大阪維新の会ができたころ、私が違和感を感じたのは「維新」というネーミングだった。これは日本史を知っている人なら、北一輝や大川周明の昭和維新を連想するので使わないが、橋下徹氏は北一輝の名前も知らなかった。
大阪維新の政策はそんな国粋主義ではなかったが、国政に出てからおかしくなった。特に今回の皇室典範をめぐる藤田共同代表の話は、ほとんど日本会議だ。維新が日本会議の幹部である百地章氏を勉強会の講師に招いたというのも納得できる。
【皇族数確保 歴史的に整合的な案を】
日本維新の会 共同代表 #藤田文武
今日は、懇談会を開催をさせていただきまして、日本大学名誉教授の百地章先生に来ていただきまして、ご講義をいただいた後に、皆さんからもご意見・ご質問をいただくということをさせていただきました。… pic.twitter.com/BjgK7G69uJ
— 日本維新の会 (@osaka_ishin) June 16, 2026
皇国史観は有害な迷信
百地氏のような皇国史観は迷信である。「万世一系」も「男系の皇統」も歴史学で否定されている。それを一つの信仰として守ろうという安倍晋三氏のような立場はわかるが、それを今どき立法化しようというのは、北一輝と同じ軍国主義の思想である。
かつて軍国主義には、それなりの意味があった。国家という概念のなかった日本で、明治維新によって天皇という絶対君主を中心にして国力を強化した富国強兵は、日本に必要な戦略だった。
しかしそれが昭和維新になり、軍部が暴走し始めたとき、議院内閣制さえない帝国議会は首相を指名も罷免もできず、大政翼賛会のような非決定の決定に呑み込まれ、戦争に突っ込んでいった。
「戦後レジーム」との混同
問題は軍国主義ではなく、それを暴走させた意思決定の構造にあった。それは「万世一系の天皇」を神格化し、異論を許さない価値観である。それはゆるやかで寛容な日本の伝統とは異なる儒教思想で、「維新」は水戸学者の藤田東湖が『詩経』から取った言葉だった。
それを戦後改革と混同し、皇国史観を否定したのはGHQの占領統治だと思い込むのも、こうした「維新」派の共通点である。実際には皇国史観は儒教思想で、民衆に根づかなかった。民衆はGHQの民主化を歓喜で迎えたのだ。
GHQが追放した宮家を皇族に戻すのも時代錯誤で、宮家は(皇室予算が大幅に削減されたので)自分から皇籍離脱を申し出たのだ。明治維新以降の儒教的な「明治レジーム」は、日本人に根づかなかったのだ。
GHQのつくった「戦後レジーム」がすべて望ましいとは思わないが、明治維新や昭和維新のような皇国史観よりはましだろう。日本維新の会は日本会議の高市首相と馬が合うのかもしれないが、危険な右翼団体である。







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