
笑えるが、笑ってはいけない事件
埼玉県警のオービスが盗まれた。
正直、笑ってしまった人は多いだろう。私も笑った。市民を取り締まるために道路脇へ置いた速度違反自動取締装置が、取締り中に盗まれる。しかも、盗まれたのは看板やカラーコーンではない。報道によれば、購入額約900万円の可搬式オービスである。
だが、この笑いはかなり危ない。SNS上では「ざまあ」「だせえ」「市民の盗難被害はまともに捜さないくせに」という反応が目立つ。品のよい反応ではない。
しかし、この嘲笑の底には、警察への不信がある。警察が失ったのは、900万円の機械だけではない。「警察に任せればよい」という信頼である。
監視装置を監視できなかった警察
埼玉新聞によれば、事件は2026年6月18日夜、埼玉県加須市岡古井の国道125号沿いで起きた。速度違反取締り中に設置されていた可搬式オービス1台が盗まれた。加須署交通課員2人は設置場所から100〜200メートル離れたパトカー内から監視していたが、確認に戻ると盗まれていたという。県警は全国初とみて、窃盗事件として捜査している。
盗まれた装置は重さ約20キロ。県警が保有していた5台のうち1台で、購入額は約900万円。装置内には10件近くの車両データが記録されていたとみられるが、現時点で悪用の形跡は確認されていないという。
もちろん、盗んだ犯人が悪い。窃盗は窃盗である。しかし、警察が市民に向けて設置した監視装置を、警察自身が監視できていなかった。この構図があまりに象徴的だった。
市民は盗難被害に遭えば、警察に届け出るしかない。自分で犯人を探し、自分で取り返し、自分で制裁することは許されない。法治国家では、自力救済は原則として否定される。だからこそ、警察と司法が公平に動くという前提が必要になる。
ところが、その警察が自分たちの機材を盗まれると、当然のように窃盗事件として捜査する。法的には何もおかしくない。問題は、生活者の感覚である。市民の自転車盗難、車上荒らし、置き配盗難、煽り運転は、どこまで本気で扱われているのか。被害届は受理されても、実質的には泣き寝入りという経験をした人は少なくないはずだ。
そこへ警察自身の900万円の機械が盗まれたとなれば、当然こう言いたくなる。
「今回は本気で捜すんですか?」
学校のプールなら教員が払う
この事件でもう一つ引っかかるのは、弁済責任である。学校では、プールの水を出しっぱなしにした教員や校長が、自治体から損害賠償を求められることがある。
川崎市では2023年、市立小学校でプールの水を止めるのに失敗し、損害額約190万円のうち約95万円を校長と教諭に請求した事例がある。
この請求自体には批判もあった。私も、学校現場だけに個人責任を押し付けるやり方には疑問がある。現場の多忙、設備の不備、マニュアルの不備を無視して、末端の教員だけに負担を押し付けるのは、「責任を取らない行政」の典型だからだ。
しかし、だからこそ問いたい。では、900万円の警察機材を盗まれた場合、誰が責任を取るのか。直ちに担当警察官へ個人弁済させよ、と言いたいのではない。過失の有無、現場の運用基準、装置の管理方法、盗難防止措置、警察官の配置を検証する必要がある。
だが、学校現場では190万円の水道代で校長と教諭の責任が問われる。警察現場では900万円の装置を盗まれても、まず「県警が被害者」として扱われる。この非対称性に、生活者は違和感を覚える。
炎上しないと動かない社会
今回の嘲笑は、単なる警察嫌いではない。背景には、「警察は炎上しないと動かない」という生活者の学習がある。
典型例が煽り運転である。煽り運転は2020年6月30日から妨害運転罪として明確に処罰対象となり、最大3年、著しい交通の危険を生じさせた場合は最大5年の拘禁刑、さらに免許取消しの対象となった。制度上は重く扱われている。
だが現実感覚としては、被害者がドラレコ映像を持って警察に行く。それでも対応が鈍いと感じる。そこでSNSに映像を出す。拡散される。テレビやネットニュースになる。すると警察が本格的に動いたように見える。本来、ドラレコ映像は証拠である。しかし今や、炎上の燃料になっている。
これは危険な変化だ。警察に届ければ十分だ、という信頼があれば、市民は映像を警察に出せばよい。だが、「警察だけでは握りつぶされる」「軽く扱われる」と感じれば、市民は世論を作って警察を動かそうとする。これは物理的な自力救済ではない。しかし、かなり近い場所まで来ている。
正義を名乗る闇バイト
自警団は、ある日突然、竹槍を持って街に現れるわけではない。最初は防犯パトロールである。次にドラレコ投稿である。次に迷惑人物の晒しである。次に私人逮捕ごっこである。最後に、特定の属性を狙った排除運動になる。
