過疎地を守るという幻想:大規模ケアキャンパスを核としたコンパクトタウンへ(前編)

東 徹

都市部ですら、インフラを更新できない

2025年1月、埼玉県八潮市の県道が陥没し、トラックが転落した。原因は、地下の流域下水道管の破損と考えられている。過疎地ではなく、首都圏の市街地で起きた事故である。

これは、日本のインフラ老朽化を象徴する事故だ。

全国の上水道管路のうち、法定耐用年数の40年を超えたものは、2022年度で23.6%。年間更新率は0.64%で、現在のペースでは全管路を更新するのに約160年かかる。道路橋も、建設後50年を超えるものが、2033年には約63%に達すると試算されている。

税収と人口が集まる都市部ですら、高度経済成長期に一斉整備したインフラの更新に追いついていない。

しかも、これは金だけの問題ではない。

建設業就業者は、ピークだった1997年の685万人から、2024年には477万人へと約3割減った。市区町村の約半数では、土木・建築の技術系職員が5人以下。4分の1には一人もいない。
工事をする人がいない。発注し、監督する人もいない。

もはや、予算を付ければ解決する段階ではない。物理的な供給能力そのものが失われつつある。

この現状で、今後、人口の少ない地域のインフラを維持し続けられるだろうか。

結論から言えば、不可能である。

「過疎地を守る」という無言の放置

都市部のインフラすら更新できない国が、人口の減り続けるすべての集落に、今と同じ水道、道路、橋、公共交通を届け続けることなどできるはずがない。

政府は「過疎地を守る」と言い続けるが、現実には診療所が閉じ、バスが減り、商店や介護事業者が撤退している。

将来の見通しを説明しないままサービスだけが消え、住民が耐えられなくなって自力で転出するのを待つ。

これは計画的撤退ではなく、無言の放置である。

国境離島のように、安全保障上の必要性がある地域は別として、本稿では、それ以外の大多数の過疎地域について、計画的な撤退戦の必要性と、その具体策を論じる。

住む自由と、公費によるインフラ維持は別である

過疎地からの撤退戦というと、「住民を強制的に追い出すのか」という反論が来そうだが、そうではない。

住み慣れた土地に、自分の家に住み続けたい。その自由は尊重されるべきだ。

しかし、そこに住む自由と、その場所の水道、道路、医療を公費で維持し続けることは別問題である。

公的制度が保障すべきなのは、どこでも好きな場所で生きることではなく、必要な生活、医療、介護を、持続可能な場所で受けられることである。

そこに必要なのは、正直な説明だ。

自治体は、集落ごとに10年後、20年後の見通しを示すべきである。

この水道をいつまで維持できるのか。橋を架け替えられるのか。救急車は何分で来られるのか。

「この地区の水道は、2040年以降、維持できない可能性があります」

そう伝えることは、住民を脅すことではない。

不動産取引で言えば、重要事項説明のようなものだ。今後この地域がどうなるのか。情報を示した上で、選択してもらう必要がある。

本来、その地域に住み続けるための追加費用と、移転にかかる費用を天秤にかけ、自ら負担するのが筋である。

とはいえ、現実的には、移転を選ぶ人にある程度の支援があってもよいだろう。引っ越し費用や移転先の家賃補助などは、インフラを維持するコストに比べれば、はるかに安価である。

