めちゃくちゃ大所高所の視点のタイトルであります。「成熟国 日本のビジョン」。こういう未来像は専門家が考えるもので俺には関係ない、と思う方も多いでしょう。私は逆だと思うのです。1億2千万人の日本人がその歴史や文化、社会、更には日本人としてのプライドを通じて本質的には1億2千万通りのビジョンが生まれるべきでそれをある程度まとめたものが日本のビジョンとして打ち出されるものだと考えています。

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つまり学者先生が議論して決めるものではないのです。私も学者や研究者とのお付き合いはあるわけですが、彼らはある特定の事象に対する深掘りが出来る専門家であります。ただ、以前にもご紹介したように専門家集団というのは木を見て森が見えない集団でもあり、自分の木が美しければ森も美しいと言いかねないぐらいの見地の方もいらっしゃるわけです。それゆえに近年は「学際」という発想が学究界でも取り入れられ、専門の周辺分野との関連性を検証し、コアばかりではなく、よりブロードな立ち位置からコアを検証するアプローチに変わってきています。
故に近年の学者の発想は少しはこなれてきているかもしれませんが、そもそも学術界というのは対立した考えをぶつけ合いながら切磋琢磨し、真の解を求めて世界です。そこには様々なエレメントをどれだけ取り込めるかが勝負だとも言えます。
先日も関西のある大学の学長が理系の人ほど文系の知識が必要だ、と述べていました。逆もしかりです。日本のような成熟国の強みとはバランスよい社会が形成されたことで「一点豪華主義」から脱却し、個々の価値観が尊重され、誰もが心地よく過ごせる社会の形成ではないかと考えています。
一点豪華主義というのは例えば新興国では経済的豊かさを一義とするわけです。その構図は、働く→稼ぐ→消費増→物的豊かさの実現であります。これを繰り返すとどうなるか、と言えば日本のバブル時代のようになるか、「中進国の罠」に引っかかるかのどちらかであります。
中国がまさに経済的豊かさを追求し、WTO加盟で世界の工場となったことが中国をゆがめてしまったとみています。「お金が全てさ」の考え方です。中国には発想や行動の自由には制約があるのでせめて金持ちになって人がうらやむ生活をするぐらいしか差別化出来ないのです。中国共産党の最大の弱点は人の教育、成熟化させる能力が欠如している点であります。なぜなら人が成熟化して賢くなったら共産党は困るから頭を抑えざるを得ないですよね。
その点、日本はバブル崩壊後、「人の物まね」を止め、個性を重視する社会が生まれました。音楽ひとつとってもテレビに出てくる歌手オンリーのエンタメからインディーズがあって今では個人の好みがばらけすぎてヒットチャートの意味が無くなりつつあります。ファッションもそう。デザイナーズブランドが好きな人はそれでよし。手作りの小物に価値を見出し、個性的な格好をするのも社会は許容しています。
これは1億2千万人の人が自分で自分の価値観を考え、実現に向けて追及できる社会が着実に進んでいるということです。今までは会社や仲間内の影響を受けやすかったものがその強制力からの解放により自分で自分の人生を作り上げることがよりやりやすくなったとも言えるのです。
よって老後の生活についても公的年金に頼るばかりではなく、新NISAを通じた自分で自分の将来を守ることもできるし、老後の生活も必ずしも老人ホームに入ることが既定路線ではなくなったのです。
ではこの美しい社会が築かれつつある日本を世界にどう伝播させるか、であります。私は海外に住む中で日本人の幸福感をより広く海外に広め、ギスギスする社会に一石を投じてみたいのです。
私の住むカナダでも金銭的成功者が上に立つ傾向は強く出ます。一方で政治の主導者は民意からサポートを得るため、ごく普通の人だけど情熱と広い心を持った人が主導する傾向が強いです。とすればすでにそこには政治と経済で噛み合わない社会が生まれているのです。この歯車のずれを修正できるか、そこに日本的思想を注ぎ込むことが出来るか、ではないかと考えています。
成熟国日本のビジョンとは持てる能力に基づき個々の価値観を社会において調和を保ちながらも誰からも邪魔されることなく全うし、究極の人間力を引き出せる社会ではないかと考えています。そしてそれを自分たちの社会に留まらず、世界に影響できるような伝道するチカラを備えることが日本の使命であると考えています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年6月8日の記事より転載させていただきました。







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