刑事訴訟法上、現行犯人は「何人でも」逮捕状なしに逮捕できる。しかし、警察官などではない者が現行犯人を逮捕した場合は、直ちに検察官または司法警察職員へ引き渡さなければならない。つまり、一般人に捜査権や制裁権を与えた制度ではない。
ところが、警察への信頼が削れると、人々はこの境界を踏み越え始める。「警察がやらないなら、俺たちがやる」。これは一見すると正義感に見える。しかし、その正義感は簡単に私刑へ変わる。ここで出てくるのが、正義を名乗る闇バイトである。
警察庁は、闇バイトについて、SNSやインターネット掲示板で仕事内容を明らかにせず、高額報酬を示唆して犯罪の実行者を募集する投稿があると注意喚起している。これの「報酬」を「正義感」や「承認」に置き換えたらどうなるか。
「地域を守ろう」「迷惑行為を記録しよう」「警察が動かないなら証拠を集めよう」「あおり運転車を晒そう」。こうした呼びかけは、一見すると市民防犯に見える。だが、その中に最初から犯罪目的の者が紛れ込んだらどうなるか。
善意の参加者は、知らないうちに見張り役、情報収集係、標的リスト作成係、拡散係にされる。本人たちは正義のつもりでも、集めた情報は恐喝、窃盗、襲撃、嫌がらせ、差別的排除に使われるかもしれない。
金で人を集めるのが闇バイトなら、正義で人を集めるのが現代の自警団である。さらに危険なのは、参加者が自分を犯罪者だと思っていないことだ。むしろ「警察がやらないことを自分たちがやっている」と信じている。だから止まりにくい。だから暴走する。だから本物の犯罪者に利用される。
現代の自力救済は、棍棒ではなく、スマホ、ドラレコ、SNS、匿名アカウント、位置情報、拡散力で立ち上がる。それは、法治国家の裏側にできる私刑インフラである。
信頼は残っている。だが傷んでいる
警察は、国民から全く信頼されていないわけではない。中央調査社の2025年調査では、警察への信頼感は5段階平均で3.3点。医療機関、自衛隊の3.6点に次ぐ水準で、裁判官や銀行と同じである。つまり、警察は今でも比較的信頼されている機関だ。
しかし同じ調査では、「国民にもっと信頼されるよう努力してほしい機関」として警察を挙げた人は34.4%にのぼる。また、「閉鎖的で情報公開が進んでいない」と思う機関でも、警察は21.8%で3位となっている。つまり、信頼は残っている。だが、傷んでいる。
警察庁の令和5年警察白書でも、刑法犯認知件数は平成14年のピーク時から令和4年までに約78.9%減少した一方、「ここ10年で日本の治安は悪くなった」と答えた人は54.5%にのぼると整理されている。統計上の治安と、生活者の安心は同じではない。
犯罪件数が減っていても、自分の被害を軽く扱われた人は警察を信じなくなる。地域の不安に説明がなければ、人々は警察を弱腰だと感じる。煽り運転で炎上しないと動かないように見えれば、市民は晒しを学習する。今回のオービス盗難は、その不信を可視化した。
警察が取り戻すべきもの
オービスを盗まれた警察を笑うのは簡単だ。しかし、市民が警察の失態に同情せず、むしろ喝采する社会は危うい。法治国家は、国民に自力救済を禁じる代わりに、警察と司法が公平に守るという約束で成り立っている。盗まれたら警察へ。脅されたら警察へ。煽られたら警察へ。自分で制裁してはいけない。
だが、その警察が頼りにならないと思われたとき、市民は別の道を選ぶ。晒す。炎上させる。仲間を集める。見張る。排除する。捕まえる。これは、自力救済社会への入口である。
埼玉県警が本当に説明すべきなのは、犯人捜しだけではない。900万円の公用機材をどう管理していたのか。盗難防止措置は十分だったのか。担当者の過失や組織の運用責任をどう判断するのか。市民の盗難被害と同じ熱量で捜査するのか。そして何より、市民がなぜ「ざまあ」と笑ったのかを考えるべきだ。
警察が失ったのは、オービスだけではない。「警察に任せればよい」という信頼である。それを取り戻せなければ、次に盗まれるのは、法治国家そのものかもしれない。
【参考リスト】
- 埼玉新聞「全国初か…可搬式オービス消える」
- TBS NEWS DIG「埼玉県加須市の国道で“移動式オービス”盗まれる」
- 東京すくすく「川崎市のプール水流出 保護者有志が寄付募る」
- 川崎市「市立小学校のプールにおける水の流出事故について」
- 警察庁「危険!『あおり運転』はやめましょう」
- 警察庁「いわゆる『闇バイト』の危険性について」
- e-Gov法令検索「刑事訴訟法」
- 中央調査社「議員、官僚、大企業、警察等の信頼感」調査 2025年
- 警察庁「令和5年警察白書 第2項 治安に関する国民意識の変化」
- 埼玉県議会「令和6年12月定例会 一般質問 質疑質問・答弁全文」







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