将棋の町・天童を歩く。織田家の面影と朝の温泉街散歩

温泉旅行七不思議 普段入らない朝風呂、温泉宿に行ったときは絶対欠かさない こんにちは、なおです。

今回は山形県天童市にやってきました。山形市の北にある温泉町です。山形県は温泉県。これまで高畠、赤湯、長井、かみのやま、寒河江、銀山、肘折と数々の温泉町に立ち寄ってきましたが天童は初訪問です。

天童には夜到着し、そのまま温泉宿に直行しました。ホテルの名前は「ホテル王将」。天童は将棋の駒の生産日本一の町。将棋を前面に押し出しているこの町らしい名前です。ホテルの温泉はクセもなく、何度でも入りに行きたくなるさっぱりとしたいいお湯でした。

朝、天童駅まで戻りました。駅前にも将棋の駒の碑がでんと構えています。江戸時代、天童は天童織田氏が政治を司る城下町でしたが、下級武士は生活に困窮していました。そこで当時高畠で盛んにおこなわれていた将棋の駒の生産を天童に持ち込み、ここでも生産を始めるようになります。明治以降になっても将棋の駒生産は街の産業として継続して行われ、全国の90%のシェアを誇る将棋の駒の生産地となったのです。

さすが将棋の町天童。駅の1階に天童市将棋資料館があります。

一般的な将棋の駒のほか、あまり見たことがないような将棋もあります。これはかなり駒が多いですね。鳳凰とか麒麟とか初めてみる駒があります。鳳凰、どうやって動くんでしょうかね。空でも飛んでいくんでしょうか。

鳥の将棋。王にあたるのは鵬(おおとり)です。
歩はツバメですかね?

天童市で毎年4月に行われるのが人間将棋。人間を将棋の駒に見立てて、プロの棋士が人を動かしていきます。館内では以前、藤井聡太さんが人間将棋に参加したときの映像が流されていました。

電車まで少し時間があるので町を歩くことにします。町の案内板の上には左馬。「うま」が反対になって「まう」。上昇気流に乗って舞い上がるとされ縁起のいい左馬です。

町を歩いていたら、こんな洋風の建物がありました。ここは天童織田の里歴史館。明治12年に東村山郡役所と建築されたものを、昭和60年に復元したものです。明治時代は洋風の建物がブームとなり、全国のあちこちにできています。山形県内でも山形市の旧山形師範学校や文翔館、鶴岡市の西田川郡役場などがありますね。洋風とは言いっ増すが瓦葺でどこか和のプライドも感じる建物です。

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その近くには建勲神社。かつて天童城のあった愛宕山の麓にあります。建勲神社。結構階段を登った先にあります。

神社は拝殿がひとつあるだけのシンプルなもの。建勲神社といえば京都の船岡山にあるものが有名で、御祭神は織田信長です。

先ほど、将棋の話のときからこの地を治めていた天童織田藩の名が登場していますが、この天童織田藩、実は織田信長の次男、織田信雄(のぶかつ)の子孫にあたるのです。織田信長の死後、織田家は幕府から再興を恐れられており、都から離れた出羽高畠藩・天童藩に改易されました。建勲神社は明治政府になってから織田信長が神格を与えられたことにより建立されたものです。

神社の上からはまだ雪をかぶった朝日連峰を見ることができました。

位牌が安置される仰徳殿。

天童織田藩のゆかりの地にもう一つ立寄ります。こちらの三宝寺は天童織田家の菩提寺となっており、織田信長のほか、代々の藩主の位牌が安置されています。

訪ねる人も少なくひっそりとしていましたが、かつて彼らが藩政を司った天童の今を静かに見守っています。

山形市の北隣にあり、新幹線も停まりアクセスも良好な天童。温泉を楽しみつつ、織田信長の末裔の治めた町をぶらぶら歩いて見るのも楽しいと思います。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年5月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

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