辺野古事故の真相より「映像流出」を問題視:玉城知事が踏みにじった遺族の想い

今年3月16日、沖縄県名護市の辺野古沖で、同志社国際高校の生徒らを乗せた船2隻が転覆した。高校2年の武石知華さん(17)と船長の金井創さん(71)が死亡し、生徒ら14人が負傷する痛ましい事故となった。

7月、産経新聞は、辺野古漁港周辺の防犯カメラに記録されていた事故前後の映像を公開した。

プライバシー上の懸念を唱える声もあったが、武石さんの遺族は公開前に編集されていない全編を確認した。そのうえで母親は、映像によって事実が明らかになった「社会的意義は大きい」との認識を産経新聞に伝えた。

映像は単なる興味本位の「事故動画」ではない。事故後、港に戻った関係者がどのように行動したのか、負傷した生徒の安否確認や救護がどのように行われたのかを検証するための一次資料である。

遺族が知りたいのは、娘がなぜ命を落とさなければならなかったのかという一点だ。武石さんの父親も「事故の全容、背景、全て」を知りたいと訴え、同じ事故が繰り返されることを防ぐために情報発信を続けている。

「映像が外部に出るのはどうなのか」

ところが玉城デニー知事が最初に問題視したのは、映像に記録された関係者の行動ではなく、映像が公開されたことだった。

玉城知事は13日、報道陣に対し、「映像が外部に出るというのは、そもそもどうなんですか。捜査の証拠資料ですよ」と発言した。17日の定例会見でも「防犯カメラの映像は捜査や調査の一級証拠品となり得る」と述べ、公開に改めて疑問を呈した。

【参照リンク】辺野古沖事故時の防犯カメラ公開 沖縄の玉城知事「捜査の証拠なぜ発信。疑問付いて回る」 産経新聞

もちろん、防犯カメラ映像の取り扱いには慎重さが必要である。捜査への影響や、映り込んだ人のプライバシーにも配慮しなければならない。

しかし、今回の映像については、娘を亡くした遺族自身が内容を確認し、公開によって事実が明らかになった意義を認めている。知事がまず耳を傾けるべきだったのは、抽象的な「情報管理」の議論ではなく、真相を知りたいという遺族の切実な願いではなかったか。

玉城知事は誰の気持ちを守っているのか

産経新聞の記者が17日の会見で遺族の認識を尋ねても、玉城知事は捜査への影響を注視する趣旨の回答に終始した。

これでは、映像によって明らかになる事実よりも、映像が表に出たことの方が問題だと言っているように聞こえる。知事が守ろうとしているのは、事故で娘を失った遺族の気持ちなのか。それとも、映像によって対応を検証される学校や運航団体、関係者の立場なのか。

玉城デニー知事と同志社国際・西田喜久夫校長

遺族は事故直後から、学校や運航団体の説明不足に苦しんできた。学校は下見をせず、教員は乗船せず、船は旅客運送に必要な事業登録をしていなかった。生徒たちは、その船が基地建設への抗議活動に使用されていたことさえ十分に知らされていなかった。

それでも玉城知事は、事故の真相を明らかにする材料が公開されたことに不快感を示す。遺族の意思を確認しようともせず、「捜査への影響」という役所的な言葉で質問をかわす。

これは遺族に寄り添う態度とは到底いえない。

問われているのは映像ではなく事故への姿勢

この事故を基地問題の賛否に回収してはならない。問われるべきなのは、なぜ安全管理が機能せず、高校生が引率者のいない無登録の船に乗せられ、命を落としたのかという事実である。

防犯カメラ映像は、その真相に近づくための資料の一つだ。公開方法に問題があると考えるなら、知事は具体的に何が捜査を妨げ、誰の権利が侵害されたのかを説明すべきである。

それを示さず、映像が「外部に出た」ことばかりを問題視すれば、都合の悪い事実を封じ込めたいのではないかという疑念を招く。

玉城知事が本当に遺族に寄り添うのであれば、映像公開を非難する前に、その映像に何が記録されていたのかを直視すべきだった。

真相究明を求める遺族の言葉より、映像を公開された側の事情を優先する。玉城知事の一連の発言は、娘の死を無駄にしたくないと願う遺族の気持ちを、再び踏みにじるものだったといわざるを得ない。

コメント投稿をご希望の方は、投稿者登録フォームより登録ください。

コメント