
海外在住ながら、一日本人として、浅学非才を承知の上で、意見を述べたい。
我々の憲法は、その第1章・第1条に天皇の地位を定める。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である、とする。なぜ国民主権をうたう憲法が、天皇から始まるのか。それは日本国民が、国民主権——すなわち我々の民主主義——を維持・発展させる上において、天皇のご存在を必要不可欠と考えるからにほかならない。であればこそ、陛下の地位は「主権の存する日本国民の総意」に基づいている。
主権は統治者としての一体の国民にある。個々の「有権者」にあるのではない。そしてこの「国民」の形成こそが、いずれの時代のいずれの国家においても、最大の難事である。有権者は自己の、家族の、職場の、そして地域等々の私的利益を優先する。国民とは、個々の有権者がその利己心を超え、自国のすべての人々を同胞と思い、苦楽を分かち合う仲間として認め合い、互いにその双肩に国家を担う覚悟を持ったとき、そこに初めて現れる。これが民主主義の大前提をなす。
日本国民の統合、とは、国民をして国民たらしむ、ことだ。そして「象徴」とは、その統合を自己の心身をもって、柔らかく、高い品位を保った非権力的な言動で指し示す、という意味だろう。
権力を有さぬ天皇が、儀礼的には権力者の上位に立ち、非権力的方法——所作、振る舞い——によって、苦楽を分かち合う心を奮起させ、有権者をして国民へと止揚させる。それが陛下の、そして皇室の、最も根本的な任務である。
それは人が人を励まし、共同で守るべき価値ある何ものかを暗示的に想起させる、高度に洗練された、いわば芸術的な仕事であり、そこには絶えざる努力と克己が求められよう。静かに心に訴えかける、極めて人間的な仕事の積み重ねである。
天皇、皇室と我々国民との間の絆は、この人間的なご努力に対する我々の敬愛、信頼の念を基礎としている。それは戦後の困難期に昭和天皇によって始められ、上皇陛下、さらには今上陛下へと継承されてきた不断のご努力、そのお姿が心に訴えかける、確かな実質に裏付けられている。「神武天皇以来のY染色体の保存」などという、空疎な観念に基づくものではない。
国民統合の象徴としての天皇は、現憲法下では昭和天皇が初代である。憲法は第2条で皇位を「世襲のもの」とおおらかに定め、皇室による歴史的責任感の世代間継承を期し、事実、現憲法下で皇室は歴代、天皇・皇后をはじめ皇子・皇女、すべての男女皇族がよくその期待に応えてきた。
皇位継承に関しては、明治憲法はやはりその第2条で「皇男子孫」に限定していたが、現憲法はこの制約を撤廃している。国民統合の象徴としての天皇の地位は、女性によって継承され、あるいはさらに女性天皇の子孫に世襲され得る、という可能性がそこに担保されている。
ところが皇位継承順位を具体的に定める皇室典範は、明治憲法下と同様に継承を「皇統に属する男系の男子」に限り、憲法が「皇男子孫」の限定を撤廃した意義を、実質的に否定していた。皇族女子が、皇族以外との婚姻後は、皇籍を離脱する規定も同様である。
今日の、皇位継承をめぐる議論の混乱は、本質的にここに起因する。すなわち現憲法の精神・基本制度と、皇室典範に残存した明治憲法以来の旧制との間の、矛盾である。現憲法第2条を、明治憲法第2条に基づいて運用する過誤、といってもよかろう。
憲法が、女性および女性天皇の子孫への皇位継承に窓を開いているのに、皇室典範に残る旧制に縛られ、せっかく象徴天皇のご家族、皇族として幼少期から教育・訓練され、その能力を発揮していた女性たちを、結婚後に次々と皇室から締め出してきた。
昭和天皇の第4女である厚子様から、今上陛下の妹である清子様、秋篠宮殿下の長女である眞子様に至るまで、これまで計8人の女性皇族が婚姻により皇籍を離脱した。その結果が、2026年時点で20代の皇族は愛子様と悠仁様、30代は佳子様のみ、という皇室の著しい縮小となって現れている。
皇室典範の旧套の墨守がもたらすこの自壊作用を、止めるべきは自明である。昭和天皇以来の象徴天皇の世襲は、基本的に悠仁様、愛子様、佳子様——この3方が築かれるご家族を通じて行うべく、典範を改正すべきだ。
6月10日に衆参両院の正副議長が取りまとめた「立法府の総意」は、女性皇族の婚姻後の皇族身分の保持を認めた。しかしその配偶者および子の皇籍保有には触れず、旧宮家の男系男子の皇族復帰案と合わせ、旧習の慣性はなお強い。
守るべき我々の伝統は、昭和天皇以来の、象徴天皇と皇室による非権力的な国民統合の実践であり、これに支えられた民主主義の維持・発展である。皇統の男系男子継承という手続きそれ自体ではない。
古い慣行の存在意義が薄れ、その墨守がかえって我々の伝統を脅かすのであれば、我々は「旧来の陋習」を破り、伝統に清新な生命力を吹き込む新たな「公道」を見出すべきなのだ。
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小山 正篤
国際石油アナリスト。1985年東大文学部卒、日本石油(当時)入社。米・英系の調査会社、サウジアラムコ本社などを経て、現在フリーで活動中。米ボストン在住。タフツ大・修士(国際関係論)。







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