
厚労省は我々に生レバーを食べる自由を返せ!
こう書くと、「食中毒を軽く見るのか」と言われるだろう。違う。腸管出血性大腸菌は危険である。重症化すれば命に関わる。だから衛生管理の甘い店が、いい加減に生肉を出してよいとは思わない。
だが、リスクがあることと、国家が一律に禁止することは別問題である。
酒にも、タバコにも、登山にも、バイクにも、生牡蠣にも、フグにも、餅にもリスクはある。それでも社会は、それらを全部禁止してはいない。資格、表示、年齢制限、衛生基準、注意喚起、自己責任。危険と自由の折り合いを、そうやってつけてきた。
ならば、なぜ生レバーだけが食卓から消されたのか。
きっかけは2011年の焼肉チェーン店による大規模食中毒事件である。岩田健太郎教授らの論文では、この事件はユッケに関連する腸管出血性大腸菌のアウトブレイクとして整理され、181人の患者、34人のHUS症例があったとされている。重大事故であり、被害者を軽んじる余地はない(岩田・後藤論文)。
しかし、本来問うべきだったのは「なぜその店で事故が起きたのか」である。仕入れ、加工、保管、提供のどこに穴があったのか。同じ事故を防ぐには、どの工程をどう管理すべきだったのか。
ところが行政は、しばしば別の方向へ走る。
危ないなら禁止。事故が起きたなら禁止。批判されたくないなら禁止。
厚生労働省は2012年7月1日から、牛レバーを生食用として販売・提供することを禁止した。理由は、牛の肝臓内部から腸管出血性大腸菌が検出されることがあり、現時点では安全に生で食べる方法がない、というものだった。
7月1日から牛のレバー(肝臓)の生食用としての販売・提供を禁止(厚生労働省)
理屈は分かる。だが、そこで思考停止してよいのか。
この違和感は、岩田教授自身もMedical Tribuneの記事「レバ刺し禁止は効果なし」で明確に述べている。
2011年のアウトブレイクは焼肉チェーン店のユッケを食べて起きたものであり、「肉」料理による食中毒を理由に、「レバー」の生食提供が禁止された。この理路はおかしいのではないか、という指摘である。さらに岩田教授は、ルールが作られた後に問うべきなのは、そのルールが結果を出したかどうかだとも書いている。ここでいう結果とは、レバ刺しを出さなくなったことではない。腸管出血性大腸菌感染症が減ったかどうかである。

規制の目的は「禁止すること」ではない。食中毒を減らすことである。では、生レバー禁止は本当に腸管出血性大腸菌感染を減らしたのか。
岩田教授と後藤道彦氏は、2008年から2017年のデータを用い、牛生レバー提供禁止を含む措置が腸管出血性大腸菌感染の発生率に与えた影響を分析した。結論は、無症候性・症候性の双方について、全体発生率の統計的に有意な減少は確認できなかった、というものだった(同論文)。
ちなみに、レバ刺し禁止にしても肝心のO157(など)は減りませんでした。アウトカムを出さない失政(と無反省)の一例。 https://t.co/kN4YzkwcX6
愛知の”密フェス”で思い出すのは「レバ刺し」 矢作兼の例えにネット共感「1つの店が不衛生で出しちゃったから…」https://t.co/IlcF1S00vi
— 岩田健太郎 K Iwata (@georgebest1969) September 8, 2021
これは重い。
禁止しても目的である感染減少が明確に確認できないのなら、それは本当に「国民を守る規制」だったのか。それとも、行政が責任を問われないための規制だったのか。
行政にとって一番安全なのは、国民にリスクを選ばせることではない。禁止してしまうことだ。禁止しておけば、少なくとも「なぜ認めていたのか」とは責められにくい。
一方で、禁止によって失われた食文化、奪われた選択肢、侵害された愚行権について、行政は責任を取らない。
対照的なのが、鹿児島の鳥刺しである。

