皇室典範の改正案では、旧11宮家の男系男子を皇族の養子として迎え、その子に皇位継承資格を与えるが、国会で宮内庁は「1428年に皇室からわかれた旧宮家の男子は、今上陛下とは36親等から38親等の隔たりがある」と答弁した。
憲法2条では「皇位は世襲のもの」と定めている。これほど遠い(遺伝的にはつながっていない)一般国民を皇族の養子とし、その子に皇位を継承させることは、憲法にいう世襲といえるのだろうか。

36親等は民法上の「親族」ではない
憲法2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めている。一方、民法725条が親族とするのは、6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族までである。36親等離れた人物は、系図上の血統をたどることはできても、民法上は現在の天皇や皇族の親族ではない。
もっとも民法上の親族でないことが、直ちに憲法上の世襲ではないことを意味するわけではない。憲法の「世襲」が民法725条の範囲に限定されるという規定はなく、国会には皇室典範によって継承方法を定める裁量がある。
したがって36親等だから自動的に違憲だとはいえないが、少なくとも「現在の皇室の親族が皇位を継ぐ」という通常の意味での世襲ではない。
養子縁組は皇室に入る「入口」にすぎない
政府の有識者会議は、皇族による養子縁組を解禁し、養子を「皇統に属する男系の男子」に限ることが適切だとした。その候補として、旧宮家の男子が1947年5月から10月まで、現行の皇室典範で皇位継承資格をもっていたことを理由としている。
この論理は奇妙である。養子本人の継承資格は認めないのに、その子が皇統を継承する根拠は、養子の実方(実家の系譜)にあるとされる。この養子縁組は(民法の想定するような)新しい親子関係をつくって世襲させる制度ではなく、皇位継承資格のない一般国民を皇室に入れる入口にすぎない。
養子縁組で天皇家の血統は切れ、その子は養親の世襲になる。これは国家が特定の家系を選び、皇統を新たにつくる制度であり、読売新聞も指摘するように旧宮家に皇統を移すものだ。
なぜ旧11宮家だけなのか
さらに問題なのは、養子候補を旧宮家の男系男子に限定することである。内閣法制局は「皇族は憲法14条の門地による差別禁止の例外となる特殊な地位であり、法律に従って皇族の地位を取得すれば憲法上の問題は生じない」との見解を示している。
これは循環論法である。皇族になれば一般人とは違うが、今は旧宮家の子孫も一般人であり、法の下の平等の保障を受ける。「法律で皇族にしたら平等原則の問題はない」という説明が通るなら、国会はどんな家系にでも皇位継承資格を与えることができる。
まず問われるべきなのは、旧11宮家だけに皇族となる資格を与える区別に、合理的な根拠があるかどうかである。旧11宮家の祖先が約80年前に5か月間だけ皇位継承資格を持っていたことは事実だが、その子孫が資格を持っていたわけではない。祖先が一時的に持っていた資格が子孫に継承されるという法理も存在しない。
養子は一般国民の中から選挙で選ぼう
憲法が皇位を世襲としているのは、それが外部からの政治的介入を受けないためである。国会が任意の血統を選び、特定の一般国民に新たな身分と継承資格を与えることは、憲法の想定する世襲とはまったく違う皇位の政治利用である。
民法上の親族でもなく、一般国民として暮らしてきた人物を養子にし、その子に皇位継承資格を与える制度は、憲法に定める世襲ではなく、国家が一般人との養子縁組でつくるまったく新しい皇室である。
憲法1条は、天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」と定めている。一般人から皇位継承者を選ぶなら、養子は一般国民の中から選挙で選ぶべきだ。







コメント
記事の指摘は鋭い。しかしながら、「36親等」という数字の使い方には、注意が必要だと感じます。
たしかに宮内庁が答弁したこの数字は事実です。
しかしこれは1428年に分かれた旧皇族から数えた、父方だけをたどる男系の親等であって、母方を含めた血縁の近さとは全く別の話です。
記事は「これほど遠い(遺伝的にはつながっていない)一般国民」とまで書いていますが、ここは相当に雑ではないでしょうか。
具体的に系図をたどれば、すぐわかります。
昭和天皇の長女・成子内親王を母に持つ壬生基博氏や東久邇眞彦氏は、昭和天皇から見れば実の孫であり、わずか2親等です。
東久邇征彦氏は昭和天皇の孫・信彦氏の長男ですから曾孫で3親等。
成子内親王の曾孫世代であれば昭和天皇の玄孫にあたり4親等、今上陛下から見ても6親等の血族となります。
久邇家も同様で、久邇邦昭氏は明仁上皇のいとこで4親等、その長男・久邇朝尊氏は上皇陛下と5親等が最小です。
竹田家に目を向ければ、竹田恒正氏は母方に明治天皇の皇女・昌子内親王をたどれる曾孫で3親等、竹田恒泰氏は玄孫で4親等にすぎません。
つまり「旧11宮家」とひとくくりにされる人々の中にも、母方をたどれば歴代天皇とごく近い血縁を持つ者が実在するのです。
民法725条が親族とする「6親等内の血族」という基準に照らしても、東久邇系や壬生系の若い男子は、今上陛下から見てまさにこの範囲に収まります。
「36親等離れた民法上の親族でもない赤の他人」という印象だけを一律に強調するのは、議論として一面的だと言わざるを得ません。
もちろん、これらは母方を経由する血縁です。
しかし、それが見えた上で議論するのなら意味がありますが、
「これが見えません」となると、ちょっとどうにもならない。
「36親等」の一語でこの重層性を切り捨ててしまうのは、前提認識として決定的に欠けているものがあると思います。
最後に一言。ここで挙げた親等計算は、系図さえたどれば誰でも確認できる程度の話にすぎません。
系図上の距離——これらを正確に追えて初めて、この制度論の土俵に立てるはずです。
この程度の複数経路すら整理せずに「36親等」で済ませてしまうなら、それより何倍も変数と因果関係が絡み合うマクロ経済を論じるのは、正直かなり厳しいのではないでしょうか。
前提を取り違えたまま結論だけ振りかざす議論の危うさは、どの分野でも変わりません。