松江に小泉八雲を訪ねて

昨秋の連続テレビ小説「ばけばけ」。

日本人に帰化した小説家、小泉八雲とその妻セツの半生を描いた作品でした。そんな2人に思いを馳せて、2人が出合い、暮らし地、松江を訪ね歩く観光客は一気に増加しました。

城の北岸に並ぶ武家屋敷。

前回に引き続き、松江の町を歩いています。松江城の北縁に並ぶ武家屋敷。「耳なし芳一」や「ろくろ首」などの伝承を記録化した小説家・小泉八雲(当時の名はギリシャ名のパトリック・ラフカディオ・ハーン)はここで暮していたときに住み込み女中だったセツと出会い結婚しました。

小泉八雲は流浪の民で、ギリシャに生まれたあと、アイルランド、アメリカ合衆国、フランス領マルチニークなどを渡り歩き、日本に来てからも松江、熊本、神戸、東京と移り住んでおり松江には1年ほどしか住んでいません。それでも松江は妻・セツと出会い、子供をもうけた人生において最も重要な転換期を過ごした町であるとして小泉八雲の町として前面に彼を推し出しています。

川の北岸は武家屋敷が並び、対岸には松江城の堀が水を湛えています。歩いていて何とも楽しい光景。ここに住んで毎朝散歩したいと思ってしまうほどです。

ああ、びっくりした。はげって言われたかと思った。

「ばけばけ」の舞台となって以降、妻セツがクローズアップされるようになり、小泉八雲と説が出会った町として全面的にPRされています。小泉八雲は日本語を片言でしかしゃべれず、セツとも単語を並べた独特の日本語でやりとりをしていました。上のバス停の6語もそんな2人のやり取りを表現したものです。「はげ」ではありませんよ!彼の作品は、日本の物語を書いていますが、英語で書かれています。

「小泉」はセツの姓であり、アメリカ人だった彼は日本に帰化するためにはセツの家に入ることとし、その際セツの苗字である「小泉」を名乗ることとなります。まだ国際結婚が「雑婚」と呼ばれ偏見を持たれていた時代。そんな時代を2人は強く生き抜いてきました。

武家屋敷の一角にある小泉八雲の旧居にやってきました。セツと結婚したあとしばらく住んでいた、小泉八雲ゆかりの家です。

小泉八雲が愛用していた机の複製品がありました。16歳のとき、不慮の事故で左目を失明し、右目も極度の近眼であった八雲は、それでも眼鏡を掛けず、文面に顔をこすり付けるようにして文字を見ていました。その文字が見やすいように机を高くして書籍を見やすい高さに置く工夫をしていたのです。

ヨーロッパ人で背が高いから、と思われがちですが彼の背は157cmと高くはありませんでした。ちなみに机の左手に置かれているほら貝は、かつて八雲がセツを呼ぶときに使っていたものの複製品です。

2間続きの和室を初夏の風が通り抜けていきます。小泉八雲は武家屋敷に住むことにあこがれを持っており、たまたま出雲市の役人として出向していたこの家の主が留守の折にここを借り受けることができました。その喜びはいかほどだったのでしょうか。

八雲の人生の中で、彼が松江に住んだのはほんの1年ほどの一瞬のことでした。ただ、愛する妻、セツと出会った町であり、彼の人生の中で最も充実していた時期であることは疑いようがありません。

小泉八雲が人生の転換期を迎えた町、松江。小泉八雲の旧家の隣には小泉八雲博物館があります。彼の生い立ち、他に類を見ないような作品群やセツとの出会いなど、彼の半生を深く知ることのできる博物館でした。

「ばけばけ」で彼のことを知り興味を持った方も、「耳なし芳一」など怪奇小説で興味を持った方も是非一度松江を訪ねていただき、短い間に深く残した八雲の残り香を吸いに訪ねてみてもらいたいと思いました。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年6月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

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