2005年に葬られた養子案がなぜ墓場からよみがえったのか

池田 信夫
  • 旧宮家養子案は、2005年の有識者会議では退けられた。
  • 皇族数の確保を目的とする2021年の有識者会議で養子案が復活した。
  • これは女性皇族数の確保に男系男子の養子を抱き合わせたものだ。

皇族数の減少に対応する皇室典範改正案が衆議院を通過した。法案の柱は、女性皇族が結婚後も皇族に残る制度と、旧11宮家の男系男子を皇族の養子として迎える制度である。

両者の性格はまったく違う。前者は女性皇族が皇室を離れるのを防ぐ制度だが、後者は男系男子の養子を外部から迎え、新たな皇族をつくる制度である。養子案は新しいアイデアではなく、2005年の皇室典範に関する有識者会議では葬られた。それがなぜ、20年後に墓場からよみがえったのだろうか。

小泉内閣の有識者会議の目的は「安定的な皇位継承」

2005年の小泉内閣の有識者会議が検討したのは、将来にわたって皇位をどのように安定的に継承するかがテーマだった。当時は次世代の男性皇族が存在しなかった。このまま男系男子だけに継承資格を限定すれば、皇位継承そのものが行き詰まる可能性が高かった。

2005年の有識者会議の答申

会議は旧皇族の子孫を皇族に戻す案も検討したが、2005年報告書は旧11宮家について「現在の皇室との共通祖先は約600年前であり、当時の天皇とは35~37親等も離れている」と整理した。いったん皇籍を離れた者は復帰せず、その子孫も皇族にならないことが歴史上の通例だったと指摘している。

そもそも皇室典範第9条は、皇族の養子を禁止している。2005年報告書も、皇族と国民との区別を曖昧にし、皇統が乱れることを防ぐという明治皇室典範以来の考え方を確認し、男系男子の養子を外部から補充する方向を採用しなかった。

その代わりに出した結論が、皇位継承資格を女性や女系の皇族にも広げる案だった。報告書は、男系継承を将来も安定的に維持するのは「極めて困難」であり、女性天皇・女系天皇への道を開くことが「不可欠」だと結論づけた。

つまり2005年の有識者会議は、皇位継承の安定という目的から制度を考えた結果、直系の女性皇族を排除して、600年前に分かれた遠い傍系の男性を連れてくる養子案を採用しなかったのだ。

悠仁親王の誕生で議論は凍結された

ところが2006年2月、秋篠宮妃紀子さまの懐妊が明らかになり、政府は皇室典範改正案の提出を見送った。同年9月に悠仁親王が誕生し、次世代の男性皇族が確保されたことで、女性・女系天皇を認める議論は政治的に封印された。

もちろん悠仁親王が誕生しても、安定的な皇位継承という問題が解決したわけではない。次世代の継承資格者がゼロから1人になっただけで、男系男子限定による構造的な不安定性は残ったが、政治はこの問題に答えなかった。

代わりに出てきたのが、皇族数の減少という問題だった。女性皇族は一般国民と結婚すると皇籍を離れる。未婚の皇族の多くが女性である以上、皇族数が減ることは避けられない。そこで女性皇族が結婚後も皇族に残り、公的活動を続けられるようにする案が現実的な課題となったのだ。

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