
前編では、サンマーク出版・黒川精一社長の論考「本が値上げしていった先に起こること」を取り上げ、その中心に置かれた「出版=音楽業界モデル」に異議を唱えた。音楽は同じ曲を反復して聴くがゆえに聴き放題が成立し、ライブはスターの身体に価値が宿る。

本は反復ではなく発見のメディアであり、大半の著者はスタジアムを満員にできない。音楽の三層構造は、そのままでは本に移植できない。
では、本はどう設計すべきか。その前に、黒川氏の処方箋そのものに潜む二つの危うさを指摘しておきたい。
一つは、嗜好品化である。黒川氏は、本が「嗜好品」と「日用品」に二分化していくと見る。箔押し、特装、函入り——手に取った瞬間に「普通の本ではない」と感じさせる方向だ。だが嗜好品化とは、煎じ詰めれば高付加価値化であり、買える層に向けた縮小均衡でもある。氏自身、嗜好品化が進めば本に気軽に触れる入口が狭まり、読者の母数が細りかねないと正しく懸念している。
問題は、その懸念への答えが「タッチポイントを増やす」「体験を設計する」という抽象に留まり、価格で本から締め出されていく層への手当てが見えないことだ。誰でも財布の中身に関わらず本に触れられる——その裾野の広さこそ、氏自身が讃えた、取次と書店と図書館がつくった財産だった。嗜好品化は、その財産と正面から緊張する。
もう一つは、担い手だ。黒川氏は、出版社が「本をつくる業」から「本と読者の関係を設計する業」へ広がるべきだと説く。理念としては正しい。だが、それを実行できる出版社が何社あるのか。サンマーク出版は社員約50名で世界的ベストセラーを連発する、業界でも例外的に体力のある会社である。
その社長が「体験を設計せよ」と言うとき、その言葉はサンマークだからこそ言える。年に数点を細々と出す中小に、コミュニティ運営やイベント設計や独自プラットフォーム構築の余力はない。
「設計する業へ」の号令は、現実には設計できる大手・独立系と、できない多数の中小との二極化を加速させる。そして体験を自前で設計できない出版社は、日常の入口を結局アマゾンという一つのプラットフォームに明け渡していく。音楽がスポティファイに主導権を握られたのと同じ道だ。
ここで前編の論点に戻りたい。本の強みは、反復ではなく発見にあった。読者は一冊を読み終えると、次の一冊へと移っていく。とすれば、出版の本当の課題は、一冊から収益を最大化することではない。読者が次の一冊へ向かう導線を、絶やさないことだ。その導線こそ、音楽のストリーミングが決して代替できない、本に固有の装置である。
もちろん、発見の導線は一つではない。SNSも、動画も、電子書店のレコメンドも、新しい入口になりうる。だが、アルゴリズムが差し出すのは、過去の好みに沿った発見だ。買った本、読んだ本の延長線上に、次の一冊が並ぶ。それは便利だが、「未知」ではなく「既知の続き」へと痩せていく。
本当に世界を広げる発見は、自分の検索履歴の外側からやってくる。だからこそ、人の目で選ばれた棚と、誰もが無料で手を伸ばせる公共の書架には、アルゴリズムが代われない役割が残る。
その役割を担ってきたのが、図書館と書店だ。黒川氏の論では、取次・書店・図書館は「変わらざるを得ない過去の仕組み」として退場し、日常の入口は電子へ託される。だが、書店の棚で「探していなかった本」と不意に出会う偶然、図書館で誰もが無料で次の一冊に手を伸ばせる環境——これこそ、発見から発見へと読者を運ぶ装置にほかならない。
問題は、この装置がいま壊れかけていることだ。全国の市区町村の約28%に書店がなく、書店がないか一軒しかない自治体は約47%に達する。発見の導線が、物理的に細っている。
だからこそ、守るのではなく、作り直さなければならない。経済産業省は2024年に書店振興プロジェクトチームを立ち上げた。フランスは早くからラング法で値引きを制限し、若者向けの文化パスで書店購入を後押しして、街の本屋を国策で支えてきた。
やるべきことは、新しいライブ市場を発明することではない。発見の導線をどう張り直すかだ。取次機能を共同配送として再構築すること、出版社が著者と読者に直接つながるD2Cを育てること、そして何より、子どもが次の一冊に出会う習慣そのものへ投資すること。地味だが、これらが本の「日常」を担う。
黒川氏の問いは正しい。値上げの先の世界を、誰かが設計しなければならない。だが、その設計図を音楽から借りてはいけない。本は音楽になれないし、なる必要もない。必要なのは、新しいライブ市場ではない。発見の導線を、どう張り直すかである。その仕事は、まだ終わっていない。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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