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(前回:麻疹患者を「バイオテロ犯」にする社会:感染症公表は誰を守るのか)
麻疹患者の行動履歴公表をめぐる違和感は、単なる一つの感染症、一つのイベントの問題ではない。背後には、感染症を分類し、行政権限を発動する日本の制度そのものの古さがある。
感染症法では、感染症を一類から五類、新型インフルエンザ等感染症、指定感染症、新感染症などに分類する。感染力や罹患した場合の重篤性などに応じて、入院勧告、就業制限、届出、検疫、積極的疫学調査などを使い分ける仕組みである。この分類制度自体は必要だ。エボラ、結核、コレラ、麻疹、インフルエンザを同じ制度で扱うわけにはいかない。

しかし現行制度は、病原体リスクに偏りすぎている。感染力、重症化率、死亡率、治療法、ワクチンの有無、医療負荷。これらはもちろん重要である。だが、感染症対策にはもう一つのリスクがある。対策そのものが社会に与えるリスクである。
行動制限、営業制限、学校閉鎖、面会禁止、行動履歴公表、感染者差別、自殺リスク、教育機会の喪失、孤立、家族分断。コロナ禍で私たちは、病原体のリスクだけでなく、対策のリスクを経験した。にもかかわらず、制度はこの副作用を十分に扱っていない。
コロナで露呈した最大の問題は、初期対応が強かったことではない。未知の感染症が出現した初期に、行政が強めに対応すること自体は理解できる。問題は、データが集まり、リスク構造が変わり、免疫が形成され、治療法が整っても、対策を弱める制度的回路が弱かったことである。
面会禁止は長期化した。学校は閉鎖された。飲食店は狙い撃ちされた。感染者の行動履歴は詮索された。専門家や医師の一部は、従わない者を非合理、反科学、迷惑な存在として扱った。感染対策は生活を守る手段ではなく、生活を従属させる目的になった。
指定感染症制度も、未知の感染症に暫定対応する仕組みとしては必要である。しかし、いったん指定されると、政治、行政、専門家、メディアが「危険な病気」という物語を形成し、解除や縮小が遅れる。危険性が変化しても、制度と空気が追いつかない。
本来は、初期は強く対応し、一定期間ごとに行政側が継続の必要性を再立証する仕組みが必要である。感染力、重症度、死亡率、医療負荷、免疫保有率、治療法、社会的損失を総合評価し、立証できなければ自動的に介入を縮小する。いわばサンセット条項と再評価義務である。
現在の制度に足りないのは、病原体分類ではなく介入分類である。「この感染症は何類か」だけでは足りない。本当に問うべきは、「この感染症に対して、どの介入まで許されるのか」である。病名によって社会を動かすのではなく、介入の強さによって行政権限を制御する発想が必要だ。
たとえば、最も軽い段階では、医療機関内対応に限定する。届出、検査、医療機関共有である。次に、家族、医療機関、学校、保育施設、職場など、閉じた集団への限定的接触者対応を置く。ここまでは、感染症対策として理解しやすい。
その次に、限定的公表を置くべきである。個別連絡では代替できず、不特定多数に具体的な行動変容が期待でき、かつ公表による社会的副作用を上回る便益がある場合に限る。場所や日時を出す場合も、情報は最小限でなければならない。
さらに上位には、広域公表、営業制限、学校閉鎖、移動制限などがある。これらは極めて侵襲的な措置であり、期限付き、補償付き、第三者審査付きでなければならない。感染症対策だから何でも許される、という発想は危険である。
情報公開にも副作用評価が必要である。感染症情報は、公開すればするほどよいわけではない。リスク通知にもなるが、差別や私刑の材料にもなる。誰に向けた情報なのか。何の行動変容を期待しているのか。個別連絡では代替できないのか。本人や家族、所属先が特定される可能性はどの程度か。公表後の誹謗中傷への対策はあるのか。これらを制度上のチェック項目にすべきである。
麻疹公表の問題は、この欠陥をよく示している。五類全数把握であることは、医師の届出や保健所対応の根拠にはなる。しかし、イベント名を社会に公表し、SNS上で感染者が「バイオテロ」扱いされることまで正当化しない。制度が病原体だけを見て、対策の社会的副作用を見ていないから、このようなズレが起きる。
そもそも、公衆衛生は感染していない人だけを守るものではない。感染した人も守るものでなければならない。感染者が安心して症状や行動歴を話せない制度は、長期的にはサーベイランスを壊す。人々が隠すようになれば、行政はますます実態を把握できなくなる。
人は感染対策のために生きているのではない。であれば、感染症法もまた、病原体を分類するだけでは足りない。感染対策が人間の生活をどこまで侵してよいのかを分類し、制限し、期限を設けなければならない。
21世紀の感染症制度に必要なのは、より強い公衆衛生権力ではない。必要なのは、強い権力をいつ、どこまで、どの条件で使い、いつ終わらせるのかを定める制度である。感染症法は、病原体を管理する法律である前に、人間の生活を守る法律でなければならない。
【参考】







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