それよりも重要なのは、早く決断した人ほど損をしない制度にすることだ。

最後まで残れば行政が何とかしてくれる制度なら、先に移る人はいない。その結果、最後には高齢で貧しく、移動の難しい人だけが残る。

サービスが消滅してから強制的に転居させるより、選択肢のある段階で移転を支援する方が人道的である。

過疎地問題の核心は、高齢者をどう支えるかにある

では、縮退する地域から移る人々を、どこで受け止めるのか。

単に都市部へ転居させれば済む話ではない。移転が最も困難なのは、医療と介護を必要とする高齢者である。

若い人は、進学や就職を機に移る。自動車を運転し、遠くの病院や商店にも行ける。

しかし、高齢になると、移動そのものが難しくなる。認知症が進めば、見守りや夜間対応も必要になる。

つまり、過疎地問題の核心は、高齢者をどう支えるかにある。

そして介護は、道路や水道と同じ問題を抱えている。

人が点在すれば、介護職員も一軒ずつ回らなければならない。実際に介護する時間よりも、サービスを届けるための移動時間が増えていく。

点在する家へ戸別にサービスを届ける限り、コストは膨らみ、全員を支えることはできない。

私は精神科医として、認知症診療や高齢者施設の現場に関わっている。そこで起きている問題は、大きく三つに分けられる。

第一は、在宅介護の疲弊である。

高齢者は自宅にいたいと望む。しかし、頻回の介助が必要な人に、一軒ずつ訪問して対応するには限界がある。

医療・介護職員は移動に時間を奪われ、家族がその不足を埋める。結果として、老老介護や介護離職が生まれる。

第二は、施設医療の限界である。

特別養護老人ホームなどでは看取りが制度上想定され、点滴や酸素投与に対応する施設もある。

しかし、医療対応力には施設ごとの差が大きい。医師が常駐せず、夜間の看護体制や検査設備も限られる施設では、実際に対応できる範囲は狭い。

発熱、転倒、呼吸状態の悪化。家族も不安になり、「念のため入院させてほしい」と希望する。結果として、救急搬送につながりやすい。

多くの施設は、安心して最期まで暮らせる場所になっているとは言い難い。

第三は、施設への忌避と、運営の不安定さである。

本人は「老人ホームには入りたくない」と言う。家族も、親を施設へ入れることに罪悪感を持つ。

一方、小規模施設は、夜勤職員や看護師が数人辞めるだけでシフトが崩れる。残った職員に負担が集中し、さらに人が辞める。

暮らす側にも、働く側にも、現在の仕組みは限界である。

解決の鍵はスケールメリットである

解決の鍵はスケールメリットだ。必要なのは、機能の集約と大規模化である。

夜勤、看護、見守り、食事、入浴、緊急対応を共有し、職員が利用者宅の間を移動する時間を減らす。

同じ人員でも、移動ではなく、実際の介護に使える時間を増やす。それが集約の最大の利点である。

しかし、高齢者だけを郊外の巨大施設へ集めるだけなら、姥捨て山にしか見えない。「効率がよいから移ってください」と言われて、喜んで移る人はいない。

そこで、発想を逆転させる。

高齢者を集めるのではなく、子や孫も来たくなる場所を作り、その中に介護を置くのである。

高齢者を集めるのではなく、全世代が集まる町を作る

私は、この全世代型の生活拠点を「大規模ケアキャンパス」と名付け、提案している。

これは、医療・介護施設を集めた巨大な老人ホームではない。医療、介護、住宅、商業、娯楽を一つの生活圏にまとめた、全世代型の生活拠点、いわばコンパクトタウンである。

中核には、24時間救急を受け入れる二次救急病院を置く。高度医療が必要な場合には、三次救急医療機関へ速やかに転院できる体制を整える。

病院と高齢者住宅が近接すれば、長距離の救急搬送を減らし、治療後も元の住まいへ戻りやすい。キャンパス内の訪問診療も効率化できる。

周囲には、高齢者住宅だけでなく、商業施設、飲食店、温泉、宿泊施設、屋内遊び場、一般住宅、職員住宅、保育所を配置する。

家族は「施設へ面会に行く」のではなく、買い物や食事、温泉のついでに祖父母と過ごす。高齢者本人も、町の中で買い物や外食を続けられる。

「入りたくない施設」ではなく、ここなら住んでもよい場所、むしろ「入りたい場所」に変える。

姥捨て山の対極を作ることが、この構想の要諦である。

高齢者介護のために作ったこの拠点は、結果として全世代の生活拠点になる。人が集まれば、商業と娯楽が成立する。商業施設にとっても、隣接する高齢者の平日需要を見込める。

高齢者介護の集約が、そのまま社会の集約になる。

「30―30―60」の生活圏

設置場所は、地方中核都市の三次救急医療機関からケアキャンパスまで約30分、ケアキャンパスから周辺の住宅タウンまで約30分を目安とする。

住宅タウンから地方中核都市までは、最大でも約60分である。

このような立地なら、日本全国の相当な範囲をカバーできる。

地域を丸ごと放棄するのではなく、生活機能を集約することで維持するのである。

実際、病院と介護施設が隣接する例はある。温泉付きの高齢者住宅も、商業施設に近いサービス付き高齢者向け住宅もある。

しかし、医療、介護、住宅、商業、娯楽を一つの町として統合する事業は、民間だけでは生まれにくい。

広大な土地の確保や、公共交通まで含めた全体設計は、一つの民間企業だけでは難しい。

ここに行政の役割がある。

公が設計し、民が運営する

ただし、行政がすべてを建設・運営する巨大公共事業ではない。

行政は、土地、交通、用途調整などの基盤を担い、病院、介護施設、住宅、商業施設の建設と運営は、原則として民間が担う。

公費投入を土地や交通などの基盤整備に絞り、遊休地を活用して民間投資を呼び込む。新たな税収を生み出す可能性も含む構想である。

私は2025年、この構想の第一号として、大阪・関西万博跡地の夢洲で、大屋根リングを活用する案を提案し、署名を募った。

あなたの声がチカラになります
万博跡地・夢洲「大屋根リング」を活かし、医療・介護・レジャーが連携する大規模ケアキャンパスに賛同を

「いのち輝く未来社会のデザイン」という万博の理念を、一過性の祭典で終わらせず、実際の生活の場へ引き継ぐ提案である。

本質は、夢洲そのものではない。

象徴的なモデルを一つ作り、全国の自治体や事業者が、それぞれの地域に合った形へ応用できるようにすることにある。

実現には、病床規制、用途規制、交通、防災、事業採算など、多くの課題がある。

しかし、人口減少を放置した先に、自然なソフトランディングはない。

まず、目指すべき生活圏の青写真を示し、そこから制度と事業を組み立てる必要がある。

守れない約束を続ける政治

過疎地問題は、地方衰退の問題である以上に、守れない約束を続ける政治の不正直さの問題である。

ところが、この計画的な集住の前には、もう一つの美しい標語が障壁として立ちはだかる。

「住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで」——地域包括ケアシステムが掲げてきた理念である。

後編では、この言葉が「現在の家に住み続けられる」という期待へ変換されてきた経緯と、介護保険を集住と包括払いへ作り直す方法を論じる。

(後編に続く)


編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2025年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。

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