皇位継承問題で、旧宮家の男系男子を皇族の養子に迎える案が「男系継承を守る現実的な解決策」であるかのように語られている。しかし本当にそうなのか。冷静に制度の中身を見れば、この案は安定的皇位継承策というより、むしろ皇室の将来を不確実な偶然に委ねる危険な賭けである。

旧宮家の養子は天皇になれない
現在の皇室典範では、皇位は「皇統に属する男系の男子たる皇族」が継承する。宮内庁も、皇位継承資格をそのように説明している。(宮内庁) つまり、ただ男系男子であればよいのではなく、「皇族」でなければならない。このため、民間人として暮らしている旧宮家の男系男子は、そのままでは皇位継承資格を持たない。
そこで出てきたのが、旧11宮家の男系男子を皇族の養子に迎える案である。政府有識者会議は、皇族数の確保策として、皇族には認められていない養子縁組を可能にし、皇統に属する男系男子を皇族とする案を示した。しかし同じ報告書は、皇位継承問題と皇族数確保を切り離して考えるべきだとしており、養子となった本人は皇位継承資格を持たないとしている。
ここに第一の落とし穴がある。旧宮家養子案は、養子本人を天皇にする案ではない。報道されている骨子案でも、対象は15歳以上で未婚の男子とされ、養子になれば皇族にはなるが、本人は皇位継承資格を持たない。
今は旧宮家からの養子の候補者はゼロ
では、どうやって男系男子の天皇が出てくるのか。答は、養子になった男性が結婚して男子をもうけ、その男子に皇位継承資格を認めるという遠回りなルートである。つまり、この案は「今いる男系男子を皇位継承候補にする制度」ではない。誰かが養子に入り、その人に男子が生まれるかもしれないという将来の可能性に賭ける制度なのだ。
しかも、その「誰か」が本当にいるのかが怪しい。旧宮家の人々は、1947年の皇籍離脱以来、長く一般国民として暮らしてきた。有識者会議報告書自身も、旧宮家の子孫は現在の皇室との男系血縁が遠く、国民の理解と支持を得るのは難しいという意見があることを認めている。
実際、旧宮家に皇族復帰の意思はない。旧久邇宮家の久邇朝宏氏は、養子になるには「一定の覚悟がいる」と述べ、「そういうふうには自分はなれないし、なれるような人はそうそういない」と語っている。(khb) これは単なる個人の感想ではない。民間人として生きてきた人が、突然、皇族として公務・制約・国民的注視を受け入れることの重さを示している。
今のところ、皇族に復帰する可能性を示唆しているのは、竹田恒泰氏だけだが、その長男はまだ2歳である。骨子案が「15歳以上」を条件にしている以上、2歳の男児は対象にならない。少なくとも十数年待たなければならない。つまり養子案が成立しても、いま養子になる候補者はゼロなのだ。
2歳の子供が大きくなっても、養子を望むかどうかは分からない。彼が拒否したら終わりだ。彼が望んだとしても、皇族として結婚できるかどうかはわからない。結婚できたとしても、男子が生まれるかはわからない。一人の未成年者の将来意思、婚姻、出生、さらに男子出生という多段階の賭けに皇室の運命を託すのだ。
養子案のねらいは「愛子天皇」を阻止すること
男系派は、愛子天皇を認めれば女系天皇への道が開かれると警戒する。しかし、旧宮家養子案のほうが本当に安全なのか。愛子内親王殿下は、すでに皇族として生まれ、皇族として育ち、成年皇族として公務を担われている。制度を改正して女性天皇を認めれば、「皇族として受け入れられるのか」という不確実性はない。
もちろん、愛子天皇案にも論点はある。一代限りの女性天皇にするのか、その子孫にも継承資格を認めるのか。女系継承をどう考えるのか。これは議論しなければならない。しかし、それは制度論として明示的に議論できる問題である。
これに対して旧宮家養子案は、表向きは「皇族数確保」と言いながら、実質的には将来の男系男子出生に期待するだけの不透明な制度である。
男系にこだわると皇室の持続可能性がそこなわれる
皇位継承に必要なのは、「男系の皇統」などの明治時代の理念ではなく、制度の持続可能性である。男系維持という理念を守るために、実在する女性皇族を排除し、民間で育った幼い男子の将来にすべてを賭けるのは、保守ではなく空想である。
旧宮家養子案は、男系男子の天皇を確実に生み出す制度ではない。候補者が現れるか、本人が同意するか、結婚するか、男子が生まれるかという、いくつもの不確実性を積み重ねた制度である。これでは天皇家を守るどころか、むしろ皇室の存続を細い糸の上に乗せることになる。
安定した皇位継承を本気で考えるなら、必要なのは、すでに皇室に存在する皇族を基礎に、女性天皇、そして将来的な直系長子継承まで含めて、皇室典範を改正することである。皇室の未来を、一人の幼い男児と未確定の出生に賭けてはならない。







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