鹿児島では鳥刺しが日常的に食べられている。スーパーに並ぶ光景も珍しくない。もちろん鶏肉の生食にもリスクはある。カンピロバクターなどを考えれば、「安全だから大丈夫」という話ではない。
そう思うでしょ(^^)
でも実は、鮮度も飼育方法もあまり関係ないんです。
秘密は処理方法。
鹿児島県・宮崎県では行政の指導により処理方法を厳格にルール化して徹底管理しています。
なので、県内で一日4トンも鳥刺しが食べられているのに、食中毒発生率は全国平均以下なのです。 https://t.co/YQdMPrpwow— 森田洋之@医師・community Dr./医療経済ジャーナリスト/「医療」から暮らしを守る/音楽家 (@MNHR_Labo) December 1, 2025
だが鹿児島県は、単純に「危ないから禁止」とはしていない。生食用食鳥肉について、専用器具、手指や器具の洗浄消毒、83℃以上の温湯による器具消毒、10℃以下での保存、リスク表示などの衛生基準を設けている。子どもや高齢者など、抵抗力の弱い人には生食を控えるよう求めてもいる(鹿児島県資料)。
これこそ本来のリスク管理ではないか。リスクを隠さない。弱者には勧めない。営業者には厳しい管理を求める。それでも食べたい大人には、選択の余地を残す。
海外にも似た発想はある。
ドイツにはMett、あるいはHackepeterと呼ばれる生の豚ひき肉を食べる文化がある。パンにのせ、玉ねぎなどと食べる。日本人の感覚では、牛レバー以上に危なく見えるかもしれない。

もちろんドイツも生肉を安全食品扱いしているわけではない。ドイツ連邦リスク評価研究所BfRは、生の動物性食品は病原体に汚染されていることが多いとして、幼児など感受性の高い人々は生の動物性食品を避けるべきだと注意喚起している(BfR資料)。
重要なのはそこだ。危険を認めたうえで、弱者保護と成人の選択を分けている。
米国の食品規制にも、同じ思想がある。FDA Food Code系の規則では、生または加熱不十分な動物性食品を提供する場合、消費者にリスクを知らせるconsumer advisory、つまり警告表示を求める考え方がある。ワシントン州の規則も、牛肉、卵、魚、豚肉、鶏肉、貝類などを生または加熱不十分な状態で出す場合の消費者告知を定めている(ワシントン州規則)。
日本にも、危険食品を管理してきた知恵はある。フグである。

フグ毒は極めて危険で、処理を誤れば命に関わる。それでも日本は、フグ食そのものを禁止していない。厚労省はフグの衛生確保に関する通知や、ふぐ処理者の認定基準を整備している。危険だから食べるな、ではない。危険だから、専門の処理者に扱わせる、という発想である。
もちろん、フグと牛レバーは同じではない。フグは有毒部位の除去でリスクを下げる食品であり、牛レバーは肝臓内部の細菌汚染が問題にされた食品である。同じ制度をそのまま移せば済む話ではない。
しかし、問うべきは行政思想である。危険だから禁止するのか。危険だから管理するのか。
生レバーを無制限に野放しにせよ、と言っているのではない。登録制にする。提供店に厳格な衛生基準を課す。仕入れ先と処理工程を記録させる。メニューには重大な食中毒リスクを明記する。子ども、妊婦、高齢者、免疫不全者への提供は禁止または強く制限する。違反した店には重い処分を科す。
そのうえで、リスクを承知した成人には、食べる自由を返すべきだ。
大人には、自分の身体について愚かな選択をする自由がある。これを愚行権という。
健康に悪い酒を飲む自由がある。肺に悪いタバコを吸う自由がある。遭難リスクのある山に登る自由がある。転倒すれば死ぬかもしれないバイクに乗る自由がある。
ならば、なぜ生レバーだけが国家によって奪われなければならないのか。
厚労省は、国民の命を守る組織であって、国民の人生を所有する組織ではない。安全とは、行政が責任を回避するための免罪符ではない。
危険なものをすべて禁止すれば、人間は安全に飼育されるかもしれない。
しかし、人間は飼育されるために生きているのではない。
生レバーを食べる自由を返せ。
それは懐古趣味ではない。行政に飼いならされることを拒む、自由社会の最低限の主張である。

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間尺に合わない規制や構造を今後も記事化していきます。Xでも議論しております。
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X:George.Kujo IR Analysis Independent Researcher







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