医療保険の支払い能力を判断する立場にある主体が、その判断の対象となる企業から金銭・地位・名誉・将来の処遇を受けている。承認後に株価や売上が伸びれば、その関係者は直接・間接に利益を得る。失敗のコストは、判断に何の関与もできなかった保険料納付者と税負担者が引き受ける。

ここで「背任」という強い言葉を用いるのは、特定の個人や組織を犯罪として告発するためではない。前述のとおり、刑法上の背任罪の構成要件には該当しない。それでもなお、この構造を表現するためには、この言葉が最も正確だからである。

これは事実上の背任である。本来であれば、これは制度化された背任構造と呼ぶべきものである。法的に背任に問えない理由は、それが背任でないからではなく、現行制度が個別違法を問う枠組みでは構造的利益相反を捕捉できない設計になっているからである。

もう少し穏当な言い方をすれば、こうなる。保険料納付者の利益を守るべき主体が、誰なのか不明である。誰も受託者責任を負っていない。誰も保険料納付者の代理人として、構造を問い直す立場にいない。これは個人の責任の問題ではなく、制度設計そのものが問われる問題である。

個別の主体は、現行法の枠内で適法に振る舞っている。だがその集合的帰結として、保険料納付者の利益が、関係者の利益に転換されている。この事態を「事実上の背任」と呼ばないのであれば、何と呼ぶべきなのか。

そして、その制度を作ったのは、その制度から利益を得る主体たちと近接した行政・政治である。

(次回に続く)

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